カラオケではダメ
街を歩けば必ずと言っていいほどカラオケ屋を目にする。カラオケは日本で誕生したものであり、飲み会の二次会といえば、だいたいがカラオケだ。日本人は歌うことが好きなのだと思う。
日本人はカラオケが好きだ
しかし、歌が下手な人というのは必ず存在する。私である。点数が出るカラオケで歌ったところ100点満点で33点という点数が出た。高校なら赤点だ。この敗因を考えると、それは私にあるのではなくカラオケ側にあるのではと思う。
笑うしかない
そこで銭湯である。そもそも銭湯とは仏教が伝来した時に僧侶が身を清めるために設置したそうだが、そんなことはどうでもよくて、注目すべき点はエコー具合。ケロリンの洗面器を置いただけでカコーンという素晴らしきエコーがかかる。このエコーの下で歌えば、どんなに歌が下手でも上手に聞こえるのではないだろうか。歌とはエコーなのだ。
ということで銭湯にやってきました!(開店前の蒲田「改正湯」)
歌とはエコーがすべて
カラオケを上手く歌うコツについて調べるとエコーを有効的に使う方法が紹介されていたりする。上手く聞こえるか否かのポイントはエコーなのだ。しかしカラオケのエコーでは33点だった。そこでよりエコーがかかる銭湯ということになったのだ。これで私も歌姫デビューできるはずである。
「ない声量」と「ないリズム感」をエコーが見事にカバーしている。その結果、素晴らしき心にしみいる演歌になっているのではないだろうか。歌っていて今までにない手応えを感じた。歌手とはきっとこういう気持ちなのだろう。自分の声がキラキラ輝いているように思える。
ちなみにこれは私の父が撮影している
とても満足の行く歌だったので、裸の私にカメラを向け撮影してくれている父に「どうだった?」と聞いた。「元気そうでよかった」と父は答えた。私の質問と父の返答の間には、もういくつかのやり取りがあって「元気そうでよかった」になりそうな気がするが、父はそう言っていた。いま聞きたいのは上手いか否かなのに。
次にEXILEの「Choo Choo TRAIN」を歌う。銭湯では演歌が定番だけれど、今の曲も十分に上手く聞こえる。自然にEXILEのように体が動いたのが、この歌の上手さを証明しているのではないだろうか。父に「どうだった?」と聞くと、「歌詞が違うな」と言う。歌が上手いか否かについては何も答えない。そして、父は「Choo Choo TRAIN」に詳しいらしい。
銭湯の人に聞く
父に聞いてもダメなので、この銭湯で働き、風呂デューサーとして温泉関連のイベントを行う毎川さんに私の歌唱力について感想を求めた。「歌いたくなりますね」という感想だった。聞きたいのはそういうことではない。
上手いですよね、と数回続けて聞いたら「はい」と言ってくれたので、やはり銭湯で歌うと上手く聞こえるのだと思う。少なからず私自身はカラオケでは感じることにできなかった「俺、歌うまい」という感想に行きつき幸せをかみしめている。
その結果、笑顔
声のよさに気がつく
とにかく銭湯で歌うと気持ちがいい。エコーのかかり具合がカラオケとは比べられないほどで、自分の持つ歌唱力に気がつくのだ。ドームコンサートをする歌手の気持ちがわかる。銭湯では誰もがアーティストなのだ。
歌だけでなく朗読も気持ちがよかった。学生時代の教科書の朗読は楽しくなかったけれど、銭湯で読めばいい声になり、声を出して読むことを楽しく感じる。銭湯では全てが声に出して読みたい日本語なのだ。もはや銭湯とはつかるだけでなく、歌うべき、朗読すべき場所なのだと思う。
ちなみにこちらの銭湯は湯船の向こうに鯉がいる
上記のような発見を毎川さんにしたところ、「お客さんから従業員に苦情が行って、従業員から怒られると思います」という解答をいただいた。歌えないのだ。読めないのだ。しかし、このエコーが素晴らしいのは本当で銭湯でライブが行われていたりもするそうだ。
お湯が黒いのは大昔の植物の化石が溶けているからだそうです
今回は許可を取って歌ったので怒られずに済んだ。そのおかげなのか歌が上手くなった気がした。銭湯で歌う前と後では別人のような気がするのだ。カラオケで33点を出した私は今は昔。もはや音痴ではない気がする。銭湯での私の歌は上手かったと自分では思う。銭湯で歌うことで私の眠れる歌唱力が目を覚ましたのだ。
銭湯から帰ってきて歌った。そうでもなかった。声量が全然ない!
歌は銭湯で!
以前から銭湯で歌うと気持ちがいいだろうと思っていて今回それが実現した。実際に歌ってみるとやはり気持ちがよかった。カラオケと違って開放感もあり、自分がアーティストになった気がする。そして、歌が上手くなった気もした。そう思い、銭湯からの帰り道、公園で歌ってみたのだけれど、それは大きな勘違いで全然上手くなっていなかった。銭湯でだけ音痴でもその歌が輝くのだ。