焼け野原から復活したル・アーヴル
世界的に貴重な文化財と自然を総合的に保護し、後世に受け継ぐ目的で1972年に採択された世界遺産条約。
「世界」「遺産」という語感の良さが功を奏したのか今やすっかりおなじみとなり、世界遺産を目的に旅行する人も多いと思う。かくいう私もその一人だ。
フランスの世界遺産というと、こういうのや(パリのセーヌ河岸)
こういうのをイメージすると思う(リヨン歴史地区)
フランスには歴史的な町並みや建造物がゴロゴロしており、世界遺産の数も38件とかなり多い(2012年12月現在)。その中でも、ル・アーヴルは異例である。
ル・アーヴルの町並みを端的に説明すれば、鉄筋コンクリートを用いて設計された現代都市の先駆け、だろうか。
まぁ、見ていただいた方が早いだろう。
どうだろうか、最近開かれた新興都市と言われても遜色ない町並みである。この町が作られたのは、戦後の1945年から1964年にかけての事だ。
第二次世界大戦末期の1944年、ル・アーヴルはイギリス空軍による大規模な爆撃を受けて壊滅、焼け野原となった。
そのまっさらな状態のル・アーヴルを再建したのが「オーギュスト・ペレ」という建築家である。ペレは当時新しい工法であった鉄筋コンクリートの建築を発展させた人物で、「コンクリートの父」とも呼ばれている。
そうして生まれ変わったル・アーヴル
この二棟の建物は町の門として建てられた
ル・アーヴルにはとにかく四角い建物が並ぶ
メイン通りの建物は一階が店舗、二階以上が住宅だ
しかし、戦後間も無くのものとは思えない町並みである
以前、同じくフランスにある「サヴォア邸」を紹介させていただいたが(→
こちらの記事)、サヴォア邸を設計した「ル・コルビジェ」もまたペレの影響を受けた人物だ。
そのペレが築いたル・アーヴルは、今や当たり前となった鉄筋コンクリートによる都市設計の嚆矢として歴史的な価値が高く、2005年に世界遺産となったのである。
町の中心である市庁舎
その近くにある火山を模した複合施設「ル・ヴォルカン」
直線的な建物が多いル・アーヴル中で、このル・ヴォルカンは曲線を多用しているのが印象的だ。これはブラジルの建築家「オスカー・ニーマイヤー」の設計である。
ニーマイヤーはブラジルの首都であるブラジリアの主要建造物も手掛けた人物で、そのブラジリアもまた現代計画都市の代表例(失敗例とも言われているけど)として世界遺産である。
この高い塔を持つ建物は、サン・ジョゼフ教会だ
運河沿いには団地が建ち並ぶ
バルコニーにはテーブルを置くのがスタンダードなようだ
運河を渡った先の島は、少し昔風なデザインの建物が多い
この建物は何だろう、公衆トイレ?と思ったら……
港町らしい、魚市場だった
古いモノばかりじゃない、世界遺産
世界遺産リストには様々な土地、様々な時代における代表的な文化財が記載されている。世界遺産というと古いモノを連想しがちだけど、中にはモダンな町並みもあるんですな。
このような新しい時代の世界遺産としては、このル・アーヴルや前述のブラジリアの他、オーストラリアのオペラハウス、ドイツではバウハウスやベルリンのモダニズム団地群などがあります。サヴォア邸や日本の国立西洋美術館も近いうちになるかも。
幅広い時代の多種多様な文化財が網羅されている世界遺産。いやはや、何とも奥深く、面白いものです。
ル・アーヴルには戦災を免れた古い建造物も残っているのだけど、これは世界遺産の範囲外。あくまで新しく作られた部分のみが対象なのだ