6月20日
台風が通過した次の朝、海を見に行ってまず絶句した。
世紀末みたいになっていたのだ。
昨日まで砂浜だったところが土嚢むきだしになってる。
昨日まで砂浜だった部分が波に削り取られてなくなっていた。上の写真、木製の部分は普段人が散歩する道である。そんなところまで高波が押し寄せていたということか。台風、あらためておそるべし。
こんな感じの景色がずっと続いていました。
台風による強烈な波は砂浜を持っていっただけでなく、代わりにいろんなものを置いてもいった。
砂浜に流れ着いたものを分類して紹介したい。
丸太編
海に流れ着くものの代表格、丸太。今回の台風でもたくさんの丸太が流れ着いていた。
しかし「丸太」なんてころんとしたかわいらしい名前で呼ぶのが申し訳なくなるくらいの迫力なのだ、これが。
丸太。
というか巨木。
角材もあるぜ。
写真でこの迫力が伝わるか不安だが、近くで見るとあぜんとするほどでかい。ホームで通勤電車を待っていたら貨物列車が通過した、くらいの迫力である。
しかし海にはこのクラスの木が浮かんでいるということだろうか。海、すごいな。
流木、なんてしゃれた呼び名は似合わない。
「流木」というときれいに加工されて写真立てとかに利用されていそうなイメージがあるが、今日流れてきているやつらはもっとハードな存在である。文明におもねらない、話が通じない系の木である。
木だけでも見飽きるほど流れ着いていたのだけれど、もちろんそれだけじゃない。人工物だって漂着しまくりだ。
プラスチック編
丸太のような自然素材はいつか自然にかえりそうな気もするのだが、プラスチック製品は分解されないので問題である。しかしいかんせん台風のあとに流れ着いてくるものはでかいので拾って帰るわけにもいかなくて途方にくれる。
たとえばこちら
TOKYO。持ち上げようとしてもびくともしなかった。
サッポロ。
プラスチック素材と聞くと丸太に比べソフトな印象だが、実際に海からやってきたやつらは十分にハードである。石に打ち付けられ砂にこすられてここまでやってきたのだ。迫力がはんぱない。
藻で包まれたタンク。よく見ると真ん中に蛇口がついている。
こちらはポリタンク。家にあるべきものが自然の中にあるだけで違和感がすごい。
どこから来たのかねきみは。
台風明けの海には僕と同じように流れ着いたものを興味深そうに観察して歩いている人が何人もいたが、漂着物を持って帰る人はいなかった。ビーチクリーンとは違い落ちてるものがでかすぎるのだ。行政の清掃車が何台も来ていたのでそちらに任せた方が身のためかもしれない。
海からやってきたものには、やはり海にちなんだものも多い。それらは違和感なくしっくりと漂着している。
うき編
浮くからうきである。きっと浮いたまま流れてきたのだろう。丸太やポリタンクに比べるとダメージが少ないのはそのためか。
一瞬ほしい!って思うんだけどやっぱりちょっとでかいよな。
漂着物というとたいていごちゃっと砂に半分埋まっていたりするのだが、うきについては丸いまま砂浜に転がっているので存在感もひとしおである。
孤高。
プラスチック製品も年をとると味がでるのだ。
人もいる
ところでこの日は台風一過の晴天だったのだが、強風だけが残っていた。場所によってはまっすぐ歩けないくらいの風である。
そんなハードなコンディションの中でもカップルは健在だった。
二人にとっては風の音(ただし爆風)もBGMである。
横の僕はこんな状態なのに。
このあたりの海は平日週末とわず人であふれているのだけれど、さすがにこの日は静まり返っていた。
と、思ったら
人が!
一瞬漂着か!とあせったが、日焼けでした。
漂着物の話に戻ります。
迫力こそ大木やタンクにはかなわないが、小さめの漂流物にもまた見所がある。小さなものは人の気配を感じるものが多いのだ。
小物編
電球。ソケットが見たことないタイプ。
VHSのビデオテープのケース。
小さいものは強風であらかた吹き飛ばされてしまうのだが、小さくても重量のあるものは浜辺にへばりついて残っていた。
特に中に海水が入ったり砂が入ったりしていると飛ばされずに残っていることが多いようだ。飛ばされたくないときは砂を噛め、という教訓である。
メッセージボトル、のような風流なものではなく、中はにごり水。
戌年ライター。6年前の。
中国から流れ着いたのだろうか。はがれたペイントもへばりついた貝も漂着の歴史を物語る。
軽いペットボトル類は吹き飛ばされてしまうらしく、あまり海岸に残っていなかった。
海からの強風にあおられた結果、とばされなかった巨大なものは海側に残り、軽いものは砂浜の奥の林の方まで飛ばされていって集まっていた。でかいものを探したいときは海側、そうでないときは陸側、と覚えておこう。
風で凹んだシャッター。
あまり見かけない生き物も
強風のなか海の近くを歩いていると、メガネが塩でべとべとになって世界中がぼんやり見えるようになる。もしかしたらこれは夢の中なんじゃないか、そんな景色である。
そんな夢見心地でぼんやりと歩いていると、ちょっとした人だかりができている場所があった。なにか珍しいものでも流れ着いたか。
人が集まっていたので行ってみると。
ウミガメでした。
ウミガメでした。
台風を避けて上陸したのだろうか。残念ながらもう死んでしまっていたようだが、足にタグがついていたので近くにいた人が水族館に電話をしてくれていた。
個体の識別用だろうか。両足に記号の書かれたタグがつけられている。
このあたりの海岸にはちょっと前にアザラシも現れて話題になっていた。うちの近所なのだけれど野生に戻ってきているのだろうか。楽しみ半分不安も半分である。
平らなもの編
漂着したものの中で一番多くて目立つのが板である。板、多い。
板。
板。板、板。
でも身の回りを見てもらいたい、ノートPCもiPhoneも手帳もテーブルも、たいてい板だろう。そりゃあ流れ着く板も多いはずである。
冷蔵庫もバラすと板になる。本体がどうなっちゃったのか心配。
看板らしき板。
引いてみるとこんな感じ。奥の骨組みはたぶん建設途中だった海の家です。
FLOAT(浮く)と書かれた板が自ら浮いて流れ着いてくるという体をはったギャグ。
板はその出所というか元の使われ方がわからないものが多いので、文字を書いておいてもらえるとわかりやすいですよね。
ただ、書いてあることが明るければ明るいほど、漂着したときに悲壮感が漂うもの事実。
意味ありげ編
砂にまみれて流れ着くことでいらぬドラマを想像してしまうものたちもある。
女性の靴。どうやって帰ったのか気になる。
どこの風呂場から流れてきたのか。
人の生活に近いものが流れ着いているとドキッとする。かつてどこかで使われていたものが海をへだててこっち側に流れ着いたのだ。あっち側の人たちは元気だろうか。
ライフジャケットの残骸は本気で心配になりますね。
プレゼントの本体は無し。
ひとつひとつにドラマがある
流れてきたものたちはあの台風の荒波を乗り越えてきただけあって、それぞれ強い意志をもって打ち上がっているように見えた。あの日、電車が止まって夜中に強風の中歩いて帰ってきた経験が、彼らの物語とシンクロしているためかもしれない。
流れ着いてはいないけどこの自転車が砂まみれですごいかっこよかった。