これが剣でなくて何という(パンです)
ずっと思ってたんだ、パンのこと、剣だって
いわゆるバゲットと呼ばれるフランスパンの中でも特に細長いパンが日本でメジャーになったのはいつ頃のことだろう。そんなに遠い昔ではないように思う。
個人的にはごくたまにしか買う機会がないため今なおあの長さには免疫ができていない。長すぎだろう。パンなのに。
幼少から慣れ親しんできた長ネギでさえ、手にとると一瞬「剣っぽいな……」と思ってしまうのだ。食べ慣れないバゲットを「どうみてもこれは剣でしょうよ」と思ってしまうのも仕方のないことだと思う。
ちなみに「バゲット」という言葉には「杖、棒」という意味があるそうだ。もうちょっと盛って「剣」でもいいじゃないか。
バゲットにはこのように先端を尖らせた鋭利なタイプもあるのだ。文句なしで武器である
ちゃんとした店でないと買えない。剣だもの
さてこの剣(バゲット)だが、フランスのパンを専門に扱うような店に行かないとなかなか買えないのもまた事実だ。
スーパーで売っているようなフランスパンは今もなお昔のようにずんぐりしていて多少の噛みごたえはあるものの柔らかいものが多い。あれは剣ではない。
長く、そして固い剣としてのフランスパンを求めるのであれば、やはりデパートの地下が擁するような本格フランスパンの店に行かねばならない。
そうやすやすと武器が手に入るような世の中では、やはりないのだ。
新宿のデパートをめぐり、剣を買い集めました
新宿デパート戦争に剣くらべで決着を
さて、そんな剣としてのパンを販売するデパートであるが、特に新宿はデパートの戦場だという話をよく聞く。
あるデータによると東京地区全体の百貨店の売り上げの約30%が新宿での売り上げにあたるのだそうだ。
かつてから新宿は商業においては激戦の地であったはずだが、デパート間では特に1996年の高島屋の開店が戦争を激しくしたらしい。既存各店が大きな施策を打つようになったのもこの頃だ。この3月末には1929年に開店したあの三越が完全に閉店するなるなど、戦いの厳しさは素人目にも明らかである。
……なんの話をしてるんだ。そうだ、パンだ。
パンの買いまわりの最中も三越は閉店セール中だった
一番強い剣(パン)を売ってるデパートが勝ち
そんな、厳しく激しい戦いをするデパートが各店そろって剣(パン)を売っている。これは偶然ではないだろう。
そうなのだ。フランスパンは戦うデパートの剣なのだ。各店の剣(パン)の強さを比べれば、おのずとそのデパートの力量も見えてこよう。
(本物の刀剣を扱うデパートもあるかもしれませんが、そのことは置いておきましょうよ)
新宿で最も強い剣で戦うデパートは、果たしてどのデパートなのか。確かめていきたい。
さあ戦わせよう、剣よ出でよ
高島屋新宿店
小田急百貨店新宿店(左)、京王百貨店新宿店(右)
新宿三越アルコット
伊勢丹新宿店
写真を並べるとデパート同士が対抗している感じが出るかと思ったのですがどうでしょう
「デパート、なるべくおどろおどろしく撮ってくださいよ」というリクエストに答えてくれたのは安藤昌教カメラマンであります
新宿三越アルコットの剣は「ジョアン」から
先述のとおりこの3月末に閉店が決まっている三越。もし剣(パン)対決が次回行われるとしても、そのときに三越はいない。これが最後の聖戦である。
三越のインストアベーカリーといえば「ジョアン」だ。新宿三越が三越アルコットとして雑貨を中心に展開する形態にリニューアルする以前からずっとジョアンは地下2階の同じ場所にある。
コーンパンやチョコブレッドといった人気パンの焼きあがり時間には行列ができる有名店である。
新宿からジョアンがなくなる……じわじわきた
新宿アルコット閉店というと巷で話題なのはジュンク堂新宿店の閉店だが、個人的にはジョアンがなくなるのも泣ける話だ。
流れた涙をふいて、剣を振ろう。新宿三越アルコットの剣の力はいかに。
いかにも剣らしいバゲット
本来こういう写真を大きく載せるべきではと思う
評価は今回買った5品での相対評価。フランス度は味などを含めた古賀の主観であります
正統派の剣
長さ61cm、クープ(切り込み)7本と、「バゲット」としての見本のようなパンだ。
味もどこかで食べたことのあるような味。確かに異国のパンではあるが、このくらいのフランス感ならギリギリ知っている、そんな親しみすら感じさせた。
そういう意味では戦闘力的には弱いかもしれない。
勇ましくさやに納め、次へ
今回はこんな感じで5店5本の剣(パン)を見ていくわけです
京王の剣はおしゃれパン屋の番町格「ポール」から
京王には複数のパン店がテナントとして入っていたが、より長いパンを扱っていた「ポール」を代表選手と決定した。
ポールといえば、材料をフランスから空輸し店の内装も(行ったことないながらに)パリを感じさせるなど、本格的かつおしゃれ度の高い店だ。価格帯も高めで高級感も漂う。
ひとことで言うと、固くて高いパンの店(ファンです)
フランスから上陸したパン屋のことをブーランジェリーと言ったり、日本の食文化に長くて固いパンが広まりつつあったところをダメ押しをしたチェーン店だと思う。
さて、剣だ。以前は前出のジョアンのようなタイプのバゲットを売っていたように思うのだが、今回買った剣はちょっと個性的なタイプだった。
写真だと伝わりにくいか、これが妙にいかにも「つえ」という感じだった
中が真っ白ではない。かおりもどこか独特だ。知らないかおり
味やかおりに異文化を感じたのでフランス度を最高点にした
戦う杖
とにかく長細い。そして固い。バゲットという言葉の意味は「棒、杖」と書いたが、まさに棒で杖である。
水戸黄門は戦闘シーンで剣ではなく杖を振り回していた。それを思うと杖でも十二分にデパート戦争は戦い抜けるかと思う。
本場フランスっぽいぽいと騒ぎ立てながら、連想したのは水戸黄門となんだかよく分からないことになってしまった。
さやへ納め、次なる剣へ
伊勢丹の剣は「エディアール」の剣
伊勢丹は2007年に地下食品売り場を大幅にリニューアルしてテナントのパン店はすべて対面販売になった。トレイを持って自分で取るのではなく、ケースに入っているのを取ってもらうタイプだ。
ちょっと前まで対面パン屋というとレトロ枠だったが、いつのまにかおしゃれ要素になっている。
今回選んだテナントは「エディアール」。三越でいうところのジョアンのように、伊勢丹のデパ地下を中心に展開しているチェーンのようだ。
発音しない「H」をロゴにする粋さ
こちらのバゲットはフランス産粉100%使用で本場の伝統的な製法を守るなど店でも自信の1品とのこと。では、抜きましょう。
冗談抜きで、これでさされたらかなり痛いだろうなという形状
皮の香ばしさがすごい。気泡が大きく、中まで皮、という感じ
相対的な理由で重さと値段が低評価だが、全体的にバランスのいい剣だと思う
おいしいぞ
とがった形が実際痛そうだ。固さ的にも十分すぎるほどで気をつけないと本当に凶器になってしまいそうである。
そしてこれがすごく美味しかった。バリバリと中まで皮のようでとことん香ばしい。日本の柔らかくモチモチしたパン文化圏で育ったものとして、改めてフランスパンに対してカルチャーショックである。
これはかなり強い剣がでてきた。
先が細いので、若干剣として持ちづらいか
パンが固いです
さくさく次へ行きたいところだが、ここまで3種類のバゲットを食べ、実はすでにかなりアゴが疲れている。どのパンもしっかり固い。頭では分かっていたはずだが、アゴは新鮮に驚いている。とにかく、固い。
日本食にこの固さを求めるとしたらなんだろう、スルメぐらいしかないんじゃないか。
バゲットといえばフランス人にとっては主食だろう。クロワッサンやブリオッシュみたいな柔らかいパンだってあるにはあるだろうが、うっかりすると3食バゲットを食べることだってあるんじゃないか。3食スルメである。いや、スルメではないのだが、この固さのものを日々食べるってすごい。そりゃあ彫りも深くなろうて。
何しろ私は明日はアゴの筋肉痛が確定した。剣士としての私にまでダメージを及ぼすとは、これぞまさしく諸刃の刃である。
続いてのパンはソーセージ入り、だが、固いのに変わりはなかった
小田急の剣はソーセージ入り
パンの固さを思う存分はきだしたところで続いてのパンへ行こう。
小田急は本館のほかに以前は「旧館」と呼んでいた「ハルク」があり、ここにも地下で食品を展開している。
本館にはフランスのレストランとのライセンス契約した「トロワグロ」がパンも扱っており、当初はここのバゲットを取り上げるはずだった。が、ハルクの「ポンパドウル」で見つけたのだ。より長く、より強靭な剣を。
長っ
その名も「超ロングウィンナー」
買ってから測ったところ、他のバゲットと長さは同等の60cm止まりだったが店頭ではその1.3倍くらいは長いように感じられた。妙なインパクトがある。
「ポンパドウル」はフランスの製法で作った本格フランスパンも扱うが純粋な日本のパンチェーンである。他のバゲットが伝統に裏打ちされた仕様として長いのであれば、この「超ロングウィンナー」はなんか面白いから長くした、というような気軽さを感じた。
もしこれを見てフランスの方が「あちゃー」と思っていたら、それはやりたいことやったったポンパドウルの勝ちだ。
なんか出てる、みたいな中途半端なたたずまいもいい
でも皮はしっかり固かった。そしてソーセージはうまい
値段が500円を超えたが、あんなに長いソーセージが入ってるなら仕方ない
剣にしなくても十分冗談ぽい
わーい、ソーセージパンだー! と思って食べると本気のフランスパン同様の皮の固さに驚く。
そんな固いフランスパンの中ににょーっと長い長いソーセージが入っているのだ。
パンとソーセージは密着していないため、パンがソーセージのケースのようにも見える。
パン自体が冗談っぽすぎて、ふりかぶって「剣です」というさらなる冗談が通じないパンなのだった。
これは剣じゃなくて「面白いパン」だな。長いけど
さあ、続いて高島屋。最後にでかいパンが出ます
高島屋の剣はイタリアから
新宿デパート戦争の火種ともなった高島屋新宿店のオープン。今回の戦いでも風雲児らしいパンを投入してきた(選んだのは私だけど)。
高島屋には「メゾンカイザー」などフランスのパンを扱う店はあるにはある。が、「ペック」というイタリアの食材を扱うテナントにあったパンが武器としてすごかったのだ。
でかいパンみっけ
名前は「チャバッタ・スペチャーレ・オリーヴェ」。オリーブ入りのスペシャルチャバッタという意味らしいが、和訳がついたところでなお分からないパンである。チャバッタ?
チャバッタというのは(チャパタ、と呼ばれているのなら聞いたことがある!)イタリアの食事パンで、サンドイッチなどに良く使われるものらしい。
のべーっと大きいたたずまいで売られているのは、食パン1斤売りみたいなものなのかもしれない。
よし、抜きます。
こういう生き物いたら逃げる
オリーブがしょっぱくて、これだけでどんどん食べられる
とにかく重い。そしてでかいだけあって高い(693円)
これは鈍器だな
剣として構えようとしたが笑ってしまった。でかい。でかいのだ。剣というより鈍器である。
ただ、チャバッタの語源は「スリッパ」だそうなのだ。そういわれてしまうと急に弱いもののようにも見えてきた(でもこんなでかいスリッパはちょっとないだろう)。
スリッパ!
一番強い剣発表!
新宿の各デパートを代表する剣をすべて抜いた。
やはり鋭利で強靭だと感じたのは伊勢丹のエディアールのバゲットだろうか。形状の武器性の高さに合わせ、日本にこびずにフランスを貫く味わいも見逃せない。他のデパートに比べ駅からやや距離がありながら常に新宿のデパートのトップランナーであり続ける、さすがは伊勢丹だ。
だが実は、今回のパンの中で一番おそろしかったのは最後に紹介した高島屋のペックのチャバッタであった。
というのも、この写真を見て欲しい。
え? これだけ?
この写真、剣を抜いた写真を撮影した翌日の写真である。
1日もたたないうちにほぼ全部食べてしまったのだ。パン大好き、通常よりもちょっと食いしん坊という自負はあったが、それにしてもあの大きさのパンを一晩でここまで食べつくすとは(他のパンも試食しながらである)。
オリーブの塩気がビールに合いまくってのことである。これは恐ろしい剣だ。さすがは高島屋。実力は伊勢丹の剣と五分ということでまとめたい。
「恐ろしい剣」、「五分の力」などと書いたが、よく考えたらでかいパンを買って食べ過ぎただけの話である。
二刀流をやったが、もう何がなにやら
お腹がいっぱいでアゴが痛い
フランスパンが剣っぽい。だから剣のように構えたい。
基本的にはその思いつきから始まったのだが、企画を推し進める上でいやがおうにもフランスパンの固さとおいしさにふれ、もう剣とかどうでもよくなっちゃいそうになって何度も両手でバシンと頬を打った(目を覚ませ!やりとげるんだ!)。
イタリアのチャバッタもおいしくて食べ過ぎるし案の定アゴは筋肉痛だしで、剣にしちゃえ、と手のひらの上に乗せるはずだったのが本格パンたちの味わいの非日常感に振り回された形になったのだった。
これでもうしばらくは、パンを剣とは思わずに生きていかれそうです。
次の日のお昼ご飯も固いパン(なんかおしゃれでうれしい、でも固い!)