「表参道」って神社の参道だった
もう、みんなが街の名前だと思ってる東京の「表参道」。
おしゃれな街の代名詞のようだが、あらためて考えると「表+参道」で、ようは神社に参る道だ。
表参道=おしゃれタウン
じゃなくて明治神宮に参る道だった
そして「表」参道っていうのは、いくつか参道がある場合にメインとなるもののことだ。
たとえば明治神宮には西参道、北参道、南参道の3つがあり、このうち南参道の延長として整備された道が表参道となったとのこと。
古い由来なのに現代を感じる地名ってなんか面白いですよね。代官山とか原宿とか。
3本の赤い線がそれぞれ、西、北、南参道。南参道の先が表参道。
「裏参道」もあった
ところで原宿に対して裏原宿があるように、表参道に対する「裏参道」というものも以前はあったそうだ。
裏参道。なんかちょっとかっこいい響きだ。表参道にシャネルがあるなら裏参道には一体なにがあるのか?と想像してしまう。
やってきた
裏参道は、北参道から伸びた中央線沿いの道のことだった。
そういえばこのあたりには最近、副都心線の「北参道」駅ができた。せっかくなら表参道駅に対抗して裏参道駅にすればよかったのに。
歩いてみると、裏原宿と違い、裏参道は表参道に対して独自の文化をつくっているということはなかった。「シャネル」の代わりにそこにあったのは「カフェ泥人形」だった。
ほら!「裏参道」の文字。山手線ガード下。
裏参道の「カフェ泥人形」
(参考)表参道の「シャネル」
ぼくは別にここで、裏参道をことさらに華のない道だといいたい訳じゃない。
表参道も裏参道も、どの神社にもつきものだということなのだ。明治神宮はその一例にすぎない。
たとえば溜池の山王日枝神社
こちらの立派な階段が表参道で、
この細い階段のほうは裏参道と呼ばれる
どんな神社にも表参道があり、だいたいの場合は裏参道にあたるものもあるそうだ。たとえば札幌で「裏参道」といえば円山あたりの賑やかなエリアを指すが、これは北海道神宮の裏参道に由来する。
恐るべき地味さですが、まだ続きます。
どんな小さな神社にも参道はある
つぎに思うのは、じゃあ近所にあるようなごくごく小さい神社にも「表参道」があるのか?ということだ。
そのとおり。神社の数だけ表参道がある。あなたの街の表参道だ。
じつはそのことに気がついたのは夏祭りのときだった。
ぼくの近所のなんでもない道
地元の日枝神社の前の道なんですが
夏祭りのときにはちょうちんが並べられる
祭りの日、道に並んだちょうちんを見ながら、そうか、このなんでもない道は実は表参道だったのかと気がついたときに、ちょっと衝撃を受けた。
だってふだんはあまりにも何もないただの道だ。参道の雰囲気は全然ない。
でも神社に通じる道はすべからく参道で、実際ちょうちんまでかかってるんだからこれは表参道なのだ。
こっちの階段を下る方は裏参道かもしれない
なお、神社は地形的にちょっと高いところに作られることが多い。
だから参道はこんなふうに階段だったりすることも多く、急なほうを男坂(多くは表参道)、緩い方を女坂(たまに裏参道)とする場合があるようだ。愛宕神社、湯島天神など、いくつか思いつきますよね。
こちらは田端の日枝神社
なんでもない道だが
「参道」とちゃんと書いてある
この参道のいじらしさよ!
近くに住んでいる方によると、こちらも祭りのときには入口に門が建てられ、ちょうちんがかけられるそうだ。
ここが田端の表参道である。なるほど至るところに、街の数だけ表参道があるんだと思い知った。
神社のないところにすら参道はある
そして話はもうちょっと先鋭化する。
たとえ周りに神社がなくても、そこは参道かもしれないのだ。たとえばこの地図を見てほしい。
どちらも、地図の中央あたりにぽっかりと空いたスペースがある。
これは何なのか?じつは参道なのである。でも周りには神社なんかない。いったいどういうことなのか、まずは根津の事例から見に行ってみよう。
現場は、妙に太くて短い道になってる
奥の細い道には神社は見当たらない
つながってる大きな道は不忍通りだ
千代田線の根津駅を利用したことがある人なら分かるかもしれない。上野動物園に近い側の出口のわきに、短さの割に妙に太い道があって、それが現場だ。
そしてこれは、じつは根津神社への参道なのだ。
真ん中のクランク状の部分が、今も残ってる(東京時層地図より)
明治初期の地図を見ると、真ん中のカギ型の道の形が同じだ。そしてこの道はまっすぐ根津神社へ続いている。
いまの不忍通りは、昔は根津神社への参道だったのだ。
まさか不忍通りが根津神社への参道とは
創業慶応元年という鰻屋さんがあった
昔の参道のわきに、江戸時代から四代つづいているという鰻屋さんがあったので話を伺った。
「終戦の前の年までは参道になってたんだけど、ぜんぶ焼けちゃってね」
いまは面影がないが、昔は確かに参道として賑やかだったそうだ。道の両側に瀬戸物屋や床屋、八百屋などあったとのこと。話を聞くと実感が湧いてくる。
次は本郷へ
こんどは本郷のぽっかりスペースだ。東大正門から延びる道の突き当たりである。
これはぽっかり
こんなふうに道が広場みたいに空いてることってなかなかない。
「宮前青果店」の看板があるあたりは、むかし映世神社という神社があり、道が三角形に広がり始める地点には鳥居があった。境内にあたる部分がこうやって残っているのだ。
地元の商店の人にお話を聞いてみよう
ネコを抱きながら教えてくれた
映世神社は小さな神社だったそうだ。残念ながら戦後、鳥居も含めて取り壊しになってしまった。
前の通りは、とくに参道として賑やかだったわけではないという。
昔の写真を収めた冊子が残っているというので、見せていただいた。
けっこう賑やかじゃないですか
こうやって昔の写真があるとぐっと実感が湧いてくる。
そもそもお店の名前が物語ってるじゃないか。「宮前青果店」に「宮前商店」。宮前って、神社の前っていう意味だよね。
宮前青果店
なんと鳥居が!
なんでもない道もじつは参道で、よく見るとその痕跡がちゃんと残っているのだ。いいものだねえ。
参道、意識してなかった
とにかく夏祭りのときにそこが参道だと気づいたときはショックだった。
田端にも駒込にも、町の数だけ表参道があるのだ。
なんでもない道っていうのはないんだなあ、と思いました。