城塞都市としての鎌倉
鎌倉という町を語るに際し、その地形を抜きにする事はできない。
頼朝が鎌倉に幕府を開いたのはその堅固な地形ゆえだし、寺社もそれらの山々が織り成す谷戸(小規模な谷)の地形をうまく利用して建てられている。
この地形、山々があってこその鎌倉なのだ。
由比ヶ浜から西を向いても山
東を向いても山
また鎌倉は世界遺産への登録を目指しており、今月中にはユネスコに推薦書が提出される予定だが、その指定範囲は寺社のみならず山々も含まれている。
鎌倉は寺社よりもむしろこの山々の方が重要……といっては過言かもしれないが、まぁ、どちらもどっこいどっこいに重要なのである。
いささか前置きが長くなってしまったが、要は鎌倉を鎌倉たらしめるその城壁、すなわち鎌倉を取り囲む山々を、ぐるっと一周してみたいというワケです。
スタートは稲村ヶ崎から
まずは鎌倉城壁の西端、稲村ヶ崎から歩き始める事にしよう。
鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞はこの稲村ヶ崎から攻め込んだというし、私もそれに倣おうと思うのだ。そう、鎌倉を攻めるには稲村ヶ崎から。
鎌倉は崖好きにもオススメです
それではスタート
鎌倉の城壁を歩くというのが趣旨である以上、できるだけ山の上を行きたいところであるが、しかし稲村ヶ崎は国道134号線によりぶった切られており、そこから山伝いに進む事はできない。
なのでまずは住宅街を歩き、霊山山(りょうぜんさん)という山を目指す。霊山山の山頂には遺跡があるそうなので、登る道もきっとあるはずだ。
が、その山頂へ至る道が見当たらない。そんな高そうな山でもないし、とりあえず登れそうな場所から無理矢理アタックしてみる事にした。
ん、ここから登れそうな予感
と思ったら、そうでもなかった。しかし強行突破
急斜面を登り、藪を漕ぎ、しょっぱなから満身創痍
尾根に出たら、細い道が伸びていた
おぉ、眼下には鎌倉の町並みが
うん、どうやら正しい道は他にあり、私はイレギュラーな場所から登ってしまったようである。
しかしまぁ、登り切ってしまったからにはこっちのもの。所々から見える鎌倉の景色を楽しみながら、山道を歩いていく。
正規ルートにはちゃんと目印があったんだな
しばらく歩くと、江ノ電の極楽寺駅前に出た
全身に木の葉や笹をくっつけながら、ようやくひとけのある場所に出れてほっと一息。おそらく、ここから登るのが正しいルートだったのでしょうな。
なお、霊山山から続いていた山はこの極楽寺付近で一度切断され、再度北へと伸びていく。この辺りの山は登れそうにも無いので、谷戸に作られた住宅地を北へと進む。
鎌倉の住宅街って、瀟洒という言葉がぴったりだ
谷戸の最深部から再び山に入る
程なくして、山道が鎌倉大仏から続く道路と交差する地点に出た。
鎌倉には、山を切り開いて道を通した「切通し」と呼ばれる古道がいくつか存在する。特に重要な七つの切通しは「鎌倉七口」と呼ばれ、そのうち五つが今もなお良好な状態で現存する
ここにはそのうちの一つ、「大仏切通し」が存在する。当サイトにおいても、過去に編集部の安藤さんがここを訪れ、俳句を詠んでいた(参考記事「
おれ奥の細道」)。
良いよね、大仏切通し
連なる山々の要所要所に穿たれているこれらの切通しは、いわば城門のようなものである。
いずれもわざと道幅を狭めたり、また道の真ん中に岩を置いたりして、大勢の人馬が一気に攻め込んでこれないような工夫が見られる。
確かに、岩ごろごろで通りにくい
大仏切通しの西端にはこんな崖もあって圧倒される
また平地の少ない鎌倉では、崖をくりぬいて作られた、やぐらと呼ばれる横穴式の墓も数多く見受けられる。この崖にある穴もそのやぐらだ。
鎌倉のやぐらについては、これまた過去に安藤さんが記事を書かれているので、そちらをご参照下さい(参考記事「
鎌倉『穴場』スポット探訪」)。
さて、切通しを堪能した後は、再び元の山道に戻ろう。この大仏切通しから北へ行く道は「裏大仏ハイキングコース」として整備されているので、気軽に歩く事ができる。
とはいえ、こんなんだけどね
なかなか雰囲気がある山道ですな
山を上ったり下りたり
ゴールは向こうの対岸。まだまだ先は長い
源氏山公園から北鎌倉へ
さて、裏大仏ハイキングコースを歩き、かの有名な銭洗弁天近くの源氏山公園にまでやってきた。
ここもまた山の上だが、公園として整備されているので人はそこそこいる。特に正月は公園内の葛原岡神社を訪れる初詣客が多く、想像よりずっと賑わっていたのでびっくりだ。
親子連れが多く見られた源氏山公園
ここには、鎌倉七口の一つ「化粧坂(けわいざか)切通し」があるので要チェック
階段状に削られた岩が特徴的だ
初詣客で賑わう葛原岡神社
境内を突っ切ってさらにその奥へ
また岩を上ったり下ったりすれば
北鎌倉、浄智寺の横に出る
天園ハイキングコースで尾根横断
北鎌倉は古刹も多く、落ち着いた風情が漂うエリアである。しかしその情緒を味わうのもほどほどにしつつ、次なる山道へと向かう。
鎌倉城壁歩きは山道から山道へ渡り歩く山道ホッピング。今はそれに浸るのみ。
アジサイで有名な明月院へと続く道
でも、明月院はスルーして先へ
人ん家の脇から再度山へ突入
天園ハイキングコースを歩く
建長寺の奥の院を横切る
天園ハイキングコースの始点は明月院裏側だが、その途中では建長寺や覚園寺、瑞泉寺などへの道が分岐しており、好きな所で下りる事ができる。
その中でも特に建長寺から瑞泉寺まで歩くコースが人気なようで、この区間に入るとぐっと人が増え、やや混雑気味になった。
山っぽい格好していると逆に浮く区間
石仏なんかもあり、古道という感じがする
下部がえぐられているのは、石仏跡かやぐら跡か
ハイキングコースとは言っても、その道沿いには石仏ややぐらなんかが多く、古くから往来や修行に使われていた道なんだろうなぁと実感する。
これら鎌倉城壁の山々に残る遺構には生々しさがあるというか、下の寺社を回るだけでは感じられない「何か」を感じることができるのだ。
寄り道して百八やぐら
そう、鎌倉城壁では「何か」が感じられる。
その「何か」とは様々だが、天園ハイキングコースから覚園寺へと下るルートに入ったすぐの所にある「百八やぐら」からは、もう少し具体的な「何か」を感じざるをえない。
この分岐点から少しだけ下りた所にそれはある
ぽっかり口を開けたでかいやぐら
中をのぞいてみると……うおぉ
さらにその奥にはおびただしい数のやぐらが
これ、全部墓なんだよな……
夜には絶対来たくない
その名の通り、「百八やぐら」にはたくさんのやぐらが密集している。あまりに密集していて、かなり不気味である。
しかしこれもまた立派な文化財。鎌倉における土地利用の形態を示す貴重な遺構である。そう思わないと……ねぇ。
さて、再び元の道へと戻り、鎌倉城壁の尾根沿いを行く。するとその途中、なにやらでかい岩が道の真ん中に鎮座していた。
この形、このツイスト具合
どう見てもうん……いや、なんでもない
鎌倉市最高地点と横浜市最高地点
この天園ハイキングコースはなかなか本格的な山道であって、建長寺あたりから気軽に上がった人は、その思わぬハードさに面食らうのではないだろうか。
それもそうだろう、このコースは途中に鎌倉市と横浜市両方の最高地点が存在する、意外と高さのある山なのだ。
突然、凄く眺めの良い所にでた
へー、鎌倉市最高地点か
少し進むと茶屋があった
今度は横浜市最高地点との表記
まぁ、最高地点と言ってもせいぜい160メートル程度なのだけど。
それでもそこから鎌倉を見下ろすと、「おぉ、結構登ったなぁ」という気分にさせてくれる。なかなか満足感のあるコースである。
山と海に取り囲まれた鎌倉の地形が良く分かりますな
あとはひたすら南へ下る
途中の瑞泉寺で下りる人が多いが、私はさらに南へ
終点もまた、やはり人ん家
茅葺の本堂と崖のコントラストがカッコいい明王院
鎌倉城壁巡りも残りあと少し
さて、ここで物凄くカッコ良い切通しをご紹介したい。
通常の切通しは山を掘り下げて作られるのに対し、この切通しは山を掘り抜いて築かれたトンネル状の切通しなのだ。
鎌倉七口にこそ数えられていないものの、個人的には鎌倉で最も迫力のあるスポット。その名も、釈迦堂切通し!
……って、ガケ崩れで立ち入り禁止とな!
私が前に訪れた時(7年前)は、崩落の危険があるとして通り抜ける事は禁止だったものの、近くから眺める事はできた。
しかし、なんという事だ。今では通り抜ける事はおろか、その姿を拝む事すら叶わなくなってしまっていたとは。
調べてみると、どうやら2010年の4月に大雨で地盤が緩み、トンネル手前の崖が崩壊してしまったらしい。トンネル自体が崩壊したワケではないようなので少しほっとしたが、今後どうなるかが心配である。
在りし日の、釈迦堂切通しの雄姿
釈迦堂切通しの件は残念だったが、しかし悲しんでばかりもいられない。日も暮れかけている事だし、先を急ぐとしよう。
お次は衣張山(きぬばりやま)ハイキングコースを行く。その名の通り、衣張山という山を越える山道だ。
この道は初めて通るのだが――
良い感じの崖&やぐらを発見できて嬉しい
山上からの眺めもすこぶる良かった
衣張山を越え、一度住宅街を横切る
再び山道をしばらく行くと――
なんか凄い場所に出た
崖が800メートルに渡り連なる大切岸だ
少し分かり辛いが、畑の奥に見える崖がそうだ。それがこの写真の左手前まで続いている。
もちろんこれは人為的に削られたもの。鎌倉を取り囲む山々が、当時より城壁として意識されていた何よりの証拠である。
また、大切岸の南には鎌倉七口の一つ、名越(なごえ)切通しが通っている。
中世の雰囲気を最も色濃く残すという名越切通し
ここもなかなかの迫力です
一番狭いところでは、人一人が通れるくらい
昔はここを馬が通ったんですぜ
ちなみにこの名越切通しには、あの「百八やぐら」と同様、数多くのやぐらが密集する「まんだら堂やぐら群」が存在する。
現在は整備中の為に封鎖されているが、こちらも以前に撮った写真があるのでそれをご紹介しよう。
7年前の特別公開時に撮った「まんだら堂やぐら群」
ここもまた、夜に来たら多分泣く
現在は絶賛封鎖中
さて、名越切通しからはもう山の中を歩ける道が無いので、素直に平地へ下りて海を目指す事にする。
なお、ゴールは由比ヶ浜の東端に位置する和賀江嶋(わかえじま)に決めた。
鎌倉時代の港の遺構である和賀江嶋は、この城壁巡りの終点にふさわしい、そんな気がしたのだ(参考記事「
潮が引くと現れる800年前の港の遺跡」)。
名越切通しを下りると、JR横須賀線の脇に出る
もう大分暗くなってきたので急ごう
ってなワケで和賀江嶋に到着、でやー
山も良いよね鎌倉は
稲村ヶ崎を9時に出発して、和賀江嶋に到着したのは18時。丸一日の歩き通しでだいぶくたびれたが、とても濃厚で充実した鎌倉歩きができたと思う。
今回鎌倉を一周してみて、改めて鎌倉という町は地形に恵まれた場所だよなぁと実感した。鎌倉は寺社も良いけど、うん、それと同じくらい山も良い。
鎌倉を訪れた際は、ちょっとで良いので山道や切通しなんかを歩いてみると、昔の鎌倉の姿を感じる事ができるんじゃないかなぁと思います。特に切通しや切岸の迫力は写真だとなかなか伝わりにくいので、興味を持たれた方はぜひとも現地を訪れてみてください。