三階建て養蚕農家が超密集!兵庫県の大屋町大杉集落
まずは兵庫県北部の養父(やぶ)市南西部に広がる大屋町地区の養蚕農家だ。大屋町は四方を山々に囲まれていて平地が少なく、冬は雪が多いことから、古くより養蚕が営まれてきた但馬屈指の養蚕地帯である。
そんな大屋町の中心部から少し西に行ったところにある大杉集落には、現在も数多くの養蚕農家が残っているという。
蚕を飼育して生糸を生産するための養蚕農家は、できるだけ広い蚕室を確保すべく大型化&多層化する傾向にある。ここのものは三階建てと殊のほか立派であり、しかも一棟や二棟のみならず群として密集して残る貴重な集落だ。
現在大杉集落に存在する27棟の主屋のうち、一棟を除くほぼすべてが築50年以上の古民家だというから凄いものだ。元は江戸時代に建てられた平屋の茅葺家屋を、明治後期に二階・三階部分を増設したものや、その形式を模して新たに新築されたものが大半を占めるという。
一階部分は生活のための居住スペースで天井が低く作られているのに対し、蚕室である二階・三階は背が高く、蚕棚の規格に合わせて築かれているのでどの家も同じ規模になっているのが特徴だ。
縦長の窓は「掃出し窓」と呼ばれており、窓枠を床にまで下げることでゴミを簡単に外へ掃き出すことができるようになっている、蚕室を常に清潔に保つための工夫とのこと。なるほどなぁ。
蚕室は四方の壁に換気口が設けられており、屋根の上に乗る腰屋根と共に蚕室の通気性を高め、蚕が過ごしやすい環境を整えている。これらの換気システムを地元では「抜気(ばっき)」と呼んでおり、この地方の養蚕農家ならではの特徴となっている。
大杉集落は谷川が作り出した扇状地に立地しており、集落は谷間の奥にまで及んでいる。傾斜地には昔ながらの石積が築かれていて、山村集落としても凄く良い風情を醸している。
とまぁ、巨大な三階建ての養蚕農家が建ち並ぶ大杉集落は、普通の集落にはない独特な風情と迫力があるものだ。とても小さな集落ではあるものの、他にはない町並みを見ることができて散策がとても楽しかった。
この大杉集落は但馬地方における養蚕集落の好例であるが、冒頭で述べた通り、養蚕集落は日本の各地に存在する。さてはて、他の地域にはどのような養蚕農家が残っているのだろう。
絹産業を発展させた群馬県に残る六合赤岩集落
お次は群馬県の養蚕集落を訪ねてみたい。群馬県といえば明治初頭に富岡製糸場が築かれ、日本の絹産業を牽引してきた地域である。期待は大だ。
今や世界遺産になった富岡製糸場を擁する群馬県の北西部、中之条町の六合(くに)地区に赤岩という養蚕集落が存在する。先ほどの大杉集落と同様、周囲を山によって囲まれた川沿いの山村である。ここまた、昔から養蚕が盛んであった。
大杉集落の養蚕農家と比べて見た目がだいぶ違うものの、一階部分が居住スペースで二階部分が蚕室という点は共通だ。一見すると普通の古民家っぽい感じではあるが、よくよく見ると養蚕農家ならではの特徴が表れている。
印象的なのは二階の外側に備えられているベランダであるが、これは部屋いっぱいに蚕棚を並べるので室内には身動きするスペースが少なく、人が行き来する通り道として設けられているという。また天井の梁が外にせり出しているのだが、これは軒先を広げることで床面積を増やすための工夫だそうだ。
蚕室を少しでも広く利用するため、あれやこれやと考えるものですなぁ。
これはこれで上品かつ機能的にまとまっていて良い感じではあるのだが、さすがに大杉集落の養蚕農家のようなインパクトは薄い感じだ。もっと、直感的にビビッとくるような養蚕農家はないだろうか。
通りから奥まったところにあるので少々見え辛いのだが、まさしく三階建ての養蚕農家である。大杉集落のものとは入口の向きやベランダの有無などの違いはあるが、黄色い土壁といい、縦長の窓といい、共通点はかなりある。
この立派な湯本家住宅は江戸時代後期の文化3年(1806年)頃に二階建ての主屋として築かれ、明治30年(1897年)に三階部分を増築して現在の姿になったという。
湯本家は江戸時代から医者を務めており、幕末には蘭学者であった高野長英をかくまっていたそうだ。見た目がカッコ良いだけじゃなく、非常に歴史ある養蚕農家である。
先ほどの大杉集落は各家の敷地がそれほど広くなく、なおかつ生垣など敷地を仕切るものがなかったので主屋の姿が良く見えた。
一方でこちらの赤岩集落は敷地の奥行きが深く、通りからでは主屋が見えにくいのが珠に傷である。それでも注意深く目を凝らして見ると、シブカッコ良い養蚕農家が鎮座しているのだから、まったくもって侮れない。
赤岩集落の養蚕農家は大杉集落ほどパッと見の分かりやすさは少ないものの、抑えるべきポイントを知っていれば発見と驚きがある。やや玄人向けではあることは否めないが、だからこそ垣間見れるシブさがキラりと光る、実に良い養蚕集落である。
「突き上げ屋根」が連なる山梨県の小田原上条集落
三箇所目は山梨県甲州市の塩山地区にある小田原上条集落である。ここもまた昔から養蚕が行われてきた山村であるが、これまで見てきたものとは一味も二味も違った養蚕農家が密集しているという。さてはて、どんなものだろう。
この上条集落の養蚕農家は、屋根の中央をせり上げた、その名もズバリ「突き上げ屋根」であるのが特徴だ。蚕室である二階部分の日当たりと風通しを良くするためこのような形状になっているとのことで、江戸時代中期から昭和初期にかけて築かれた古民家が11棟現存している。
かつて塩山周辺にはこのような突き上げ屋根の養蚕農家が数多く存在したというが、今や群として残っているのはこの上条集落のみだそうだ。
なんというか、見れば見るほど不思議な屋根だ。これまでの養蚕農家は窓や通風孔をたくさん開けたり、屋根の上に小さな腰屋根を設けていたりして、蚕室の換気を確保していた。
しかしながら上条集落を含む塩山地域ではそんなまどろっこしい小細工などせず、屋根の中央部分をガバッと持ち上げることで風の通りを良くしたのだ。物凄い力技ではあるものの、その突き抜けた豪快さは類を見ないタイプのカッコ良さである。
塩山地域周辺では、このような丸い石を道祖神(集落の境界などに祀られる守り神)として祀るらしい。突き上げ屋根といい丸石信仰といい、ことごとく独創的な発想と感性に溢れた地域ではないか。素敵ですなぁ。
石川県の白峰集落に見る豪雪地帯の養蚕農家
最後は北陸、石川県の白山市にある白峰集落を見てみよう。古くより霊山として信仰を集めてきた白山の麓に位置する山村で、豊富な山林資源を活かした製炭業や焼き畑農業と共に、養蚕も古くから盛んに行われてきた。
この白峰集落は標高約500m。白山への登山道の経路上に位置していることから、昔から大勢の参詣者で賑わっていたという。その目抜き通りには現在も旅館が多く、山村集落というよりは山間の町場といった雰囲気だ。
北陸の豪雪地帯にある山村なだけあって、雪に対する備えがバッチリだ。屋根は雪が落ちやすい傾斜になっており、また雪下ろしのためのハシゴが常備されている。内部は積雪の加重に耐えられるように柱が密に立てられているので、必然的に窓の幅が細くなっているのも特徴的だ。
冬には積雪が2メートル以上にもなるとのことで、二階部分には「セド」と呼ばれる薪の搬入口も設けられている。一階部分が雪に埋もれることを前提とした設計なのである。いやはや、凄まじいものである。
白峰集落でもやはり一階が居住スペースであり、二階が蚕室として使われていたという。……が、その主屋は雪国ならではの特徴こそ目立つものの、肝心の養蚕農家ならではの特徴がやや薄い気がしないでもない。……と思っていたら、ここにもあった。
これまで見てきた養蚕農家は換気のための窓が多かったが、こちらは開口部が少なくやや閉鎖的な印象だ。まぁ、標高の高い寒冷な土地にあるだけに、通気性よりも保温性の方が重要なのでしょう。
一見同じような建築に見えても、気候や環境によって色々な変化があるものだ。うーん、養蚕農家って奥が深い。
多種多様に進化してきた養蚕農家
蚕というデリケートな生き物を飼う場所なだけあって、養蚕農家には実に多種多様な工夫が施されているものだ。蚕の基本的な飼育法に適合させつつも、地域の気候に合わせてカスタマイズされ、独自の形式に進化していった。
今回見た養蚕農家はいずれも規模が大きく、クオリティも高いモノばかりだ。家屋を取り囲む集落環境も良いところばかりで、古い町並みとしてもオススメである。
養蚕が廃れた現在、無駄に大きな家屋を維持していくのはとても大変なことだとは思うが、集落の歴史を物語る養蚕農家がいつまでも残っていってほしいものである。
【告知】
スミマセン、個人的な告知をさせてください。やや今更感がありますが、年末のコミケで頒布した同人誌の通信販売を始めました。世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の全構成資産を網羅した無駄にマニアックな解説本と、高校時代に友達とママチャリで下関まで行った青春旅行記を販売しています。ご興味がありましたら下記サイトをご覧ください。
→閑古鳥旅行社-BOOTH