瀬戸物とIBMのコンピューター
記事の冒頭で、川上産業さんは今年で55周年だとお伝えしたのだけど、これはこのままプチプチの歴史でもある。川上産業さんはプチプチでスタートした会社なのだ。
そもそも、プチプチの一般名称は「気泡緩衝材」。その原形は、1960年代にアメリカで開発されたのだとか。
杉山さん 当時、化学メーカーに勤めていた創業者が、空気を含んだポリオレフィンのシートについての文献を読んで「この事業をやりたい」と勤めていた会社に提案したらしいんです。でも却下されてしまって。
注:ポリオレフィンはプラスチック(樹脂)の一種
じゃぁいいもんね、と脱サラして立ち上げたのが川上産業である。
しかし時を同じくして、アメリカでも気泡緩衝材の会社が立ち上がってた。1960年代、偶然にも日米同時に気泡緩衝材の夜明けが訪れる。
ただ、当時の日本は古新聞やおがくずを緩衝材に使っていた時代。気泡緩衝材は「なにこれ」と、すぐに受け入れてはもらえなかった。
杉山さん 展示会に出展したりして、徐々に販路を広げいていったと聞いています。本社が名古屋にあったこともあり、瀬戸物の梱包をきっかけに全国に広まったみたいですね。
一方そのころ、アメリカの気泡緩衝材の会社では、IBMの大型コンピューター(メインフレーム!)を包んでいたらしい。
瀬戸物からコンピューターまで。もうこの時点で気泡緩衝材の裾野の広さがうかがえる。
時は流れて1994年。社長が2代目に代替わりする。「これってプチプチだよな」と気づいた社長は、「プチプチ」を正式に商標登録することにした。
びっくりしたのは古参の社員たちである。
杉山さん 当時は社内でかなり抵抗があったみたいですね。ベテランの部長たちからは「プチプチなんて恥ずかしくてお客さんの前で話せない」なんて言われたみたいです。
2004年、プチプチは「ダイエット」してた
2000年代に入り、一気にプチプチはターニングポイントを迎える。ヤフオクなどのネットサービスが一般的になり、個人が荷物を送る機会が増えたのだ。
でも当時、プチプチは東急ハンズやホームセンターで一部取り扱いがあるくらいで、個人向けの商売にあまり力を入れていなかった。
杉山さん 私は1999年入社なんですけど、もう当時の状況がもどかしくて。社長に直接相談して、通販サイトを立ち上げました。小さめのサイズを用意したり、色を7色で展開したり、個人向けのラインナップを作ったんです。
実際につぶしてみると気持ちよくて笑顔になっちゃう。
進化はまだ続く。2004年、今度はプチプチが「ダイエット」をする。空気が入っている粒の形が、この年を境に変わっているのだ。
杉山さん 昔のプチプチは、粒の形が円柱型でした。これを2004年からドーム型にしたんです。角を取ることで、緩衝能力はそのままに、原材料を20%削減できました。
ほんのわずかな違いだけど、塵も積もれば山である。原材料が節約できたうえ、体積が減ったので一度にトラックで輸送できる量が増えた。至れり尽くせり。
そういえば、プチプチは海外の工場で作られていたりするんだろうか。ダイエットしたら飛行機や船にもたくさん載せられて、お得になりますよね。
杉山さん いえいえ、プチプチは国内でしか製造していないんです。海外なら生産コストは抑えられるんですが、商品のほとんどが空気なので、輸送コストが見合わないんですね。
プチプチを運ぶのは、ほとんど空気を運ぶようなもの。海外から運ぶと輸送コストのほうが高くなっちゃうのだ。
なのでプチプチは、工業製品では珍しい100%メイド・イン・ジャパン。北は札幌から南は福岡まで国内7ヵ所に工場があり、なるべく輸送コストをかけずにお客様のもとへ届けられるようになっている。
杉山さん これにはもうひとつ利点があります。プチプチは量がかさばるので、大量に使うお客様もそんなにストックできません。使う直前に注文されることになるので、早く届けないといけないんです。
大量にストックできないのは、川上産業さんの工場も同じ。プチプチはほぼ受注生産状態で、作っては出し、作っては出しの毎日だそう。大変だ。
杉山さん 特に大変なのは、クリスマスや引っ越しシーズンですね。物流業界が大変なときは、プチプチもたくさん必要とされるので(笑)。
1日あたりのプチプチ生産量は、富士山の面積ひとつ分だそう。全工場で1日かけて生産すれば、プチプチで富士山をすっぽり包める。
そんな量が毎日作っては出しなのだ。なんだか気が遠くなってきた。