「おいしい〇〇」ウォッチャーの存在
まずはコンビニとスーパーをあたり「おいしい〇〇」商品を探した。
合わせて当サイトの後援会的な存在である「はげます会」でも目撃情報を呼び掛け情報を収集する。
すると、なんと会員のいしかわさんが全く同様に「おいしい〇〇」という商品名に興味をもち収集し始めたところということで快く戦利写真を提供してくれたのだった。
さらに当サイトライターの斎藤公輔さんにいたっては2013年の段階でブログに情報をまとめ発信していたことも判明。
「おいしい〇〇」ウォッチャーが私を含め3人存在することが分かった。狭い範囲で3人を観測したということは、国内的そして世界的にはかなりの規模で観察家が存在するのではないか。
いつか世界大会を開こう。
食品は盛り上げられている
収集した食品についてみていく前に、今回コンビニやスーパーを巡って分かったことがある。
それは、食品はものすごく盛り上げられている、ということだ。
「おいしい〇〇」以外にもさまざまな言葉で形容されている。たとえば
・まろやか〇〇
・やさしい〇〇
・ごちそう〇〇
・濃厚〇〇
・熟成〇〇
・新しい〇〇
・これは便利な〇〇
・懐かしの〇〇
・大人の〇〇
・和の〇〇
・ステラおばさんの〇〇
といった具合だ。ステラおばさんに関しては形容詞ではないが、とにかく付随する言葉が商品を盛り上げている。
そして言ってみれば上記の形容のいずれも伝えたいことは結局「おいしい」だ。
まろやかでおいしい、濃厚でおいしい、新しくおいしくなった。
ステラおばさんだって、あのステラおばさんのレシピだからおいしいんすわ! という、おいしさの信頼を謡っているわけだ。
おいしいということを伝える。それが多くの食品の商品名だということが分かる。
「おいしい」にもいろいろある
さらに「おいしい」を凝った形で言い表している例もあった。
なるほどそうきたか……。こういうときに収集活動は揺るぐ。
さらに変化球的に「おいしい」を用いる商品名もあるのだ。
「チーズがおいしいマルゲリータ」
「パンにおいしいよつ葉バター」
「野菜美味しい和ピクルス」
「締めまで美味しいポトフ鍋スープ」
「まるごとおいしい干し梅」
こういったものだ。
少し迷ったが、今回はこの手のものは理由なき場合以外は確認対象外とした(理由があり採用したケースも)。
あくまで無邪気で無根拠的で唐突にただ「おいしい」と言っているものを探したい。
こういうときの私はストイックぞ。
「おいしい〇〇」を分類しよう
さて、そうして買い集めた「おいしい〇〇」をじっくり見ていきたい。
まずななんといってもこれだ。
牛乳である。牛乳は業界の風潮として「おいしい」のだ。
みなさんご存知なのはやはり明治の「おいしい牛乳」ではないか。
しかし明治だけではなくグリコも森永も「おいしい牛乳」を出していた。調べると他メーカーでも「おいしい牛乳」を出しているところがあるようだ。
大ヒット商品である明治の「おいしい牛乳」に追随した印象だが、とにかく業界全体で牛乳はおいしいとして売られている。
牛乳業界にうちたてられた確固とした「おいしい」ネーミング文化。
これがもしや影響を及ぼしているのではと思われたのが牛乳を出しているメーカーが他の飲料に「おいしい」を名付けるパターンだ。
メイトーは牛乳こそあの「農協牛乳」をメインに据えるが、乳飲料として「おいしいコーヒー」や「おいしいイチゴ・オレ」を出している。
今回は入手できなかったのだが雪印も「おいしい珈琲」というパック珈琲が、サンガリアにも「おいしいお茶」など、おいしいを付けた商品がある。
乳系商品を扱う飲料メーカーにとって「おいしい」ネーミングはかなり身近な存在なのではないか。
みなさん疑っているかもしれないが、大丈夫
「おいしい」
ここからは乳業を離れる。
「おいしい」と名付けられる商品には、世間的なイメージとして「あまりおいしくないのでは?」と疑われそうな商品が多いことに気づいた。
低糖質、カフェインレス、無糖といった、おいしさへリーチするにはハンデのあるワードを「おいしい」! と説得しているのではないか。
ハンデがあるわけではないが、商品の存在がやや珍しくおいしさがはかり知れない場合に「おいしい」と言う、提言の印象がある例もあった。
食品につく形容の種類として「大人の」や「和の」といったワードを最初に紹介したが、それが言えるのは商品があらかじめ共通認識としておいしいものだと分かっているからだ。
チョコレートはおいしいにきまってる。だから「大人のチョコレート」「和のチョコレート」でいける。
しかしごぼう茶は「大人のごぼう茶」ではちょっとまだ難しい。まずはおいしいと言っておきたい、そういう気持ちなんじゃないか。
もしかして知らないかもしれないから伝えたい
「おいしい」
前項と少し似るが、ある人々はおいしいことを重々知っているが、ある人たちにおいしいということがまだ知れわたっていないため、あえて「おいしい」と言っておこうというパターンもあった。
子どもたちにおいしい鯖や牡蠣のを食べてもらいたい。「ほうら、おいしいよ」そう言っているのだ。
啓蒙の意味での「おいしい」だ。
ここまでとは説として逆さだが、まったく、おいしいということが周知である、そこをいまいちど、そういまいちどご存知のとおり「おいしい」と念押ししたい。そんなパターンもあった。
蒸しパンがおいしいということには多くの人は異論はないだろう。だけどおいしいと言う。
今回手に入らなかったが、S&Bの「おいしいカレー」というレトルトカレーもこのパターンだ。
カレーはおいしい。これほどまでカレーのおいしさが当たり前になった今だからこそ、あえてもう一度いいたい。おいしいカレーです、と。
倦怠期だからこそ「愛してる」と言っていくタイプだ。
だいぶ「おいしい〇〇」のゲシュタルトが崩壊しつつあるところだが、気持ちを始点に戻したい。
「おいしい〇〇」と言うのはそこそこ自信がなければできないことだ。「おいしい」と書いてあるのにおいしくないじゃないか! とは言われたくない。
そういう意味で、とにかくおいしさに自信があるのだろうなという商品もやはりあった。
ただもう、おいしいんだろうなという感想だ。こんなにおいしいものに囲まれて満足だ。
分類は以上です。では、まとめです。
結局、なにがおいしいのか
「おいしい〇〇」をたくさん探してどういったものが「おいしい」と言われがちなのかが見えてくるといいなと考えていたが、そういう意味では圧倒的に牛乳だった。
明治が「おいしい牛乳」を発売したのは2002年だそうだ。調べきれてはいないが、この爆発的なヒットから「おいしい〇〇」ネーミングの商品もじわじわ増えていったのではないか(違ったら優しく教えてください)。
あ、「おいしい」って商品名で言っちゃっていいんだという気付きが食品メーカー間で広がったとするとおもしろい。
おいしいと遠慮なく言う、そういう種類のビジネスがあったのだ。