うそ辞典を探してた
うそしか書いてないうそ辞典を探したのだが残念ながらそんな辞典はなかった。ただ、「世界ウソ読本」という本はあった(M・ハーシュ・ゴールドバーグ・文春文庫)。 第1章が「嘘入門」というしびれる本である。
しかもこの本の著者プロフィールには
「(前略)現在はボルチモアで広報コンサルタント会社を経営。かたわら著述活動を続け、『ヘマ大全』他の著作がある」
とあるのだが、『ヘマ大全』なんて本は出てないのだ。うそだったらいいなと思っている。
気づいたら家に辞典がたくさんあった。
でも、どれも役に立たないものばかりである。うそしか書いてない、自分の仕事とは関係がない、載っていることが限定的過ぎる…。
覚えなければいけないことがひとつも載ってない。将来役に立つことがないのだ。
だから純粋に楽しみとして読むことができる。へ~、ゲラゲラと読んだ次の瞬間、忘れていい。
そんな頭を良くしない辞典を紹介したい。
(この記事は小出し記事で連載していたものをまとめて、さらに追加したものです)
イギリス・アイルランドで本、雑誌、個人の日記、手紙に書かれた迷信、フィールドワークで集めた迷信を集めてある。
500ページの本に2段組でみっちりと迷信が載っていて偏執的な迫力がある。
しゃっくりを止めるためにお湯をゆっくり飲むとか、びっくりさせる話は聞いたことがあるが思い出すだけで止まるのが迷信として新鮮だ。異国である。
こちらの迷信は怖い。
頭蓋骨にはえた苔が効くという迷信は複数載っていた。しかも効果があるのが「鼻血」だ。頭蓋骨にはえた苔なら死人が生き返るぐらいしてほしいのだが、鼻血が止まるだけ。
贈り物として取り寄せるというのも分からない。そんなお取り寄せグルメみたいな扱いだったのだろうか。
迷信事典でおもしろいのはうんこを踏むと縁起がいいことになっていることである。
うんこを踏むのが縁起が良いだけではなく、あとまで気づかないこともいいし、気づいたとしても拭いてはいけないのだ。どれだけいいものなんだろう、うんこ。
うちのマンションの前に犬にうんこさせるなという看板が最近取り付けられたが、あれはラッキーを遠ざけているので外したほうがいいと管理人に言おう。
こちらは日本の俗信辞典。こちらにもうんこについての俗信が載っていて、西洋のそれにかなり近いのだ。
洋の東西を問わず、うんこを踏んでラッキー!と言っているのが人間なのだ。しかし、髪が短くなるのは床屋に行くとかそういう話ではないのだろうか。
この日本俗信辞典で気づいたのが、昔の日本人はすぐにおしっこかけることである。
どれもひどいことになるからやめておけという俗信だが、わざわざそう言うってことはかけていたのだろう。すごくかけてそうだ。
しもねたが続いてしまったので爽やかな俗信も紹介したい。
カメは神の使いだから大事にするのは分かる。分かるのだが、そのもてなし方が酒と御馳走、車で市内を走るという帰省したときの父と同じ方法なのが微笑ましい。
きっとマックスバリューでたくさんビールを買ってくれたりするのだろう。
鳥の声の聞きなしはいろいろあるがこれはずいぶん先輩風を吹かせている。
カラス強い!
通知表のコメントの文例集である。完全に趣味で読んだ。例えば体育が苦手な子どもに対してのコメント例はこうだ。
一生懸命練習したところを褒めるのだ。なるほど、これは通知表に書かれた気がする。そんなに一生懸命練習してないんだけどな…と思ったのを覚えている。
元気をほめるのがポイントだ。元気、声が大きい、目がきれい、姿勢がいい、どれも含みがありすぎてボジョレーヌーボーのコメントのようだ。
中学校編になると、もっと込み入った問題になってくる。
テストに出るところだけ覚えようとするなよ!という先生のメッセージが伝わる。
いま仕事柄すぐに「これバズるかな?」と言ってしまうのだが、「ここテスト出るかな?」のマインドに似ている。
また見に覚えがあるフレーズを見つけてしまったが、まさにこれが本を紹介する連載である。
小学校編、中学校編ともに巻末に言い換え事典があってそれがまたすばらしくて秘密にしたいぐらいなので2つだけ引用する。
え、サバイバル? 通知表で唐突にサバイバルの文字が現れたら要注意というか、うちの学校そんなこと教えてましたっけ?と思うだろう。
奥山 益朗編 東京堂出版
罵る言葉がたくさん載っている辞典。
「馬鹿」や「こざかしい」といった一般的なものから「権高」(人を見下して傲慢なさま p.111)「表六玉」(愚か者・間抜けな人を嘲る言葉 p.270)など聞き慣れないものまで載っていて、なんというか、ストレートに言うとすげえおもしろい。
なかでも心の印画紙に焼き付けたいと思うのはいま使われなくなった悪い言葉である。
いつか使いたいと思う反面、いつか言われたら気づかないだろうなという不安もある。
江戸っ子っぽい語感の罵倒語。最近の流行りのビッグサイズはかなりぞろっぺえである。「両親のどちらにも似ずぞろっぺい」という例文に昭和みを感じる。
ぱらぱらめくっていて気づいたのが酔っ払いを罵る言葉のバリエーションの多さだ。
だりむくれ
酔って正体をなくし、へまをしたり、くどくど戯言を言う人を罵る言葉。「だりむくり」とも言う。ぞんざいな江戸語。
「酔っ払って何処へ帰るのか分からないらしい。だりむくれもいい所だ。(p.182)
とっちり頓馬
酒に酔ってぐでんぐでんになった馬鹿者を罵る言葉。(p.211)
「酒に酔ってぐでんぐでんになった馬鹿者」と解説の時点で罵倒語である。
とろっぺき
泥酔してぐでんぐでんになること。また、そのような人を罵る言葉でもある。(p.216)
どろんけん
へべれけに酔っ払うことで、オランダ語のドロンケン(dronken)である。幕末から明治初年に使われた言葉だろう。(p.217)
とろっぺきでトロツキーみたいだなと思ったら、どろんけんは本当にオランダ語だった。ビアバッシュなどと今も外国語で言いたがるが100年前の人も同じだったらしい。分かるよ100年前の人!
笹原 宏之著 三省堂
本気を「まじ」、麦酒を「ビール」などイレギュラーな読みを当てはめている言葉を集めた辞典。出典は最近のマンガや小説、歌など身近なものばかりである。
でも「卑弥呼」も「大和」ももとの日本語の音に漢字を当てはめているわけであって、日本語は全部当て字と見る立場もある、と巻末の解説に書いてあった。夜露死苦も4649も6487も伝統的な日本語なのだ。
英語や若者言葉の当て字はまあまあ想像がつくし、そんなにバリエーションも少ない。
無限なのは「ひと」「こと」などの一般的な言葉である。文脈に合わせてさまざまな漢字が当てられている。
男でも女でも孫でも「ひと」である。そしてサピエンスを超えて猫まで「ひと」になった。哺乳類なら概ね「ひと」であろう。
夏目漱石が100年前に他と書いて概念になっているのはかっこいい。
ではドンペリ片手に次の辞典。
金水敏 編 研究社
「おれ」「~ぜ」は男、「わし」「~じゃ」は老人、など特定の人物像と結びついている言葉づかい(役割語)を集めている辞典。
おもしろいのは役割が九州「~でごわす」や、軍隊「~であります」だけではなく、ロボット「ワタシハ~」などのフィクションまで網羅していること。
うち
関西弁で一人称を表す代名詞として、女性に多く用いられる。(中略)1990年代後半には、〈ギャル語〉の一人称の一つとしても用いられた。
例)マンガGALS! ①(藤井みほな)〔1999〕「(渋谷のギャル)とうちらが最初にチェキったんだからここはうちらのナワバリなんだよ!!」
(p.26)
いつからかギャルの一人称は「うち」だなと思ったがもう20年前からうちだったのだ。
自分
(前略)主語としても使える一人称や二人称の代名詞としての用法がある。
ポピュラーカルチャーの作品中では、軍隊的な組織、運動会系サークルの用例が中心となる。(〈若者ことば〉)。
刑事ドラマ『西部警察』の主人公。大門圭介(渡哲也が演じる)が「自分」を使うことで有名。
(p.103)
高校生のころ、教育実習に来た大学生が自己紹介で「自分は~」と言ったのを覚えている。もちろん体育の教育実習だった。
ぼく
主に男性が用いる一人称代名詞。
未成年の女性が「ぼく」を用いることは現実でもときどき見られる現象だが、マンガ・アニメなどでは、手塚治虫『リボンの騎士』の「サファイア姫」の例が早い(p.166)
われわれ
一人称の代名詞「われ(我この複数形。「わたしたち」と同意だが、独特の硬い語感を持つ。(〈宇宙人語〉)(p.211)
妻の実家では「我々はそろそろ帰るとするか」などと一般的に使っていたそうだが、我々と言っている友人が宇宙人のようだと揶揄されているのを見て『そうか、うちは宇宙人だったのか…』と気づいたそうである。
さて、わちきの辞書連載もタイトルにうっかり「へんな」とつけたであるからして、版元の人に見つかると怖いばってん、次も読むぜよ。(役割語の濫用)
松浦政泰著 本邦書籍
罰ゲームだけではなく、847種の遊びが載っている本で、1907年(明治40年)の発行。いまから100年以上前である。入手したのは1984年に再販された復刻版。いま1万以上の値がついているが、僕が買ったときは5000円ぐらいだった。
「負の罰」という項目に罰ゲームが100載っている。いくつかピックアップすると…
けっこうきつい罰ゲームが多いが、ヒシュ、ハシュ、ホシュでくしゃみに聞こえるのは面白そう(なんでこれが罰ゲームなんだろう)なので今年のはじめにプープーテレビでやってみた。
0:49あたりから
100年前の人も「うーん…」と思っただろう(そういう罰ゲームなのか!)
釘を木に打つのが罰ゲームになっているのかは謎。女性はそういうことをしない時代だったのだろうか。
罰ゲームのほかに今でも面白そうな遊びが載っている。
ハンカチが飛んでいるあいだだけ笑う。それって面白いのだろうか。と思ってやってみたらむちゃくちゃ面白かった。(上の動画の5:46あたり)こういう理由のわからないおもしろさを見せつけられると焦る。
百目会(目は目玉じゃなくて、重さの単位。百目で375g)
あらかじめ来遊の客になんでもちょうど重さ百目のものを包んで持参せられたきことを通知しておく。物は食用物でも日用品でも玩具でも何でもよい。
包は玄関で受け取り、番号をつけてさらにこれを客間の真ん中に積み上げる。
やがてくじを引かせて一番と番号を読み上げる。一番のものは出てきて一番の包をつけとる。受け取ってすぐに一同の目の前で、これを開かねばならぬ。ひげの紳士に大根とネギがあたり、梅干婆さんに赤ん坊の玩具があたる。一同腹を抱えて笑い興ずるのである。
重さ縛りのプレゼント交換だ。これはいい。梅干婆さんは引用するときに漢字をひらいたが原文では「梅干婆三」と書かれていた。バーゾーかと思った。
あ、これ知ってる。という遊びも載っている。
3の倍数だけバカになるあれである。英語圏にはもとから3の倍数だけブタになる遊びはあったのだ。説明が遅れたがこの本は著者が英語の遊びの本から面白そうな遊びを翻訳して紹介している。
ちなみにブウの上位バージョンで、3と3の倍数をゲー、5はシュー、11はコッケコーローとするのも載っている。
こちらも上の動画、1:57あたりで試している。恥ずかしいぐらいにできてない。
J.C.カリエール 、G.ベシュテル
国書刊行会
1960年代にフランスで編集された辞典。過去に刊行された本からおかしなことを言っている部分を集めてある。
前書きに「愚かしさがあるからこそ、知性も存在しうるのである」という考えには賛同するが、フランス人のウイットなのかよくわからない項目が多い。
そのなかからスカッとした愚説を選ぶと
亀は卵をじっと見つけて孵すという。ジャン・モケ『アフリカ、アジア、東西インド紀行』(1617)
すこし考えればわかるように、鳥類の構造は、一般的な気球の構造とはまったく異なっている。
「マガザン・ピトレスク」(1833)
パセリは確かに陽気で活発、かつ繊細な魂を持っている。
ルイ・エステーブ『ニーチェからブエリエまで』(1911)
ウミガメが流す涙は涙ではなく、目を乾燥から守るための粘液だと聞いたことある。それにしてもそれで卵を孵すことになっているのはおもしろい。
こういう考えを安易に過ちと見ないで、発展する過程の礎として捉える……ということがまったくできず、ゲラゲラ笑いながら読んでしまう。
下村忠利著 現代人文社
「被疑者・被告人との正確なコミュニケーションと信頼関係を築くために」と帯にある通り、刑事事件を担当する弁護士のための辞典である。
シュン太郎
今まで強がっていた者が、急に元気がなくなり、おとなしくなること。「あいつオレを見たとたんにシュン太郎になりよったわ」(p.11)
ダボシャツ
かつて、ヤクザや獄道者が着ていた古風なシャツ。フーテンの寅さんが愛用している。「ダボシャツで歩いとったら職質されました」「えらい時代になったもんや」
(p.74)
この辞典は用例が味わい深いのだ。ダボシャツの「えらい時代になったもんや」はほぼ用例に関係がないが、味わいである。
そしてのあとの「先生、姑に吠えられてパクられました」は被告人が弁護士に言っているセリフだろう。
「姑」「パクられました」と隠語だらけのセリフだが、シーンとしては泥棒が犬に吠えられていてサザエさん的である。
まるで風呂屋にでも行くように、という描写にリアリティがある。洗面器にナビを入れて帰ってきそうだ。
ムキムキ
無期懲役が2件の受刑者。無期懲役の仮釈中に事件を起こし、更に無期の判決を受ける。当然、仮釈は取り消され、先の無期が復活する。そして新たに無期でムキムキとなる。
(p.131)
ヌリ物
バターやマーガリン、チョコクリーム等パンに塗る物のこと。共同室内で賭け事をし、「ヌリ物」を賭ける。(p.144)
花輪和一の「刑務所の中」でもマーガリンがすごくうまいものとして描かれていた。ムキムキは本当かなと思うがだじゃれがおもしろい。(状況としてはまったくおもしろくない)。
なにかの隠語かと思ったらどストレートだった。ほっこり。
米川明彦 編 文理閣
新語辞典の逆で、消えゆく言葉を集めた辞典。女子大で教えている編者が大学生と共に作ったようだ(ゼミかな)。挿絵が大学生が描いたイラストで手作り感がある。
すいちゅうめがね[水中眼鏡] ゴーグル
「水中眼鏡」は明治時代いらい使われている語。「ゴーグル」は英語 gogglesで、水中以外に雪よけ、ちりよけにも使う眼鏡。
コメント
おばあちゃんは今だに「ゴーグル」という者が何なのかわかっていない。(p.81)
そんな家庭内の話を辞典で書くなよという気もする。
このほか、ちょうめん[帳面] 、えりまき[襟巻き] 、ねまき[寝巻]など最近言わなくなった言葉がならんでいる。だが、たまにわからないものもある。
ドンゴロス
例文
孫「この服いいなあ」
おばあちゃん「こんなドンゴロスみたいなの、やめとき」
解説
「ドンゴロス」は英語、dungarees で、麻袋。梱包、テント、日除けに使う。滋賀や大阪方言で悪い織物、悪い着物の意で使われる。(p.108)
コーヒー豆が入っているような袋だろうか。しかしそんな物に例えられる服っていったいどんな服だろう。
最後にコメントがよかったもの。
なんば とうもろこし
解説
「なんば」は「なんばん(南蛮)」の変化した語。
北海道・東北・北陸・四国・九州では「とうきび」と言う。中部地方では「もろこし」「とうまめ」「とろなわ」、名古屋辺りでは「こうらい(高麗)」関西では「なんば」と言う。標準語では「とうもろこし」であるが、このように使用地域が狭い。
コメント
最初は何のことかと思ったが、今は私も使っている。(p.109)
「今は私も使っている」。老人語だけど復活しているのだ。
杉村喜光 編 三省堂
アンドレ・ザ・ジャイアントの「人間山脈」、にきび「青春のシンボル」、品川祐の「おしゃべりクソ野郎」などの新旧あらゆる別名を集めてある珍しい辞典。
エピソードがそのままネタになっていてほぼ読みものである。この連載で紹介している辞典は全部そうなんですが。
島崎藤村
【蟹の横ばい】明治女学校で教師をし始めた時、恥ずかしさからなのかなぜか毎回黒板側を向いたまま横向きで入って来て、時間が来ると横向きのまま教室を出て行ったことから。
ほぼインベーダーだ。島崎藤村のもうひとつのニックネームも良い。
これぞ自然主義という弱々しさ!
ルイ14世の太陽王は有名だが、王をつけただけでそれ悪口じゃん、みたいな王もいる。
ルイ 六世【肥満王】
太っていた。(p.561)
シャルル二世【禿頭王】
毛深かったことから皮肉で逆の名を与えられたとも、領土を失ったことからとも。(p.247)
エゼルレッド二世【無策王】
十歳で王位に就いたが侵略してくるノルマン系民族デーン人に対して何も手を打てなかった。無思慮王とも。(p.80)
無思慮王とも。と追い打ちをかけるような「とも」である。だが日本も負けてなかった。
頻尿を抑えるサプリのCMに出てもらいたいほどのエピソードである。
すべて紹介したくなるが(いまこの原稿を書いている間も30分ほど読みいってしまった)、この辞典、「武蔵の小京都」「北の小京都」など小京都は37、「オホーツク富士」「神戸富士」など各地の富士は217ヶ所も載っている。それを読んでいるだけで1時間が5分で過ぎる。
ちなみにグアテマラ富士はアグア山だそうだ。
けっこう富士山だった!
高さ3,760mで富士山とほぼ同じなのも富士山だ。きっとグアテマラの人は静岡で「アグア山だ!」と言っているだろう。
昭和7年に発行された辞典。当時の新語や冗談めいた言葉が集まっている。要はおもしろ辞典である。でも、前書きが戦前の本らしく大きく語っていてかっこいい。
滑稽、諧謔、洒脱等の有っている無邪気なる茶気や可笑味は真に純であり、天真爛漫である。(中略)病的や厭世観に傾く悲しみなどサラリと奪い去ってしまうところこれ全くの人生のオアシスである。
(中略)
即ち茲(ここ)に社会のあらゆる茶気可笑味ある単語を網羅し、「社会ユーモア・モダン語辞典」と題し世に問う所以である。
本辞典は倦時にこれをひもといて心気を一転し、元気更新の妙薬となる。
(中略)
これが本辞典の使命である。
社会は文化の進むにつれてユーモラスの表現をますます要求して来る。
此の時にあたり本書は小著ではあるがその先端を切る面白い興味ある辞典であると信ずる。
ユーモアは人生のオアシス、社会にとってユーモアは必須。88年前に書かれた本だがまったくその通りだ。赤べこぐらい頷いた。
デイリーポータルZの大先輩だ、そう思って「和製英語」の欄を見るとどうも僕が知っている和製英語と違う。
あれ、先輩、なんか長音いれたら和製英語だと思ってませんか。
スケベリズムに至ってはかなりストレートである。イヤラシストじゃだめだったのだろうか。
だが、戦前に日本が統治していたパラオではビールを「ツカレナオース」と呼ぶそうなので、雰囲気英語は一般的だったのかもしれないし、これに習ってtiktokiを「カクカクウゴーク」と呼びたい。
ほかにも時代を感じる言葉が載っている。
モンロー主義もニーチェも1932年ではちょっと前の出来事・人ぐらいの感覚だったのだろう。でも学校で習ったモンロー主義(よそに関わらないから自分たちにも関わらないでくれ)とイメージが随分違う。
88年前の「ぴえん」みたいな言葉がたくさん載っているこの辞典、国会図書館のサイトで公開されている。
いま読んでもなにひとつも覚えなくていい。気楽な読書にはぴったりだ。
「」や・※など文章に使う記号の辞典。見たことがない記号がたくさん載っていてぞくぞくする。深海魚図鑑のようである。
数学で使う記号。「犯人は20代から30代、もしくは40代から50代」みたいな記号である。
ライターのほりさん(数学できそう、と思って聞いた)に聞いたところ、高校の数学で3回ぐらいしか出てこないレアキャラとのことだった。残念ながら僕は高校の数学の時間の記憶がない(UFOにさらわれていたのだと思う)。
∌
元として含まない
数学で、∌の左辺を集合として「A∌a」のように示し、集合Aがaを要素(元)として含まないことを示す。 (p.260)
説明を読んでの感想が「そんな名前のバンドあったな…」としか思わなかった(凛として時雨)。
ヿ
こと
カタカナの「コ」と「ト」の合字。「…すること」「…であること」などの形式名詞の「こと」に当て、「こと」と読む。(p.283)
罫線ではない(罫線はこれ ┐)。
2つのカタカナを合わせた文字、なんてものがあってパソコンで変換されるのが驚く。嵐山光三郎のなのでRがオフィシャルになったようなものだ。
吾輩は猫であるの序文に引用されている正岡子規からの手紙にこのヿが使われている。
「話もできなくなってるであろう。」という重い文章だが「話モ出来ナクナッテルデアロー。」とカタカナで書かれたのでアイアンクローと読み間違えた。
ゟ
平仮名の「よ」と「り」の合字。動作の起点や比較の基準などを表す助詞の「より」に当て、「より」と読む。
用例 会席コース 御一人様一万円ゟ
(p.283)
ヿ(こと)もそうだったが、どう重なって「よ」「り」が「ゟ」になっているのか分からない。ただ、変換候補にゟが出る。このPCとは古い付き合いだがお前こんな漢字知ってたのか?と驚く。
〰
波状ダッシュ
主に漫画や娯楽小説などで「ー」の代わりに長音符号として使われる。震え声、凄みのある声、絶叫などを表すのに使われることが多い。
用例 ひえ〰っ!
用例 見ぃた〰〰な〰〰〰ぁぁぁ
(p.71)
~よりももっと波を打った長音があった。
チャットなどで「お世話になっております~」と書くときに「お世話になっております〰」にするとライバルに差をつけられるぞ。
いろんな文学作品・まんがなどから食べたときの表現を集めてある。突っ込みどころがある表現が載っているわけではなく、かなりオーソドックス。でもたまにへんなところから真に迫る表現がある。
コロッケ
ブルドックソースをコロッケ全体にまんべんなくだぼだぼにかけてくれた。[椎名誠/気分はだぼだぼソース] (p.53)
蒸し魚 清蒸
舌ビラメの清蒸(チンジョン)が出てきて、レンゲで身をつきくずして、魚の身と、ネギと、豚肉と、シイタケと、そのスープをアツアツのご飯にのっけて食べたら「WOW!」つい英語で叫んでしまった。[開高健/小説家のメニュー] (p.179)
魚肉ソーセージ【じっくりいため醤油がけ】
5ミリぐらいの厚さに切って油を引いたフライパンでいためます。忙しくひっくり返したりせず、片側ずつ表面がパリッとなるまで。すると、ふわふわで軟弱だったソーセージが「俺は、おかずだ!」と自分の使命に目覚めます[野瀬泰申/全日本食の方言地図](p.215)
カリカリになった魚肉ソーセージ!
マヨネーズがついて薄暗い居酒屋(鮒忠とか)で380円ぐらいで注文したい。しかし開高健さんってWOW!って言っちゃうようなキャラだったんですね。
ちーちゅー! ステーキでちーちゅー、という可愛さ。
脂が焼ける音だ。
いわゆるオノマトペを集めた辞典。あまり意外なオノマトペはないのだが、異彩を放っていたのがこちら。
すってんどー
非常に重くて大きい物が、勢いよく、ものの見事に転倒、落下する様子。「相手にかわされた力士は、勢いあまってスッテンドウと転がった」。
はずみをつけて転ぶようすを表す「すってん」と、重量があるものが強く当たる音を表す「どー」が合わさった語。転倒の瞬間から、転倒後地面を揺るがす様子までをまとめて表現する語。(P.258)
転び → 地面が響くの2シーンを表している擬音語である。シューマッハーのようだ。シュー[通り過ぎる]→マッハー[音速]。しかし残念ながらシューマッハーは擬音語ではない。でも100年後はなってるかもしれない。
この辞典の白眉は序の使いかただった。
いい歳をしてつまらない男にぴちゃぴちゃするから、霜枯れたことになっているとこきおろす(幸田文「流れる」)
「いちゃいちゃ」と言わずに、「ぴちゃぴちゃ」を使うと、男といちゃついているときの音まで聞こえてきます。ちょっと使い方を変えただけで、擬音語・擬態語は新鮮な言葉として蘇るのです。(viii)
オノマトペはずらして使うべし。いいこと聞いたぞ。この幸田文さんはおいしさの辞典でステーキを焼く音を「ちーちゅー」と書いていた人だ。
昭和10年から40年の映画から気が利いているセリフを集めてある名著。どれも昔の俳優のぴんとした声で再現される。
「物事をむき出しにしてはいけません」(川島雄三『しとやかな獣』)
下世話な話をし出した相手に。
(p.21)
「あたしはデラックスでいきたいわ」(増村保造『氾濫』)
(p.71)
「こういう味で願いたいねえ」(豊田四郎『駅前旅館』)
うまいものはこうほめよう
(p.162)
()内の『』で括ってあるのが元になった映画タイトル・その前の名前は監督名
おいしいでも旨いでもなく、「こういう味で願いたい」という婉曲さ、でありながらしみじみ旨そうだ。きっと煮物とか煮付けではないか(映画を見てないのでわからない)。二郎みたいなラーメンでないことは確かだ。
最初ではなく、最後だけ集めた雑学本。ビートルズの最後のライブやナポレオン最後の住所などが載っている。のだが、たまにわからないものがある。
王も少なくなってきているし、猿にかまれることも減るだろうからこれが最後かもしれない。それにしてもこんな項目よく思いついたな。
この「アメリカ愚図クラブ」がわからない。当然検索しても出てこないし、元の名前もわからない。雲を掴むような雑学である。
女子高生、大学生、中学生から聞いた話をまとめた本。1995年発行。半分以上がシモネタとドラッグの話で平成初期のコンプラ感覚を味わえる。25年でずいぶん変わった。
人気アーチストのライブチケットを取りたいけど、電話がつながらないぞってゆう時は国会議事堂前の公衆電話からかければ、必ずつながるらしい。(中学2年/かおる)(p.134)
会ったこともない自分の友達の友達や彼に、突然お手紙書いちゃうってのがブームだよ。(中略)最近は友達の彼に「今度みんなで海行こうね。じゃ彼女と仲良くしてちょーだい」みたいな手紙書いたけど、返事は返ってこなかった。ま、そりゃそうか。(U高2年/朋子)(p.200)
国会議事堂前というもっともらしさ。
後者にいたってはうわさというか、この朋子さんだけのブームだった可能性もある。「仲良くしてちょーだい」「ま、そりゃそうか」という女子高生の言葉も今となってはなぜかおっさんくさい。
Amazonには画像がないが、こんな表紙である。
うそしか書いてないうそ辞典を探したのだが残念ながらそんな辞典はなかった。ただ、「世界ウソ読本」という本はあった(M・ハーシュ・ゴールドバーグ・文春文庫)。 第1章が「嘘入門」というしびれる本である。
しかもこの本の著者プロフィールには
「(前略)現在はボルチモアで広報コンサルタント会社を経営。かたわら著述活動を続け、『ヘマ大全』他の著作がある」
とあるのだが、『ヘマ大全』なんて本は出てないのだ。うそだったらいいなと思っている。
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