個人的に年一回のお楽しみであるコントの公演をやるべく俳優や友人たちと集まって稽古をしている。そこで「人がたくさんものを食べてる様子」をやってみることになった。そのときも今回の再現と同じく男性3人である。
我先に食べると恐ろしい
3人が小さな菓子パンを奪い合うように食べる。口元に持っていくだけで実際には食べてはいないのだがこれが恐ろしいのである。
令和の時代とも思えないショッキングな映像となった。 現代なのに黒澤明のモノクローム映画を見ているようだ。
なんで我先にものを食べてるフリをするだけで恐ろしいのか。大食い大会の映像を見てもなんとも思わないのになぜだ?
飢餓を想像させるからだろうか? サルっぽいからだろうか? 一回よく考えてみたい、と3人集めてまたやってもらった。
再現してみると恐ろしくない??
3人集めて再現してみると、そんなに恐ろしくはなかった。
一体なんだろうか? もしかして派手に企画の失敗をやらかしたか? 原因を探ろう。恐ろしく見えたその時との違いといえば、当時は和室で今は洋室であり机を使っている点だ。
地べたに置いて三人でまた同じく我先に食べてもらった。
人は地べたで我先に食べると恐ろしい
始まるとすぐに笑った。明らかに恐ろしいのである。机をなくして地べたで食べるだけで恐ろしく見えるのである。
一体どういうことだろうか。地べたが問題なのだろうか? もちろん地べたで普通に食べるとこうである。
全くふつうである。これはやはり「地べたで」「我先に」食べるから恐ろしいのである。これは机やイスという文明が失われたことに由来するのだろうか?
ここでパンから個包装のお菓子に食べるものを替えてみた。包装という文明の薄皮一枚を加えたのである。
個包装のお菓子でも恐ろしかった。私達の平均賃金が下がってるとかスタグフレーションがやってくるとかそういうレベルではない恐ろしさである。それがこんな200円もかからないお菓子で達成できるとは…
包装一枚程度の文明では恐ろしさは変わらなかったので今度は食器を使ってみたい。
食器という文明で恐ろしさは減るのか?
机を使うと恐ろしくなくなる。でも包装くらいだと恐ろしい。では食器はどうだろうか。食器を使うことで恐ろしさはましになるのだろうか。
ごはんを山盛りに持って直接食べてもらった
3人で直接 ごはんを食べてもらう。たしかに異常事態なのだが、これがなぜかそこまでは恐ろしくないのである。
箸で一つの器から3人が食べると隣の人と肩があたり非常に食べにくそうだった。食べるスピードが遅くなったこともあるかもしれない。
一回よそってから食べることにしてみるとどうだろうか。
茶碗によそって食べるスピードを上げてみたところ恐ろしさは上がった。しかしやはりパンほどではなかったようにも思う。
ただ、人の器からとって食べ始める瞬間があり、これはなにか別の恐ろしさがあった。
映像でもどうぞ。他人の器からも食べるような映像のショッキングさはなんだろう…
ここで「パン」や「ごはん」という「安そうな食品を奪い合うこと」が飢餓状態を連想させるのでは? と考えて、豪華な食品にしてみた。といってもローストビーフであるが、ナイフとフォークで食べるとそれは「豪華な」イメージが出る。
豪華な食事を奪い合うと恐ろしく見えるのか?
ナイフとフォークを使ってローストビーフを奪い合うと恐ろしく見えるのだろうか?
世界の終わりの貴族みたいなものを見た。この人達は優雅な貴族的であるという気持ちと、ものを奪い合って恐ろしいという相反する気持ちが拮抗するのである。
恐ろしさと優雅さ、私は本当によくわからないものを見た
なんだかわからない感情を持ち、この日私はよく寝付けないこととなった。
みかんをむくと恐ろしくなくなる。これはスピードが落ちることで「食べるものがないという恐怖がなくなる」のか、皮をむくことで「サルっぽくなくなる」ことになったのだろうか。
ここでサルっぽさを考えるために背中に何かがあって食べるフリをしてみよう。
サルののみとりが恐ろしいというわけではもちろんない。ということはやはり「サルっぽい」ことが重要なわけではないのだろう。
ここでみかんをむかないのと
みかんをむいて食べるのを動画で見比べると違いがわかりやすいかもしれない
文明などなくて食べ物もない「人間の最初の方」であることが恐ろしいのかもしれない。
サルではなく、人類の最初に戻る恐怖か
サルらしいふるまいを見ることが恐ろしいというわけではないようだ。サルのものまねを見てもそうだ。
だが人間がサルのようにものを奪い合って食べ始めるとそれは途端に恐ろしく見えるのである。
私達が人間である状態から食べ物と食器や机という文明をはぎとった瞬間、つまり原始的な状態であることが恐ろしく見えるのではないか。
拾い食いをすると人は驚く。人のものを盗み食いしても驚くだろう。私達は当たり前にふつうに暮らしている。ふつうに暮らしているのだが、私達の生活の周りにはこのような見えない壁のようなものがあり、それが高度に組み上がってふつうの生活というものが出来上がっているのだろう。
ライターからのお知らせ 金曜からこれが始まります
こうしたくだらない実験を繰り返して出来上がった思考実験とも言えるコント公演を毎年一回やっています。今年は俳優の濱津隆之さんがゲスト出演してくれます。
明日のアー本公演vol.7『そして聖なる飲み会へ』
【作・演出・出演】大北栄人
【出演】藤原浩一、八木光太郎、7A、よシまるシン、桑原美穂(左右)、花池洋輝(左右)、郷田明希、中島愛子(張ち切れパンダ)、栗田ばね、トチアキタイヨウ、張江浩司(来来来チーム・ハリエンタル)【ゲスト出演】濱津隆之
【日程】2021年12/10(金) 18:00、12/11(土) 13:00 17:00、12/12(日) 11:00 15:00 全5回公演
【会場】Kamata Souko(カマタソウコ) 住所:東京都大田区萩中3-22-7
【チケット料金(税込):自由席】
[前売]一般:3,500円、学生(枚数限定):3,000円
URL: http://t.livepocket.jp/t/nomikai