そして踊りは佳境を迎える
彼女は休憩時間のたびに僕のことを自分のうちわで扇いでくれながら、とても親切に踊りを教えてくれた。
スポンジのような僕の踊りのDNAに彼女の言葉は水のようにしみこんでいく。すると次の曲では前の曲よりもずっと踊れるようになっているから不思議だ。
ここの盆踊りの中には、途中で輪の隣の方と手を繋ぐ踊りがある。
ここ、たぶん全体のハイライトなので超重要。
僕は最初、おそれおおくて手を繋ぐことなんてできなかった。なにより踊りの歩幅が合わないので隣の人と手が届かなかったのだ。
しかし彼女に習い踊りを覚え、練習しながら何周かするうちに、僕とお隣との距離は近づいていった。そしてついに
輪、連結。
この時、僕はようやく輪の中に入った、と実感した。中に、というよりむしろ輪の一環になったのだ。子供の頃からの夢が叶った瞬間だ。
自分でいうのもなんだが、この後の僕の踊りの上達ぶりといったらすごかった。
ここの盆踊りでは5~6種類の曲をランダムに繰り返しているのだが、おおよそ全ての曲でなんとなく皆と同じような動きができるようになってきたのだ。
こうなってくるとがぜん中にいるのが楽しくなってくる。
しかし自分の踊りがまだまだだな、と実感させられる事実もあった。とにかく僕のゆかただけが豪快にはだけるのだ。そのため踊りが一段落すると不測の事態を避けようと、必死で前を合わせて帯を締め直す必要がある。他にそんなことやっている人はいない。
やはり足の運びや腕さばきが乱暴なのだろうか。この当りは次への課題としておきたい。
体が動くようになると高揚感が増す。腹の底に響く太鼓の音もずんどこずんどこ僕のテンションを引き上げていく。
これは今でいうレイヴパーティーと同じではないか(行ったことないけど)。クラブなんてなかった時代から、僕たちの先祖はこうして踊りを楽しんでいたのだ。
書きながら読み返していたのだが、かつてこれほど熱のこもった盆踊りのレポートがあっただろうか。
この記事が公開される15日も、おそらく盆踊りは行われているだろう。みなさんもぜひ輪の中から見た世界を一度体験してもらいたい。ほんと、楽しいから。
すみませんが今、僕はこっち側目線でもの言っていますよ。
初心者に優しかったです
この後、じつはあの「先生」の娘さんが現れて、しかもその方が美人だったというドラマがあったりした。撮影していた石川さんもその事態に気付き「安藤さん安藤さん、いい写真撮りましたから絶対記事に使って下さいよ」といっていた。でももちろん使わない。
今回はたまたま知り合った女性に話しかけてもらったことから、僕は踊りの輪にスムーズに入れたわけだけれど、たとえそうでなくても、盆踊りというのは僕が考えていたよりもずっと優しくて、とてもオープンな雰囲気で初心者を迎えてくれるのだとわかりました。
最高に楽しかったです。来年も、また行きます。