![IMG_6989-topaz-low resolution-640w.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/9117/1361/5047/IMG_6989-topaz-low_resolution-640w.jpg)
![IMG_6982-topaz-low resolution-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/3317/1361/5043/IMG_6982-topaz-low_resolution-640w-faceai.jpg)
驚くべきリアリティ
突然本物のF1の動画が出てきて驚かれたことと思うが、じつは上の動画、本物ではない。ざんはわの2人による形態模写&声帯模写なのだ。このリアリティを感じてもらえただろうか。
しかもこのF1には続きがある。人が乗り込むことも可能なのだ。ドライバーは佐野が担当した。
![IMG_6985-topaz-low resolution-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/1817/1361/5045/IMG_6985-topaz-low_resolution-640w-faceai.jpg)
![IMG_6994-topaz-standard v2-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/5717/1361/5053/IMG_6994-topaz-standard_v2-640w-faceai.jpg)
ひとつの完成形
もちろん上の写真もF1ではない。3人による形態模写なのだ。わからない人は、よく見て欲しい。ここはサーキットではなく公園だし、ドライバーも眼鏡をかけている。しかしこれはどこからどう見てもF1だ。ノーズにフロントウィング、リアウィングに車体のボリューム、流線型、そしてドライバーの頭。すべて不足なく表現された、完全なF1。近くで鳴いているカラスの声すらもTスクエアに聞こえる。
さて、これが人間のF1化のひとつの究極の形であることは間違いない。写実的な形態模写としては完成形といえるだろう。しかし問題はこのF1に必要な人間が3人であるということだ。
本当に心からF1になった喜びをかみしめるためには、やはりひとりでF1になる必要がある。とにかく今ので自信はついた。次はF1と1対1で向き合うのだ。
![IMG_7006-topaz-standard v2-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/1917/1361/5051/IMG_7006-topaz-standard_v2-640w-faceai.jpg)
![IMG_7020-topaz-standard v2-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/3117/1361/5056/IMG_7020-topaz-standard_v2-640w-faceai.jpg)
石川が最初に注目したのはF1の「スピード」であった。最初は音でスピード感を出しつつのそのそ這うようなスタイルだったが、指だけでF1を表現したことがきっかけとなり次第に動きにスピード感を増していく。
それと同時に、見た目はどんどん単純化されていった。無駄をそぎ落とし、F1独特のフォルムを最小限の要素で構成する。F1の「F1らしさ」を浮き彫りにしていった。
![IMG_6969-topaz-standard v2-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/7317/1361/5039/IMG_6969-topaz-standard_v2-640w-faceai.jpg)
一方で、F1の抽象化をより推し進めたのが大北のスタイル。F1のもつ運動性、回転、尖りなど、一つ一つの要素を自分の身体性に直結させ、四肢を大胆に使って表現していく。そこにあるのはF1の「美」であった。
と、突然動きを止め、静かに横たわる。動のF1から静のF1へ。どこまでも真摯な姿勢で、F1から美を汲み取っていく。
![IMG_6971-topaz-standard v2-640w-faceai.jpg](https://dailyportalz.jp/application/files/7117/1361/5041/IMG_6971-topaz-standard_v2-640w-faceai.jpg)
視点だ
さまざまなアイデアを試すにつれ、わかってきたことがある。写実は一人では無理だ。F1の形状やボリュームを完全に表すのは人体の構造上どうしても無理が出てしまう。
しかし、見た目の完璧さに囚われないで、自分なりの視点にF1のエッセンスを落とし込むことで、人間はF1になれるのではないか。そう、重要なのは視点だ。
石川は「デフォルメ」に着眼した。これまでのように全身を使ってF1を表現するのではなく、自分の頭をドライバーに見立て、その前後に腕を使って車体を作ることで、デフォルメ化されたF1を作り出すのだ。
一方、大北は「造形美」を追い求めた。様々な形や動きを試行錯誤しては破棄していった。そしてたどり着いたのが左右非対称。F1左右対称の形にとらわれず、片足を開放することで表現の自由度を上げたのだ。
そして完成したF1が、これだ。