自分と世界の関係が分かる
スマホは画面が小さいが近いのでそれがまるで世界のように見える。
部屋でも屋外でも、ぽつんとあるモニターはそこに映し出されているものは世界の一部にすぎないことを表している。
デジタルと距離を起きたいとき、物理的に距離を置くのも方法だ。

バスに乗っていたら、電気店の店先のテレビが見えた。
バラエティが放送されていて、見たことのあるタレントが映っている。
盛り上がっているのだが、ぜんぜん伝わってこない。
むしろどこか儚げに見える。
もしかしたら離れたテレビに映っているとなんでも泣けるのではないだろうか。
家や会社だとまわりにあるもので余計なことを考えてしまう。なるべくテレビがぽつんとするよう情報のない部屋を借りた。
もっと人物と背景の明暗差を出すとバーチャル背景のようになるだろう。このあたりのコツを掴んだら「クイズ!バーチャル背景でしょうか、片付いた部屋でしょうか」を公開するので楽しみにしていてほしい。
さてここに映像を出そう。
まだ泣けない。個展の準備中に見える。モニターを設置してこの動画を流してみよう。
もうこの動画だけで訳ありだ。彼らはこうやっている間に家に泥棒に入られてそう、根拠なくそう思う。
さて、これを見てみる。
これはなんだろう。確かに儚い。墓内を通り越しておれ死んだのかな、という気分になった。
でもなんでこんなものを見せられているんだろう。これじゃコントの始まりだ。(このあと閻魔大王が出てきてまた間違えたビデオを見せる。ポリスアカデミーとか)。
確実に気持ちが萎えている。泣ける、という狙い通りの効果は出ている。
……出ているのだが、正直に言うと萎えているのには別の原因がある。私物のモニターを運んできたらなんだか線が入るようになってしまったのだ。
「余計なことをした」という声が睡眠学習のように脳内を駆け巡っている。
モニターが壊れるというダイレクトな理由もあり、離れたところにあるモニターにあるとなんでも泣けるは、真である。
家に帰ってふて寝したいところだが、もうひとつやってみたいことがある。
生で見る→モニターで見る→モニターを撮っているカメラのモニターで見る
このようにモニターを重ねていくと映像はどうでもよくなるんじゃないかと思っていたのだ。
サンプルとして僕のこのモノマネで試したい。
これをモニターで見てみる。
海外のアートイベントでこういう展示の部屋に入ったことがある。すげえ帰りたかった。
このモニターを撮っているカメラのモニターを撮ってみよう。
モニターのなかのなかのひとがなんかやっている。
ものすごく薄味の映像になった。飛行機の座席の隙間から、前の席の人が見てる映画を見る、それぐらい薄い(僕はそれで「ラ・ラ・ランド」を見た)
話は再び遠くにある映像が泣けるかどうかに戻る。屋内だったら泣けることがわかったが、屋外だったらどうだろう。
これは「パーティーグッズを普段づかいする」という企画で撮影した映像だ。撮影しただけで記事になっていない。(できない)
泣ける理由が映像が遠くにあることよりもその内容についての感想になってしまっているが、万感胸に迫る思いは、ある。
スマホは画面が小さいが近いのでそれがまるで世界のように見える。
部屋でも屋外でも、ぽつんとあるモニターはそこに映し出されているものは世界の一部にすぎないことを表している。
デジタルと距離を起きたいとき、物理的に距離を置くのも方法だ。
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