永遠の思い出!
写真を撮って額に入れたりするように、野菜を収穫してレジンで固めた。思い出を形にするという作業だ。綺麗だし、形に残るというのが素晴らしい。今後はもっと大きいサツマイモになるように頑張りたい。もう少し栄養をあげるべきだった。

ベランダ菜園というものがある。アパートやマンションに住んでいる人が、ベランダで野菜などを育てることだ。売るほどの量はできないけれど、日々の野菜の成長を楽しむことができ、収穫物を食べることもできる。
育てる野菜にもよるけれど、手軽にできるのがいい点だ。手軽だけれど、初めてのベランダ菜園となれば記念すべきことだ。ということで、初めて収穫したベランダの幸をレジンで固めて一生の思い出にしたいと思う。
初めてとは記念すべきことだ。1年の始めである1月1日も休日だし、盛大に祝われる。ただ年齢を重ねると初めてということは少なくなっていく。いろいろなことを経験しているため、初体験ということが減ってくるのだ。
私は生まれて初めて、今年の5月ベランダ菜園に挑戦することにした。決して広いベランダではないけれど、少しなら育てられるスペースがあり、暇だったのでベランダ菜園に挑戦したわけだ。5月頃、私はとても暇だったのだ。今も暇だけど。
野菜なんてスーパーとかで買えばいいじゃない、と思っていた。でも、育ててみたくもなったのだ。最大の理由は先にも書いたけれど、暇だから。日常に大きな変化がないので、日々成長して変化して行く、野菜に託したのだ、なにかを。
まず植えたのはサツマイモ。品種はハロウィンスイートとパープルスイートの2つ。ホームセンターなどで買える袋に入っている土をそのまま利用して育てることができる。プランター的なものは必要ない。直接植えてしまえばいいのだ。
私は芋掘りが大好きで、ベランダ菜園でもぜひサツマイモを植えたいと思っていた。今まで自分でサツマイモを育てたことはないけれど、おそらくこの方法で育つと思う。育って欲しい。初めてのベランダ菜園なのだ。ドキドキとワクワクだ。
知り合いが余ったからとかぼちゃの苗をくれた。ベランダで育つのか知らないけれど、植えてみよう。かぼちゃも美味しい。甘辛く煮たら最高に美味しい。もはやスイーツと思えるほど甘くなる。収穫を迎える時期の私の家の食卓は甘味で溢れることになるだろう。
サツマイモを畑で育てる場合は、そんなに肥料をあげる必要がない。つるぼけというものがあり、葉っぱだけがグングン成長して、私たちが楽しみにしている実の部分がそんなには育たないのだ。今回もそうだと思っていた。
かぼちゃに花が咲いた。黄色くて大きくて薄く儚い花だった。美しかった。自分のベランダで、私の手で咲いたということに、満たされた気持ちになった。ベランダ菜園は素晴らしいのだ。小さなベランダでも育つのだ。
かぼちゃが枯れた。茎が折れていた。私の家はベランダに洗濯機を置くタイプの家でして、どうやら洗濯をした時に、私が当たったみたいで折れてしまったようだ。小さなベランダで起きた大きな悲劇。悲しみだった。
植木鉢が一つ空いたので、何かを育てようとホームセンターに走った。結果、黄色いミニトマトが売っていたので、それを育てることにした。やっぱりベランダ菜園ってミニトマトなのよね。そこに黄色を選ぶのが私のセンスである。ハイなセンス。
ミニトマトは育てる難易度が低いようですくすくと育った。その横でサツマイモもすくすくと育ち、エアコンの室外機までツルが伸びている。完璧なのだ。かぼちゃは失敗したけど。茎が折れて枯れたけど、それ以外は完璧なのだ。
6月に植えたミニトマトは8月には立派な実をつけていた。間には芽かきをしたりもした。芽かきとは不要な芽を取って、よりいい実をつけさせる作業だ。水もこまめにあげて、支柱に誘引もした。愛情たっぷりなのだ。
もちろん食べるために育てていた。上記のミニトマトが少し枯れ始めているのは、我慢できずに私が食べていたからだ。家で料理をしては、彩としてちぎって添えた。甘く愛おしい味だった。
初めてのベランダ菜園で初めて育てた初めてのミニトマト。一生の思い出にしたい。そこで登場するのがレジンなのだ。固めちゃうのだ。固めて時折見ては、あの年は暇だった、と思い出すのだ。そして、美味しかったと。
レジンで固めるのは初めてではないけれど、たぶん2回目くらい。そのため残念ながら下手だった。空気が入ったりもしている。ただレジンで固めるとそのまま放置するよりはずっと黄色いままの状態を保ってくれる。思い出を長く形にすることができるのだ。
約3カ月、私の農園で育てた初めてのミニトマトが永遠の形となった。もちろん食べてそれで終わりでもいいのだけれど、初めてだから残したかったのだ。たぶんまた育てるけれど、その時はレジンで固めたりはしない。私は記念日を大切にする男なのだ。初めてを残したかったのだ。
月日は流れた。サツマイモも順調に育っている。ツルはどんどんと伸びた。9月末にオホーツク網走マラソンのオンライン大会に望んだ日、なかなか走り出さず、部屋でウダウダしている写真を撮ったのだけれど、部屋に侵入しそうなほどだった。
順調なのだ。特に水しかあげていないけれど、順調に育っている様子だ。枯れる様子もないし、ベランダでしかも3階なので、イノシシの襲来により畑が荒らされるということもない。私のサツマイモは順調そのものだった。
収穫の時期を迎えた。5月に植えて11月。半年近く私はサツマイモを育てたわけだ。育て上げたと言ってもいいだろう。涙してもいい。でも、涙はない。そこには喜びしかないのだ。早速、現在の地球で一番のレジャーである芋掘りをしようではないか。
全然育っていなかった。ツルだけは立派に育っていたけど。あれ、俺のハロウィンスイートはどこに行ったの? と思い、入念に土を掘り返してみたけれど、上記が全てだった。細い。とても細い。お手本のような根っこだ。
小さいけれど、立派と言いたいサツマイモができていた。ハロウィンスイートでは無理だったけれど、パープルスイートは立派に食べられるサツマイモとなったのだ。両方ともできていなかったらどうしようかと思った。
ほぼ根っこだったり、小さかったりはするけれど、地主大農園から取れた貴重な初のサツマイモだ。市場に出回ることはない。出せる品質云々よりも、収量の少なさ。私だけのサツマイモなのだ。
違いはある。しかし、私はそれを個性と呼びたい。小さくたっていいじゃない、色がなんか薄くてもいいじゃない。私の手で育てたことがポイントなのだ。台風に怯える日もあった、泊まりの仕事で枯れる恐怖に取り憑かれる日もあった。しかし、育ったのだ。
もしかすると完璧ではないサツマイモかもしれない。しかし、初だから、地主大農園では初めてのサツマイモだから思い出を形にしたい。ということで固める。ちなみに先程から地主大農園と言っているのは、私の家のベランダのことだ。
固めた残りは食べる。ミニトマトの時は食べた残りを固めた感じだったけれど、サツマイモは不作だったの残りを食べる感じだ。炊飯器にサツマイモと少しの水を入れて炊くととても美味しくなるのだ。
色が薄くてもいいじゃない。今年の夏はどこにも行かなくて、日焼けしなかったね、みたいなことなのだ、たぶん。美味しければいいのだ。もっとも自分で作ったので、どうしたって美味しく感じるけどね。
やっぱり美味しいんだもん。驚くことに、ハロウィンスイートの方が甘かった。あんなに細いのに甘味は十分なのだ。じゃ、知人の畑のサツマイモがまずいかと言えば美味しい。現代のサツマイモは全部美味しいのだ。
地主大農園の初サツマイモの思い出が形になった。これから長い間、私の本棚に飾られ、いい思い出として語り継がれて行くことになるだろう。「お父さん、あれなに?」と息子が聞き、「我が農園の最初の作物たちだよ」と私が答えるのだ。息子、いないけど。
写真を撮って額に入れたりするように、野菜を収穫してレジンで固めた。思い出を形にするという作業だ。綺麗だし、形に残るというのが素晴らしい。今後はもっと大きいサツマイモになるように頑張りたい。もう少し栄養をあげるべきだった。
![]() |
||
▽デイリーポータルZトップへ | ||
![]() |
||
![]() |
▲デイリーポータルZトップへ | ![]() |