何も考えないのは難しい
先日、乗ったことのないバスに乗ってみたくなり「荒川土手」行きのバスに乗ってみたらすごく楽しかった。以来、わたしの中では、乗ったことのないバスに乗ることが一大ムーブメントになっている。
今日は香川県高松駅発着のバスにふらっと乗ってみたい。現時点で、わたしが持っている高松に関する知識は2つ、
・うどん屋がたくさんある
・ことちゃん(高松琴平電気鉄道のマスコット)がかわいい
以上である。とても少ない。
あいにくの雨模様だけども、さて出発だ。
何も考えず、感じるままにバスに乗ってみよう。
……と、ここでひとつ気がついたことがある。ぱっと時刻表を見て、どのくらいの頻度で運行しているのかを瞬時に確認している自分がいるのだ。帰れなくなったら困る、という自己防衛心が働いているのだろう。
何も考えず、感じるままは無理だった。
加えて、行き先が「大学」や「病院」「プール」などと書いてあると、過ごし方が限定されそうな気がして、ひゅっと避けてしまう。なのに「健康ランド」という言葉を見ると、途端に「いいかも!」と目を輝かせてしまう。
ともあれ「庵治温泉行き」のバスがよいタイミングに来ていたので、乗ってみることにした。
「庵治温泉行き」ときたら、行く手にあるのは、どう考えても温泉である。わかりやすすぎて、少しずるいかなぁとも思った。でも、温泉の規模は場所ごとにかなり違う。大きな温泉街があるところもあれば、ささやかな温泉もある。
バスのアナウンスによれば、「庵治温泉」は「あじ温泉」と読むらしい。あじといえば、わたしの脳のボキャブラリー的には魚のあじである。どうしよう。さっきからずっと、あじの開きのことばかりが頭に浮かぶ。
そんなわたしをよそにバスはずんずん進んでいき、車窓には山々がのぞき始めた。
車窓の風情が爆発し始めたころ、バスは終点に到着した。
辺りを見回したが、温泉に関連していそうな建物はただひとつだけ。どうやらこの、立派な石垣の頂上にどかっと佇んでいるホテルの温泉が庵治温泉らしい。温泉街的なものはまったく見当たらない。
気持ちいいくらい、ホテルと温泉以外なんにもない。ないぞ!
さあどうしようか。
とりあえず温泉に入る
ここはまず、温泉に入っとくしかないだろう。
温泉は、ちょうどお昼どきだったせいか、わたし以外に誰もおらず、鳥の声が元気よく響いていた。たぶん今なら鼻歌を歌っても誰にも聞こえない。とんでもない規模の開放感である。
しかし、ここは何処なんだろう。庵治温泉という名前は認識しているが、具体的に地図上のどのあたりに位置するのかは、わかっていないままなのである。他者がこの温泉をどう評価しているのかも、さっぱり知らない。
今、確かに地面を踏んでいるのに、妙に気持ちがふわふわする。どうやら自分は、自分が思っていた以上に「今自分が感じていることがすべて」という状況に不慣れらしい。
地図がないと、わりと簡単に道を間違う
せっかくの機会なので、ぎりぎりまで地図に頼らずに散策してみるのはどうだろう。
お風呂を出たあと、ロビーで「この近所にお店はありませんか?」と聞いてみたところ、一軒だけ、道を下った先にうどん屋さんがあると教えてもらえた。
しかしホテルから出て数分後、はっとしたのである。下れそうな道が2本もある。どっちの道を下った先にうどん屋はあるのだ。
時間はある。ここは思い切って運試ししてみてはどうだろう。
すごい。地図を見ていないだけで、どっぷり途方にくれることができてしまった。
あの映画のロケ地だった
慌てて来た道を戻り、反対側へと進む。
すると、まったく予想をしてなかった方角から新たな情報がやってきた。どうやらこの周辺は映画のロケ地として使われた場所らしい。
わたしはまだこの映画を見たことがない。もし今鑑賞したら、「ああ、あの時うどん屋を探し歩いて、途方にくれていた時に見た景色が、スクリーンに、収められている……!」という感動を覚える可能性がありそうだ。
そんな純愛の聖地にて、ついにうどん屋が見つかった。
壁に貼られたメニューを眺めていたら、側にいた常連客らしき人たちが、「天ぷら!」「コーン!」と口々におすすめのメニューを教えてくれた。
「鍋焼きうどん」という言葉がいちばん耳に残ったので、鍋焼きうどんを頼んでみることにした。雨のなかを長時間歩いているうちに、温かいものが食べたくなっていたのかもしれない。
お肉は牛肉。ねぎは青ねぎ。スープがほんのり甘くてすき焼きのような味がするのも新鮮だった。少しずつ、少しずつだけど、わたしの知っている鍋焼きうどんと違っている。
さらに、常連客らしき人のひとりが、「これ、あげるよ!何の歯だと思う?」と……
せっかくなので狩猟の話を聞いてみたいなぁと思った。が、そろそろバスの時間が迫っていると思い、慌ててお店を出る。だけど、バスの時間を間違って把握していたことに、お店を出てから気づいた。
石の街だという主張を感じとる
次のバスまではそこそこ時間が空くので、少し歩くことにした。
石への思いが尋常じゃない。前情報を何も持たずに訪れた者でも「この土地、石に対する思いが相当強い。何かある」と肌で感じとることができるレベルだ。
あとでちゃんと調べたところ、庵治は石の一大産地だとわかり、心の底から納得した。
思い通りにはいかない。でもそれがいい
帰りは高松駅までは行かず、ことでん八栗駅の停留所で降りてみることにした。
「スナック」という響きから、何か食べ物の自販機が置いてあるのではと期待したのだ。だけど……
食べ物はどこにもなかった。もしかして「SNACK」というのは、スナックバー的な意味での「SNACK」なのだろうか。後日Googleマップのレビューを読んだら「ヤンキーの溜まり場」との記載があった。どこまで真実なのかはわからないけど、妙な腹落ち感があった。
もともと予想なんぞ立ててはいなかったけど、仮に予想していたとしても、大幅に外れていたに違いない。
そんなことばかりが起こる1日だ。
なんだろう。
思い通りにいかないことが一周まわって楽しいのである。
贅沢な時間の過ごし方だ
何にも調べないで知らない場所に行くと、効率的に過ごすことはまずできない。いとも簡単に道に迷うし、食べたい時に飯屋は近くにない。飯屋があったとしても、おいしいかどうか、自分好みかどうかは未知である。とにもかくにも、わからないことだらけだ。
だけど、たまにはそういうところに自分を放り込んで、ささやかにあたふたする時間を作ってみたい。何も調べずに出かけてみた結果、その思いがより強まった。生活のなかに、行き当たりばったりが少なくなった今、行き当たりばったりを楽しむ時間を求めているのだ。