特集 2020年7月30日

この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション

日本の各地にあるユニークな町並み10箇所を紹介します

日本の各地には、伝統的なスタイルの家屋が建ち並ぶ町並みが存在する。高度経済成長期から現代にかけての都市開発や建て替えによってその数はだいぶ減ったものの、それでも今もなお昔ながらの風情を残す地域は少なくない。

私は全国の古いモノ巡りをライフワークとしており、これまでそれなりの数の町並みを見てきた。今回はそんな私の偏見と独断による、すごいと思った町並みを紹介したい。

1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか

> 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter

奇跡の寺内町「奈良県橿原市今井町」

最初に紹介するのは、奈良盆地の南部に位置する橿原市(かしはらし)の「今井町(いまいちょう)」である。何も言わず、まずは写真をご覧いただきたい。

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細い路地に沿って昔ながらの家々がズラリと並ぶこの町並みは、橿原市中心市街地のすぐ近くに位置している。雑多な建物に取り囲まれた中、この一角だけがまるで異空間のように存在するのだ。

東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして17.4ヘクタールの範囲に細い路地が通り、伝統的な町家が連なっている。

町内に現存する約650棟の町家のうち6割が江戸時代のもので、それ以外も大半は昭和初期までに築かれたものだというから驚きだ。重要文化財に指定されている建物も9件あり、まさに町まるごと文化財の歴史地区である。

そのルーツは戦国時代に一向宗(浄土真宗)の布教拠点として築かれた寺内町にあり、江戸時代には商業都市として発展。「今井千軒」「大和の金は今井に七分」などと称されるほどの繁栄を見せていた。

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寺内町の中核であった称名寺、本堂は江戸時代前期のもので重要文化財だ

大正時代に鉄道が開通すると賑わいは駅の周囲へと移ったものの、それがかえって今井町の再開発を防いだといえる。住民の方々の努力も相まって、昔ながらの町並みが現在まで維持されているのだ。

なお、かつての今井町は防衛のため周囲に濠と土塁を巡らした環濠集落であった。現在、濠は埋められ道路になっているが、寺内町自体はほぼ完全に残っている、まさに奇跡の町並みである。

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町の南西部には濠が復元されていたりもする

今井町は家屋の質・密度ともに日本最高レベルの伝統的な町並みであるが、よくある観光地のようなあざとさはなく、住んでいる人々の生活感が随所に垣間見られるのも良いところだ。 

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各家には自転車やバイクが並び、住民の方々の息吹が感じられる
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メインの路地から伸びる小路も実に良い感じだ
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街角の祠に肘をかけてくつろぐお猫様の姿も
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外観のみならず内部を見学できる町家もある(音村家住宅)
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巧みに組み上げられた梁と束の立体感が凄い(今西家住宅)

ちなみに今井町はストリートビューでも見ることができる。家にいながら素晴らしい町並みを楽しむことができるのでオススメだ。

【今井町の町並みポイント】
 
・寺院を中心に形成された寺内町が商業の町として発展
・とにかく町家の質と密度がすごい
・重要文化財が9件ひしめく日本最高レベルの町並み
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町並み保存の嚆矢「長野県南木曽町妻籠宿」

今井町が西日本を代表する町並みだとすると、東日本を代表するのは長野県の南部に位置する南木曽町(なぎそまち)の「妻籠宿(つまごじゅく)」であろう。

江戸時代に整備された主要五街道のひとつ「中山道(なかせんどう)」の途上にある宿場町であり、今もなお旧街道に沿って昔ながらの町並みが続いている。

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妻籠宿もまた日本最高レベルの町並みだ

平地の環濠集落であった今井町は面的に広がる町並みであるのに対し、山深い木曽谷の宿場町である妻籠は道筋に沿って続く線的な町並みである。

その全長は約800メートルに渡り、木曽地域に多い二階部分を前方に張り出した出桁(だしげた)造りの旅籠(はたご、旅人を泊める宿)が極めて高い密度で連なっている。

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緩やかにカーブする旧中山道に沿って宿場町が続いている

妻籠宿は木曽川の支流である蘭川(あららぎがわ)沿いに位置しており、馬籠(まごめ)峠を越えて馬籠宿へと続いている。江戸時代には中山道を行く人々で賑わったものの、近代に入ると鉄道や国道が木曽川に沿いに通されたことから交通ルートから外れてしまい、宿場町としての機能は失われてしまった。

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路地が未舗装の部分もあり、実に風情がある
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昔はこのような板屋根を石で押さえた「石置き屋根」が一般的であった

 町の衰退によって建替えができず結果的に古い町並みが残った妻籠宿であったが、昭和の高度経済成長期において全国の伝統的な町並みが次々と失われていく中、江戸時代の風情がそのまま残る妻籠宿の町並みが注目されることとなる。

昭和 46 年(1971年)には「売らない・貸さない・こわさない」の信条に基づく住民憲章を宣言。全国に先駆けて景観保全の取り組みが進められ、昭和51年(1976年)には文化財保護法の「重要伝統的建造物群保存地区」に初めて選定された場所のひとつとなった。いわば町並み保存活動の先駆者である。

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特に立派な林家住宅は重要文化財に指定されている
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宿場町の北端には御触れ書きを示す高札場も残っている

その極めてクオリティの高い町並みにより妻籠宿は木曽地方を代表する観光地となったが、特に近年注目を集めているのが妻籠宿から馬籠宿までの中山道を歩くハイキングだ。

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妻籠から馬籠までの区間は旧中山道の道筋が良い感じに残っているのだ
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妻籠から中山道を少し上ったところにある「大妻籠」もまた良い町並みだ
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5月に訪れた時は淡い色の藤が美しかった

――とまぁ、妻籠もまた素晴らしいところなので、ぜひともストリートビューでご覧いただきたい。行ってみたくなること請け合いだ。

【妻籠宿の町並みポイント】
 
・江戸時代に整備された中山道の宿場町
・近代に交通ルートから外れたことで古い町並みが残った
・全国に先駆けて町並み保存活動が始められた先駆者

 

 

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伝統的なアーケード“こみせ”が残る「青森県黒石市中町」

さて、初手で今井町および妻籠宿というビッグ2をいきなりお見せしたが、その地域ならではの特色あるユニークな町並みは日本全土に存在する。続いては、青森県の津軽平野東部に位置する黒石市だ。

黒石は弘前藩の支藩である黒石藩の拠点として発展した商家町で、その中心部の「中町」には今もなお昔ながらの商家建築が並んでいる。

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「中町こみせ通り」と呼ばれる目抜き通りの町並み
 

ここの町並みの特徴は、切妻屋根(本を伏せたような山形の屋根)妻入(屋根の断面が見える側に入口がある)の大型商家が並んでいるのと、「こみせ」と呼ばれるアーケードが連続するところである。

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勾配の緩やかな切妻屋根の商家建築に沿って「こみせ」が続いている
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冬に雪が積もっても通行できるようにする、伝統的なアーケードだ

このようなアーケードは豪雪地帯で発達し、越後では「雁木(がんぎ)」と呼ばれている。かつては青森県や秋田県、新潟県の積雪地帯に多く見られたものの、道路拡張などによって失われ、黒石のように連続して残るところは稀となった。

町並みの規模はそれほど大きくはないものの、一軒一軒が立派な商家建築と相まって、個人的に好きな町並みのひとつである。

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特にこみせの中から眺める町並みが素晴らしい

また八甲田山の麓に位置する黒石は伏流水が豊富だ。中町にはその水を使った酒蔵が二件存在しており、うまい酒を頂くことができる。

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大きな屋根と杉玉が目印の中村亀吉酒造
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こちらは多種多様なお酒の試飲ができる鳴海醸造
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酒蔵の建物もまた、良い町並みを形作る重要な要素である
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鳴海酒造の「稲村屋文四郎」はこれまでの人生で最もうまい酒であった
【黒石市中町の町並みポイント】
 
・黒石藩のお膝元として栄えた商家町
・「こみせ」と呼ばれるアーケードが連続して残る
・八甲田山の伏流水でお酒もうまい
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主屋の中に土蔵が聳える「秋田県横手市増田」

お次は秋田県、横手盆地の南東に位置する「増田町」である。江戸時代から昭和初期にかけて周辺地域の物流拠点として栄えた在郷町で、現在も約420メートルの通りに沿って商家建築が数多く残っている。

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背の高い切妻屋根妻入の商家が多い増田の町並み

通りに沿って建ち並ぶ商家建築の姿も印象的ではあるが、それ以上に増田の町並みを象徴するのが「内蔵」の存在だ。

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例えばこの右手前の商家、二階部分をよーく見ると……
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主屋の内部に土蔵が見える!

そう、増田町には家屋の中に土蔵を築いている家が多く、これが「内蔵」と呼ばれている。

横手盆地は全国有数の豪雪地帯であり、冬には相当な量の雪が降る。なので通りに面した主屋から敷地の奥までを屋根で丸ごと覆い、積雪期にも作業が可能な内部空間を作り出しているのだ。

一般的に土蔵は主屋の裏手に独立して建てるものであるが、増田町ではその内部空間に土蔵を取り込み、雪害から守っているのである。

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雪が積もる冬にも作業が可能な、広い内部空間を持つ町家
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その奥に黒光りする「内蔵」がたたずんでいる

江戸時の内蔵は普通の土蔵と同じく家財の保管庫として利用されていたのだが、明治時代になると商業の経営拡大により部屋が不足し、内蔵は座敷として利用されるようになった。

なのでその内部は一般的な土蔵のイメージとは大きく異なり、立派な座敷として設えられているものが多い。

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内部は漆で豪華に仕上げられており、ピッカピカである

内蔵は家の中にあるので見学できるところは少ないのかと思いきや、増田町では所有者の協力を得て個人宅の内蔵をも積極的に公開しているのが嬉しいところだ(予約が必要なところもあるので注意)。

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こちらはお茶屋さんの内蔵、作業をしている横で見学させて頂いた
【横手市増田の町並みポイント】
 
・物資の集散地として栄えた在郷町
・主屋の中に「内蔵」を備えた商家が密集
・座敷として使われていた内蔵の内部は超豪華

船大工の技術が光る「新潟県佐渡市宿根木」

日本海に浮かぶ佐渡島にも素晴らしい町並みが存在する。たらい舟で有名な小木海岸の入江に位置する「宿根木(しゅくねぎ)」である。

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狭い入江の谷間に家屋が密集する宿根木集落

宿根木は中世からの港町であり、江戸時代後期から明治時代前期にかけては大坂から瀬戸内海と日本海を経て東北へ至る「北前船」の船主や船員、船大工など廻船業に関する人々が住んでいた。

明治時代中期以降は陸上交通の発達により北前船は衰退し、宿根木の人々も出稼ぎや農林漁業への転向を余儀なくされた。しかしその集落は大きく変わることなく現在まで受け継がれ、廻船業が盛んだった当時の町並みが残っている。

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細い迷路のような路地に、こげ茶色で統一された縦板張りの家屋が密集する

宿根木の伝統家屋は船大工の技術によって建てられたものであり、用いられている板や釘は船材からのリサイクルだ。土地が狭いので背の高い二階建ての主屋を敷地いっぱいに建てており、庭や塀を持つ家が少ないのが特徴である。

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三角形の土地に建てられた家もあり、船大工の技術の高さをうかがわせる
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透かし彫りが施された軒下飾り、さりげなくカッコ良い
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こちらはかつて船主だった家、外観は質素な感じだが……
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内部は漆や柿渋(赤褐色の防腐剤)がふんだんに使われており超豪華
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集落前の大浜には「シロボウズ」と呼ばれる石柱が立っている

これらのシロボウズは船を繋ぎ留めるためのもので、安永5年(1776年)頃に立てられたと言われている。しかしその後の享和2年(1802年)に起きた小木地震で海岸が隆起してしまい、船を入れることができなくなってしまったそうだ。

ちなみに宿根木ではこのシロボウズのような石造物を数多く目にすることができるのだが、その石材は積み荷を降ろした船のバランスを取るためバラストとして積んで帰ってきたもので、瀬戸内海産の御影石が多いという。

遥々海を越えてきた御影石の柱が佐渡島の海岸にポツンポツンと立っているその光景は、なかなかにシュールながらも哀愁が漂っている。

【宿根木の町並みポイント】
 
・狭い入江に家屋が密集する港町
・幕末から明治前期に栄えた北前船の関係者が住んでいた
・船大工の技術によって建てられた縦板張りの家々
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北アルプスを望む山村集落「長野県白馬村青鬼」

お次は長野県の北部に位置する白馬村の「青鬼(あおに)」集落である。スキー場やペンションで有名な白馬村の市街地から東に行った山の中腹に位置する山村集落だ。

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急な坂道を上っていくと、青鬼集落の家々が現れる
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トタンで覆われた茅葺屋根の大型家屋が一列に並ぶ光景が圧巻だ

青鬼は今でこそ人里離れた山間の集落ではあるものの、かつては麓を通る千国街道から東の鬼無里村(きなさむら)を経由して戸隠神社や善光寺へと至る間道の中継地として人の往来が多かった。

現在は緩やかな等高線に沿って14棟の主屋と7棟の土蔵が整然と建ち並んでおり、統一感ある美しい山村の風景を残している。

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江戸時代に築かれた平屋の家と、明治時代に築かれた中二階建ての家がある
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中二階建ての家は、まるで兜のような形状が特徴だ

主屋は正面の屋根を短く切った「兜造り」となっており、普通の茅葺民家とは一味違ったたたずまいを見せている。周囲の自然景観と相まって、実に魅力的な風景の集落だ。

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青鬼という名の通り鬼の伝説があり「善鬼大明神」を祀る青鬼神社が鎮座する
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訪れた時はまだ雪が残っており、参拝に苦労した
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集落内には双体道祖神などの石造物も多く、実に良い雰囲気だ
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なにより、北アルプスを一望できるロケーションが素晴らしい
【青鬼の町並みポイント】
 
・山の中腹に位置する山村集落
・正面の屋根を切った「兜造り」の主屋が並ぶ
・集落の背後には棚田が広がり、北アルプスを一望できる
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袖壁の町家が連続する城下町「岐阜県郡上市郡上八幡」

続くは岐阜県の山間に位置する「郡上八幡(ぐじょうはちまん)」だ。長良川の支流である吉田川沿いの山に郡上八幡城が聳え、その眼下の盆地に城下町が広がっている。

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郡上八幡城の天守から見下ろす郡上八幡の町並み
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かつての城下町の全域に 、同じ様式の町家がズラリと並んでいる

現在の郡上八幡の骨格は城下町時代から変わっていないのだが、大正8年(1919年)に起きた大火によって、吉田川北岸の家屋は全焼してしまっている。なので今に残る町並みは、その後に築かれたものだ。

大火後に一斉に再建されたため、いずれの町家も同じ様式で統一感ある町並みとなっている。二階の両端に「袖壁」と呼ばれる防火壁を設けており、防火を意識した作りなのが特徴的だ。

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どの家も二階の両端に袖壁を設け、隣家からの延焼を防いでいる
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多少の違いはあれど、おおむね同じ様式の町家がズラリと並んでおり壮観だ
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繁華街は新しい建物も多いが、町家も残っており町並みと生活が共存している感じ
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川沿いも石積みの上に木造建築が並んでおり、どこを切っても見応えある町並みだ
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ちなみに郡上八幡城は昭和8年に木造で再建されたもので、既に立派な文化財である
【郡上八幡の町並みポイント】
 
・盆地に広がる郡上八幡城の城下町
・大正時代の大火後に再建された、同じ様式の町家が続く
・町全体に城下町の面影があり、散策が楽しい
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ベンガラで彩る赤の町「岡山県高梁市吹屋」

お次は中国地方、岡山県の内陸部に位置する高梁(たかはし)市の「吹屋(ふきや)」である。銅の採掘とベンガラ(赤色顔料)の生産で栄えた鉱山町だ。

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吹屋の特徴は一目瞭然、とにかく赤い町並みだ

吹屋は古くより銅山町として栄えていたが、江戸時代中期に銅の捨石に含まれる磁硫化鉄鉱石からベンガラを生産することに成功。日本唯一のベンガラ生産地として莫大な富をもたらした。

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集落の近くにある笹畝坑道、観光坑道として整備されており見学できる

ベンガラの産地であることを誇示するかのうように、吹屋の町家はベンガラをふんだんに用いて築かれている。柱や格子などの木部をベンガラで塗るのはもちろんのこと、土壁もベンガラを混ぜたようなピンク色である。屋根も赤い光沢を見せる石州瓦で葺かれており、とにかく赤で染め上げられた、他に類を見ない町並みとなっている。

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一階の格子も赤い、二階の壁も赤い、そして屋根まで赤い、吹屋の町家
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このような色彩の町並みはまさに唯一無二である
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奥まったところにある家々もなかなかに雰囲気がある
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吹屋のみならず、その周辺に散らばる集落も良い感じだ
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高台に位置する吹屋小学校もまた素敵である
【吹屋の町並みポイント】
 
・銅山の採掘とベンガラの生産で栄えた鉱山町
・ベンガラと石州瓦で彩られた赤い町並み
・周囲には笹畝坑道や吹屋小学校などもあるので色々見て周ろう
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台風に特化した耐水家屋「高知県室戸市吉良川町」

四国の南東部、室戸岬のほど近くに位置する「吉良川町(きらがわちょう)」にも独特な町並みが残っている。江戸時代は木材や木炭、明治時代から昭和初期にかけては備長炭の集散地として栄えた在郷町である。

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吉良川町の表通り、遍路道でもあるので歩き遍路経験者にはお馴染みだろう

室戸岬は台風銀座とも呼ばれ、とにかく台風が頻繁に通り抜ける豪雨地帯である。そのためこの地域の家々は、強烈な風雨から家屋を守るための工夫が施されている。その代表格が土佐漆喰と水切り瓦だ。

土佐漆喰は普通の漆喰に含まれる糊は使用せず、消石灰にネズサ(発酵させた藁すさ)を混ぜて強度を増している。それによって糊の成分が溶け出すことがなく、雨への耐性が高い漆喰となっているのだ。

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壁に見られる「水切り瓦」も豪雨への対策だ

家屋の外壁には何段もの庇が設けられているが、これは壁に直接雨が降りかかるのを防ぎ、漆喰の寿命を延ばすための「水切り瓦」である。水切り瓦の段数は、その家の富を示すための象徴でもあった。

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お金持ちほどたくさんの水切り瓦を備えていたのだ
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5段の水切り瓦に、瓦を張り付けた海鼠(なまこ)壁と、ガチガチに固められた土蔵
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防御力のみならず、攻撃力も高そうな感じである

吉良川町の表通りは町家型の商家が連なっているが、裏手の山側は農家型の町並みとなっている。その周囲には暴風対策の石垣が巡らされ、これまた独特の景観を目にすることができる。

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山側の裏通りは石垣が続いており、表通りとはだいぶ違った印象だ
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河原石や浜石を使った「いしぐろ」と呼ばれる独特の石積みも見られる
【吉良川町の町並みポイント】
 
・木材や木炭の集散地として栄えた在郷町
・「土佐漆喰」や「水切り瓦」など徹底した台風対策
・裏通りには「いしぐろ」と呼ばれる独特の石垣も
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捕鯨で栄えた港町「長崎県平戸市大島村神浦」

最後に紹介するのは、平戸島の北側に浮かぶ的山(あづち)大島の「神浦(こうのうら)」である。江戸時代の前期には捕鯨の基地として平戸藩の財政を支え、鯨が取れなくなった江戸時代中期以降は漁業と商工業を基盤に発展した港町だ。

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高台から見た神浦集落の全景、山々に囲まれており一見すると山村のようだが……
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深く切れ込んだ入江の奥に位置する港町だ

入江の奥は東西に谷間が伸びており、そのわずかな土地に江戸時代から昭和初期に建てられた町家が密集して残っている。近世から近代にかけての港町の風情を留める、貴重な町並みである。

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どの通りにも昔ながらの町家がズラリと建ち並んでおり目を見張る
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それぞれ一階部分に庇を設けており、それを腕木で支えている
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この腕木は時代によってスタイルが異なり、建築年代の特定が可能だ
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このタイプはより古く、江戸時代中期のものである
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集落の中心に位置する天降神社、急斜面に5段の石垣を築いており凄い迫力だ

神浦は素朴ながらも風情ある町家が集落全体に残っており、実際に行ってみて素直に驚いた。訪れる人は少なく、かなり過疎化が進んでいるのかうら寂しい雰囲気が少し気になったが、これからも受け継がれていってほしい、個人的にイチオシの町並みだ。

ぜひとも多くの方に見て頂きたいのだが、残念ながら離島ということもあってかストリートビューには対応していない。もう少しばかり離島を強化してくれませんかね、Googleさん。

【神浦の町並みポイント】
 
・捕鯨と漁業で栄えた港町
・深く切り込んだ入江の路地に町家が続く
・庇を支える腕木は建築年代によって形が違う

町並み巡りはまだまだ続く

とまぁ、今回は特色ある10の町並みを紹介させて頂いた。単に私が好きな町並みを羅列したという感もあるが、いちおう地域や町の種類のバランスを考えて選んだつもりだ。

紹介しきれなかった良い町並みも多く、大阪府の「富田林(とんだばやし)」はカッコ良い寺内町だけど今井町と被るしなぁ。京都府の「伊根浦」の舟屋は凄くユニークだけど、最近メディアの露出が増えて有名になってきたしなぁ。などなど、なかなかに悩ましかった。

これまでに私が訪れた町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に限っても100箇所を越えるが、それでもまだまだ日本には多くの町並みが存在する。これからも風情ある町並みを求め、日本中を這いずり周りたいものですな。

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伊根湾に沿って船のガレージ“舟屋”が並ぶ「伊根浦」の町並み
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