あぶなく忘れるところだった平成を思い出す 2019年5月5日

平成を賑わしたUMA事件、2000年ツチノコ発見現場は今

UMA(未確認生物)も平成で失われたものの一つではないだろうか。

平成のUMA事件といえば、2000年5月にツチノコが岡山県吉井町(現、赤磐市)で発見されたニュースは日本中を駆け巡った。

結局そのツチノコはただのヤマカガシだったのだがUMAが全国的なニュースになったほとんど最後の事件だったと思う。

そんな岡山県旧吉井町で当時のツチノコブームの残滓を探した。

※この記事は2019年のゴールデンウィークとくべつ企画のうちの1本です。

1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー)

前の記事:兵庫県福崎町は妖怪と造形の聖地だった

> 個人サイト オカモトラボ

UMA、超常現象…まだ見ぬ“何か”がいた平成前半

「絶滅したと言われていたシーラカンスが生きていたから恐竜もどこかに生きているはずだ」

子供向けの本にはこう記され、広島県に旅行に行けばヒバゴンの噂がまことしやかに語られ、鹿児島県の池田湖ではガイドさんはイッシーの目撃情報が多数ある事を自慢げに話していた。空にはスカイフィッシュも飛んでいる気がした。

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こんな感じですかね。

特命リサーチ200XやX-ファイルを見ながら、僕らがまだ知らない“何か”がまだどこかにいる…平成の前半くらいまではそんな期待を持っていた。

 

その後、高性能カメラが各所を捉え、インターネットが世界を繋ぎはじめると僕たちがまだ知らない“何か”は急速に縮んでいった。

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岡山県旧吉井町でツチノコ発見のニュース

そんな、世の中がUMAや超常現象に対して少し冷めた感情を抱きつつあった平成12年(2000年)、岡山県吉井町でツチノコが発見されたという一報が全国を駆け巡る。

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この辺です。

僕も「今さらツチノコか」と冷めた感想を抱きつつ、もしかすると居ないと思っていた“何か”が見つかったかも知れないと、忘れていた気持ちが甦ってきた。

 

だが、結局のところそのツチノコは単なるヤマカガシという蛇だった。

ガッカリした気持ちを「やっぱりいるわけないよね」という納得感で上書きし、かつて心を躍らせた“何か”はもう日本にいないという当たり前をより確かなものにした。

その頃にはすでに世の中的にもUMAへの関心は下火になっていたと思うが、この時ツチノコがヤマカガシだったという報道は、薄れつつあったUMAへの関心にとどめを刺したように思う。実際、全国的に取り上げられたUMA事件としては、ほとんど最後だったと記憶している。

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ツチノコブームの残滓を探して

そんな古き良きUMAの震源地、岡山県旧吉井町へ向かう事にした。

ツチノコに沸いた吉井町は現在、平成の大合併で赤磐市となっている。その点においても平成という時代の流れを感じずにはいられない。

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岡山市方面から旧吉井町へは、ほんの1か月ほど前に高速道路が完成していた。

山や谷をつらぬく様に道路やトンネルが整備されている。

平成の間にも人の目が届かない深い森や山はどんどんなくなってきて、UMAのようなロマンが生きる余地はますます減っていく。

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旧吉井町に到着。新しく出来た高速道路はちょうど旧吉井町で終わる。

完成して1か月ほどしか経っていない道はGoogleMapでさえまだ把握していないようで、ナビのマーカーは周辺の既存の道をピョンピョンと瞬間移動していた。

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旧吉井町の中心部に入る手前の交差点。

ブームから19年もの歳月が流れ、さすがに当時を偲ぶものは何も無いかもしれない。その場合この記事どうしようかと心配していたが、

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「つちのこ発見現場」の看板があった。

19年も前のニュースの場所を指し示す看板が今も掲げられているというのはちょっと驚きだ。

もし19年前に見つかったのが本物のツチノコだったのならそれも分かる。しかし結局はヤマカガシだったのだ。(だから「つちのこ発見現場」と言い切ってしまうのは正確じゃない)

19年経ってもなお掲げられた看板はあの事件がこの地域にとっていかに大きな出来事であったかを物語っている。

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ツチノコ発見現場へ

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看板の指し示す方向へ進む。

旧吉井町の中心部とは別方向へ、のどかな道がつづく。

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進むにつれて道は細くなり、左右の山々は少しづつにじり寄ってくる。

 

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少し開けた場所に出た。本日2度目の「つちのこ発見現場」の看板が立っている。

山のどこかに林業に従事している人がいるようで遠くの山からチェーンソーの音が聞こえ、時おりホーホケキョも聞こえる。

この場所でツチノコ発見のニュースが流れたのも、なんとなくわかる気がする。

ツチノコがいるとすればこんな感じの場所だろうなと思う。この場所にはそんな不思議な説得力がある。

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集落に入ると年季が入った看板を見つけた。

おそらく2000年頃のブーム時に作られたものだろう。

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傷んでいるがツチノコの手配書だ。

ブームの際、ツチノコには2000万円の賞金がかけられ、以降1年に1万円づつ上乗せされることになった。

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看板を後にしさらに奥に入る。
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お堂が現れた。

なんとも雰囲気があるいい感じのお堂だ。

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都合がよく地図もあった。

とりあえず地図に書かれた場へ向かう。

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ブームの残滓が残る現場周辺

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「安全祈願をしてからご出陣ください」

そんなに危険なのか、不安を煽るような看板と募金箱が設置されている。

募金箱には環境保全のためのお金を募っている。かつてはきっと環境を保全しなければならないほど多くの人が訪れたに違いない。

しかしこの日、僕以外にツチノコを目当てにここを訪れている人はいないし、多分、何年もそんな人はいないんじゃないかと思う。

注意書きと現実のギャップが少し悲しい。

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入れておいた。
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さて、お堂のわきをまっすぐ伸びるあぜ道を進む。

春の風が心地よい。

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お堂にあった地図だとこっちだ。
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あの看板を発見。
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ツチノコが発見されたのはここのようだ。

農家がこの場所で草刈りをしていた時、蛇に似た生き物に遭遇した。

とっさに草刈り機で攻撃したが、その生き物は水路へと逃げてしまう。

その後、主婦によって亡骸が発見され埋葬されたのだが、ツチノコの可能性があるという事で掘り返し大学で鑑定されたという。

 

薄々そんな気がしていたが、特に面白いものがない。

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何かないかな。

ツチノコはいない。

考えてみると平成のはじめの頃はこの場所に限らず”何か”がいそうな感じが確かにあった。それは言い換えればロマンだった。

UMAだけじゃなく幽霊とかもそうだ。心霊番組も夏になると必ずやっていたし怖かった。最近はあまり見ないし、やっていたとしても作り物という感じだった。僕も「どうせCGだろ」という目でみていたからかもしれない。

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つくしを見つけた。

もしかすると平成で失われたのは、UMAや超常現象などではなくそういったものを楽しむ心の余裕なのかもしれない。

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あ!あれはなんだ?
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…気のせいか。

お城があったので行ってみた

帰ろうかと思っていたら山の中腹にお城が見えたので行ってきた。

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山の中腹にお城。
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茶臼山城と書かれたのぼりと天守。

茶臼山城というらしい。茶番の後に茶臼山城…いや、なんでもない。

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天守からは旧吉井町の町が一望できた。
なおさきほどのツチノコ発見現場はここからだと山に隠れて見えなかった。
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