今回は上野公園~上野町に限ったが、日本最古のコリアタウンで有名な東上野や、職人町である北上野、徳川家霊廟がある上野桜木など、上野という街はもっとバラエティ豊かだ。さらに貝塚や古墳など歴史遺産にも事欠かない。
そのうち、もっと見聞を重ねて「上野がパンダの街になるまで」…なんて記事を書けたらいいな。
上野といえば、パンダだ。
いたるところにパンダ、パンダ、パンダ。
ちょっとパンダすぎないか、とも思う。
そういえば、上野で2番目に多い動物モチーフはなんだろう。ちょっと気になる。
東京の北の玄関口、日本一の文化施設集積地、戦後闇市の面影残るアメ横など、上野はさまざまな顔をもつ街だ。
だが、上野といえば何よりパンダだろう。
さらに、2022年1月からはシャオシャオ・レイレイの公開も始まり、上野のパンダっぷりはとどまるところを知らない。
上野以上にパンダを飼育している和歌山のアドベンチャーワールドでも、ここまでパンダ一色ではなかった気がする。
そんな上野にパンダが来たのは1972年。日中国交正常化を記念してのことだ。
しかし上野の歴史はもっと長い。
動物園は1882年開園だし、さらに古くは江戸最大の寺・寛永寺の門前として栄えた場所だ。
そんな上野で、2番目に多い動物モチーフは何か?
上野公園、上野1〜7丁目のすべての通りを歩き、調べてみた。
また、お稲荷さんの狐も歴史ある動物モチーフとしてペアでひとつと数えることにする。
それでは、①上野公園内のランキング→②上野の街も含めたランキングの二段構成でいきたい。
まずは動物園のある上野公園内を歩いてみよう。
結果をあまりもったいぶる必要もないので、先に発表したい。
(予想してながらスクロールしてください…!)
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意外と上野公園内はパンダ一色ではなかった。2位はゾウ。
たしかに、上野動物園といえば戦時中の「かわいそうなぞう」のエピソードも有名だ。
この次に上野の街も含めると一気にパンダだらけになるのだが、動物園自体はそこらへんフラットだ。
約300種3000点にもおよぶ動物を飼育しているのだから、パンダ以外にも見て欲しい動物はたくさんいるのだろう。
パンダ以前の上野動物園の人気ランキングを探してみたが、『上野動物園百年史』という本にも見当たらなかった。
だが、過去の資料からある程度は予想することができる。
例えば1902年の公式ガイドブック『上野動物園案内』では、人気の動物として図版になっているのはゾウ、カンガルー、ウォンバット、ラクダ、ダチョウ、エミュー、ヒクイドリ、ライオン、ホッキョクグマなどだ。同年、開園20周年としてドイツから購入し初来日した動物が多い。
また、過去の年間来園者数にも人気動物の来園が大きく影響を与えている。
1887年のトラ、1888年のゾウ、1898年のオランウータンなどが来園者数の大幅上昇につながった。
特にキリンが初来日した1907年には年間来園者数が100万人を超えたそうだ。
日本導入時に、英語名のジラフではなく東アジアの想像上の動物である麒麟にちなんで「キリン」と呼ぶことにしたため、圧倒的な人気を誇ったそうだ。
さらに、1911年のカバ、1933年のキリン・マントヒヒ・フラミンゴ、1937年のキリンの子供誕生などを経て、1940年に戦前300万人の来園者数を超えたそうだ。戦時の猛獣処分を経て、1949年にゾウやライオンが戻ってきたことで370万人、1972年のパンダ来園時には500万人、翌年700万人を超したそうだ。その後は落ち着き、現在は300~400万人前後となっている。
さて、そんな古い時代のモチーフで印象深かったのが1933年築の旧博物館動物園駅である。
自信ないけど上段中が動物園、中段左が埴輪、中段中がキュビズム的なやつ、下段中が図書館、下段右が奏楽堂あたりだろうか。
真ん中の小さいのは1925年来園のカワウソか、1928年来園のナマケモノだろうか。
ちなみに、バックは今も現存する1932年築の日本最古の猿山だろう。
では、逆に新しいものではどうか。
インターネットでも人気のハシビロコウがクローズアップされている。
だが、上野公園全体でみるとそれほど動物一色というわけでもなく、むしろ街の方が動物推しが強かったと思う。
ちなみに、上野動物園の公式ショップ※ではどうだろうか。
手動でそれぞれの動物モチーフの商品点数を数えてみた。
(※東京の動物園・水族館全体の公式ショップなので、上野にいない動物も入ってくるが全体的な傾向はつかめると思う)
これが最新の人気ランキングなのだろう。
そしてゾウは相変わらず安定して強い。今ではそれほど珍しくもないが、なんだかんだ地上最大の動物だものなあ。一方でキリンの人気は過去ほどのものではないようだ。
また、公園内では見つけられなかったマヌルネコやレッサーパンダが入ってくる。
今後は、これらの動物モチーフが公園内を飾るようになっていくのだろう。
さて、上野公園内のランキングに一大繁華街である上野町も含めるとどう変わってくるのだろうか。
こちらも先に発表したい。繁華街に多い動物モチーフとは…?
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公園内よりもずっとパンダだらけだ。より商業主義的な結果となった。
ここからは、上野1~7丁目の簡単な紹介とともにこの結果を考察していきたい。
町ごとに歩くと、上野の多種多様な顔が垣間見れて非常に面白いのだ。
上野1丁目がどこか皆さんご存知だったろうか。
自分も今回はじめて知ったのだが、不忍池の南側に上野2丁目、湯島3丁目、上野1丁目と並んでいる。上野駅からはけっこう遠いのだ。
以前は下谷区黒門町と呼ばれ、寛永寺の総門(通称黒門)が上野広小路のあたりにあったことに由来している。
このあたりは小学校があることから、上野2丁目・湯島3丁目と違い落ち着いた町並みとなっている。
一方の上野1丁目は言ってみれば歴史あるオーソドックスなエリア。
ここまでくるとパンダの威光も薄まるようだった。
今でもギラギラだが、江戸時代から花街として栄えた歴史ある場所でもある。
ここに夜入るのは勇気がいるため、早朝歩いてみた。
朝6時前だったが、歩いて看板を写真に撮っているとまだ仕事中のアジア系女性に2度も声をかけられた。そりゃあ、朝からそっちに興味津々の男だと思われても仕方ないので、そそくさと退散した。
戦前から上野のランドマークだった松坂屋を中心としたエリアだ。駅前なので新しい店も多い(モスクがあったりもする)。
パンダって、動物の中では驚くほど柔軟にポーズをとれる。
立つだけのレッサーパンダがブームになったように、ポーズをとれることが人の心を動かす秘訣なのかもしれない。
他の商店街が江戸時代からの伝統を誇るのに対し、アメ横は戦後闇市にルーツをもつ新興エリア。他の商店街は住居の一階で商いをする伝統的なスタイルだったが、アメ横は借地・借家がほとんどで外からきた人が多いため、以前は上野の商店街の中でもやや浮いた存在だったそうだ。
そんなアメ横は商売替えのサイクルが早く、その時売れるものを売る、という商売っ気の強さがある場所。それゆえ、人気のパンダもいち早く取り入れていったのではないだろうか。
猥雑なイメージがあったアメ横だけど、やはり市場なので夜は閉める店が多く、2丁目などとは異なる雰囲気だった。
マルイのある上野6丁目の南側が上野5丁目。
宝石の問屋街となっており、アメ横や御徒町中央商店街の観光地感から一気に雰囲気がかわる。
ちなみに、上野の宝石商はジャイナ教徒のインド人が多いそうだ。
観光客的にはアメ横と一体となっている印象だが、七つの商店街があり歴史も沿革もさまざまだ。だが、最近では飲食店が増え、一部にはニューカマー外国人のエスニック料理店なども増えつつある。
このあたりは観光客もすくなく、ビジネスホテル街かつ一部がゲイタウンとなっている。
実は今回、取材にいく時間がなかったので平日の仕事終わり~翌早朝まで上野に一泊して歩いた。それゆえ、動物モチーフだけでなく、普段はみれない街の顔が垣間見れた気がする。
上野のフィールドワークを行う社会学者・五十嵐泰正氏によると、上野は世界的にも稀な街だという。上野の「山」と、下谷と呼ばれた「谷」があり、宗教的権威や天皇(上野”恩賜”公園)に由来する聖と、人間らしい俗が隣合わせとなっている。
そこに、北日本・成田空港の玄関口として、無数の人間たちがなだれ込んでくる。
さらに、明治政府と旧幕府軍が戦った上野戦争、関東大震災、第二次世界大戦などの度重なる被害、そこからの復興によりごちゃまぜになって発展したのが上野だ。
権力、芸術、宗教、戦災、闇市、(かつては)スラム、歓楽街、アジアや中東系外国人など…そんな一言では言い表せない多種多様な文化・風俗を内包する場所である。
だからこそ、パンダという街全体をおおう明るいイメージがこれだけ広まったのではないか。そんな気がする。
まあ、商魂たくましいだけかもしれないが。
今回は上野公園~上野町に限ったが、日本最古のコリアタウンで有名な東上野や、職人町である北上野、徳川家霊廟がある上野桜木など、上野という街はもっとバラエティ豊かだ。さらに貝塚や古墳など歴史遺産にも事欠かない。
そのうち、もっと見聞を重ねて「上野がパンダの街になるまで」…なんて記事を書けたらいいな。
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