どのパターンにも当てはまらない「無」の漬物石
今のところは上記4パターンに分類しているが、私が本当に愛してやまないのはそのどれでもない、特に役割もなくただただ路上にいるだけの漬物石である。
あなたの町にもただボーっと道端に立っているオジサンがいないだろうか?「すわ不審者か」と警戒心を抱く人もいると思うが、用事もなくただ町に立っているというのはなんの悪事でもない。無の漬物石は本来我々が持っていた「ただなんとなく街中にいたって良い」という当たり前の事実を思い出させてくれる。
これは漬物石なのか?
それにしても、なぜこんなにも多くの漬物石が街中で使われているのか?観察を始めた当初は「家庭内で漬物石として使用されなくなったものが、重石として第二の人生を歩んでいる」と思っていた。
しかしAMAZONで「重石」と検索してみると、もはや「漬物石」という表記もされていない彼らがヒットするのである。
そういえば今回の記事の内容を林編集長に相談した時、「あれ漬物石だったんですね」と言っていた。もはや一旦漬物石を経由せず、最初から重石として購入&利用されるパターンも多い、いやもしかしたら現代においてはそれが殆どなのかもしれない。
だとすると今後、彼らの立場は少々危うくないだろうか?重石として利用するなら、何も漬物石タイプでなくても良いのだから。
しかし私は断言する。漬物石は廃れない。それは何故か?それは漬物石が「白くて丸い」からである。白くて丸いものは愛らしい。雪見だいふくもベイマックスもシマエナガも、愛されているのはみんな白くて丸いからだ。
この町は漬物石でできている
私は幼い頃から筋金入りのドトール愛好者だ。ある日の夜、閉店後のドトールの前を通りかかったら、片付けられた看板に漬物石が乗っていた。
ところが、である。また別の日にスタバの前を通りかかったら、そこにはドトールと同じ光景があったのだ。
あらゆるものが高度に発達した文明社会。しかしその裏側を少し覗いてみれば、いまだに我々は「動かしたくないものには重いものを乗せる」という極めて原始的な手段からすら脱却できていない。
自分自身、あるいは私達の文明の力を過大評価し驕り高ぶってしまった時、街角の漬物石を見よう。我々の生活は重くて丸くて白いものによって支えられているのだ。
はげます会限定連載「石井公二のおいしいもの手帖」第12回~
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