特集 2022年11月8日

朝日新聞社の上についている塔はなにか

屋上の方になにやら細長いビルのようなものが付いている

日本を代表する新聞社・朝日新聞。その東京本社が東京・築地にある。

社屋を見上げると、屋上に何やら不思議な形をした塔が付いている。

これはなんだろうか。中に入って確かめてみた。

1997年生まれ。大学院で教育学を勉強しつつ、チェーン店やテーマパーク、街の噂について書いてます。教育関係の記事についても書きたいと思っているが今まで書いてきた記事との接点が見つからなくて途方に暮れている。

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> 個人サイト Note

朝日新聞に塔が付いている

下から見ると全面ガラス貼りのようにも見える。本社のビルがレンガづくりのようで、がっちりしているのとは対照的に、シュッとしてスマートな姿である。こんな建物、見たことない。

どうも気になるので、実際に中に入ってこの塔がなんなのかを確かめることにした。

お話してくださるのは、左から朝日新聞東京本社の細羽さん、安井さん、渋谷さん。おかしな申し出にもかかわらず、丁寧にお話いただいた

塔に登ってみる

まずは、このお三方に塔の案内をしていただくのだが、なんと、この塔は朝日新聞の社員でもほとんど入ることがないという。

エレベーターで最上階まであがるが、そこからすぐに塔に入れるわけではない。そこから普段は開けられることのない扉を開けて階段をあがり、また別の扉を開けてさらに階段を上がる。何重にも鍵のかかった扉を通らなければ行けないあたり、ずいぶんと重要な施設だと思われる。

やっと屋上フロアにやってきた。屋上フロアに上がると、そこが、あの塔の一階部分になっており、すでに周りの壁はさきほど下で見た『ガラス』のようになっている。

屋上に上がるとこんな空間が広がっていた

そばには塔の上に上がる階段があり、塔の上に行くまでには、さらに階段を登らないといけない。なんとなくの好奇心で中に入ったが、なかなかハードである。
『ガラス』張りの中、階段を上がっていく。

この階段がずっと続く

実はこの階段部分、半分ぐらいはビルから飛び出した部分にあり、ガラスの外を覗き込むと、真下が見える。東京タワーの階段を登った時に近い怖さ。 

拡大してみると飛び出してるのがわかる。この飛び出した部分を、いま、歩いている

ハシゴを登って絶景!

恐る恐る階段を上がっていく。かなりの距離を登った後、急に階段がなくなり、目の前にハシゴが現れた。なんと、最後はハシゴを登るのだ。過酷。

ハシゴを登る

ハシゴを登り切ると、目の前にドアがありその先が塔の先端部分になっている。外に出てみると、すばらしい景色が目の前に。

絶景!

真後ろには解体された築地市場の後が見え、その向こうには東京湾が一望できる。高さは地上90m程度だというが、とても景色がよく、そして風が気持ちいい。 

築地市場をこの角度で見ることなんて、なかなかない
塔の先端部分もそびえ立つ

結局、この塔はなにか

さて、塔の中から景色を一望したところで、下のフロアに戻って、お三方にいろいろとお話を聞くことにした。
そもそも、この塔はなんなのだろうか。

お話によると、この塔は電信などに使うアンテナを立てるために作られた無線塔だという。携帯電話がなかった時代、取材するヘリコプターや現場の記者が、会社とやりとりをするためには無線が必須で、そのためにこうした塔が必要だったのだ。

かつての新入社員は無線の講習を受け、免許を取っていたというから、その必要性もよくわかるというものだ。

たしかに屋上からこの塔を見ると、さまざまなアンテナが付けられている

そこにはかつては社旗を掲揚するためのポールもあったという。 

社旗掲揚のポールが撤去された跡。2021年に老朽化のために撤去された。
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塔のデザインは”船”

このアンテナ塔は、朝日新聞の現在の社屋ができた1980年に作られ、朝日新聞のランドマークとなるために取り付けられたという。

当時の会社案内も見せてもらった。この塔が表紙を飾っている。いかに新社屋のランドマークとして期待されたかがわかるだろう

このデザインは、船のブリッジをモチーフに作られたという。 

たしかに、ここに立つと、船の先っぽに立っているかのよう。目の前に広がるのは東京という名の海である

当時の社内報も見せてもらった。そこにはこんな言葉があった。

最近のビルは単調なのが目につく。屋上で空との接点を楽しくなるようなのが少ない中で、艦橋のような”ガラスの塔”に社旗がはためけば、きっと街行く人たちの目をひくだろう。

朝日新聞東京本社が有楽町から築地に移転した1980年当時、周辺にはほとんど高い建物がなく、この社屋が周辺でもっとも高い建物だったという。
なるほど、そんな大きな建物の先端にこんな独創的なデザインの塔が付いていたら、それは目立ったことだろう。

社屋は輪転機の形

この辺りまで話を聞いたところで、話は朝日新聞にまつわるさまざまな話になっていった。

無線塔と同じタイミングで建てられた本社ビルにも、面白いエピソードがある。

会社の中にあった東京本社の模型。特徴的な形をしている

建物の下部がなだらかに広がっているのが特徴的だ。すると安井さんが

「実はこの社屋の形、新聞を印刷するときの輪転機の形なんですよ」

と教えてくれた。せり出したところが輪転機にそっくりだという。上は船で、下は輪転機。独創的なデザインである。

社屋の設備もすごかった

インタビューの本筋とは関係のないところで聞いた小ネタがいちいちおもしろい。

例えば、社屋の中には「展望風呂」があること。しかも同じフロアには230のベッドがあって、仮眠が取れるようになっているらしい。時間が不規則になったり、仕事が深夜に及んだりしたとき、ここで風呂に入り、仮眠を取ることができるのだ。

おそらく展望風呂からはこんな景色が見えるはず。「朝日新聞で朝日を眺めることができます」とのこと

まだまだあるぞ、朝日新聞の小ネタ

小ネタは尽きない。ここでは、お話をしていただいた他の小ネタをいくつか紹介しよう。

東京と大阪で社旗が違う

朝日新聞といえば、朝日のマークの社旗がおなじみだ。今回訪れた東京本社の塔にも最近まで掲げられていたし、大阪本社には現在でも社旗が掲揚されている。

で、実はその社旗が大阪と東京では違うというのだ。東京の社旗は、太陽が左下にあって、そこから右上に向かって日光が伸びている。それに対して大阪の社旗は、太陽が右下にあって左上に向かって日光が伸びている。ちょうど正反対の図柄になっているのだ。

これは、東京本社と大阪本社の社旗を並べたときにちょうど朝日が完成するという仕組みになっている。(こちらのページに画像があります

情報を鳩でやり取りしていた

今回紹介した無線塔は、携帯電話などが無い時代に取材先と会社での連絡をするために作られたものだった。それでは、無線技術も発達していない時代は、どのようにやり取りをしていたのか。

「1950年代ぐらいまでは、伝書鳩を飛ばしてたんですよ」

衝撃の事実である。1950年代といえば、ついこの間とは言わないが、そこまで昔ではない。

朝日新聞で鳩を使っていたときは、トンビの襲撃なども考えて3匹の鳩を使って一つの記事を送っていたそうだ。

お話を聞いてみると、現在の社屋ができるまえ、有楽町にあった旧社屋の屋上には伝書鳩を飼育するための鳩小屋があり、伝書鳩の世話をしていたという。
鳩小屋から無線塔へ。情報伝達技術の推移によってその本社屋の設備も変わっていくのだ。


ネタの宝庫だった

最初は、無線塔の取材だったが、おもわずいろいろなことを聞いてしまった。
私たちは新聞をよく目にしている。しかし、それを作っている新聞社については意外と知らないことが多い。聞く情報が知らないものばかりで、めちゃくちゃ新聞社に興味を持ってしまった。新聞社、ネタの宝庫でフロンティアである。

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