和歌山は深い
ほぼ初めての和歌山だったけれど、なんでもある。海もあり多くの人が釣りをしていた。山もあり普通に鹿が闊歩していた。自然が豊かで、気候もいい。見所もたくさんある。みかんも美味しい。和歌山が好きになった。ぜひ和歌山にも私を好きになって欲しいと思います。
家の絵を描いて、と言われた時に顔の絵は描かない。普通の家の絵を描く。それは家は顔ではないからだ。しかし、和歌山の印南町に顔の家があった。顔なのだ。家なのに顔なのだ。
とても顔だった。誰かの別荘という話だ。とても顔なのだ。家ではあるけれど、顔なのだ。顔の家。家が顔、と言ってもいい。日本語の勉強みたいだ。どちらにしろ、家が顔で、顔が家なのだ。それ以上でも以下でもない。顔なのだ。
印南町はカエルで町づくりを行っている。「考える」「人をかえる」「町をかえる」「古里へかえる」「栄える」という5つのカエルにひっかけネーミングした「カエル橋」がある。
印南駅の待合室にはカエルが座っている。カエルの町だからカエルがたくさんいるのだ。その他にもカエルの銅像があったり、町のマスコットキャラが「エルちゃん」というカエルだったりする。カエルを見たくなったら印南だ。
和歌山は岩の景色が素晴らしい。自然が作り上げた芸術だ。まずは白浜の千畳敷。実際は畳の千畳よりもずっと広く2haもある。第3紀層の柔らかい砂岩を波が削り、このような景色になるそうだ。
次も白浜にある「三段壁」。大昔に浅い海の底が隆起して海岸段丘になった。海岸段丘の上面が千畳敷で、断面が三段壁とそれぞれ呼ばれている。太平洋に突き出している。突き出していることがカッコいい。
最後は串本の「橋杭岩」。海の中を大小40余りの岩柱がそそり立っている。海中にそそり立っているのがいい。岩の硬い部分が侵食から残り、そそり立っている。綺麗に一列に並び、そそり立っている。それがそそる。
人は大きいのと小さいのなら大きい方が好きだ。大は小をかねるとも言う。大きいほど素晴らしいのだ。大きな家と小さな家なら大きな家に住みたいし、大きな器と小さな器ならば、大きな器を持つ人の方が慕われるだろう。そういうことなのだ。
大斎原はかつて熊野本宮大社があったところ。1889年の大水害で社殿の多くが流され、ここから徒歩10分くらいの場所に遷座した。現在は大きな鳥居が建っていて、この鳥居が日本一の大鳥居らしい。たしかに大きかった。私もこのような大きな人間になりたい。
普通とデラックスならば誰もがデラックスが好きだ。普通な家とデラックスな家ならばどちらに住みたいだろうか。デラックスに決まっている。普通の部屋とデラックススイートならどちらに泊まりたいだろうか。デラックスに決まっている。
紀伊田辺駅から伸びる商店街にある鈴屋菓子店に「デラックスケーキ」が売られている。創業大正13年の老舗だ。そんなお店が作っているデラックスケーキ。ケーキじゃないのだ、デラックスケーキなのだ。スラックスではないのだ、デラックスなのだ。
カステラにジャムをサンドして、ホワイトチョコでコーティング。デラックスだ。とてもデラックスだ。カステラだけではなく、ジャムをサンドし、さらにホワイトチョコだ。普通のチョコではなく、ホワイトチョコという純白さにデラックスを感じる。デラックスを絵に描いたような逸品だ。
めちゃくちゃ甘かった。とても甘かった。ただ甘いのが好きなので美味しかった。減塩とか甘さ控えめとかがあまり得意ではない。振り切って欲しいのだ。デラックスケーキはまさにそれだ。デラックスにやはり間違いはないのだ。デラックスに美味しかった。
最後は和歌山電鐵貴志川線の「貴志駅」。この駅にはマネージャー駅長「ニタマ」さんがいる。猫である。猫だけれどマネージャー駅長なのだ。こちらの猫を見て和歌山の旅を終わりとしたい。かわいいマネージャー駅長さん、見たいやん。
違った、これは酸っぱさに悶える私で、マネージャー駅長「ニタマ」さんではない。ただ200メートルくらい離れると、私のこともかわいい、と思えるのではないだろうか。
ほぼ初めての和歌山だったけれど、なんでもある。海もあり多くの人が釣りをしていた。山もあり普通に鹿が闊歩していた。自然が豊かで、気候もいい。見所もたくさんある。みかんも美味しい。和歌山が好きになった。ぜひ和歌山にも私を好きになって欲しいと思います。
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