クジラの街に行く
和歌山といえばクジラの街だ。スーパーに行き魚売り場を見ていると普通に「クジラ」を売っていたりする。中でもクジラ漁で有名なのが「太地町」。捕鯨のメッカである。古くからクジラ漁を行ってきた。
太地町は捕鯨に恵まれた土地だ。海流、地形など地理的条件が向いていた。たとえば、本州最南端の潮岬は、岬角近くを黒潮が強く流れるので、鯨網のような大きな網を使うことは難しい。和歌山藩は潮岬あたりでも捕鯨を行わせていたけれど、あまり振るわなかった。
一方で太地町あたりでは沖合いを速力を落として流れる。その他にもいい点がいくつもあって、とにかく太地町は捕鯨に向いた条件が揃っていたわけだ。捕鯨はいろいろな地域でやっていたけれど、組織的な産業活動としての捕鯨は太地町が初だ。
組織的な捕鯨は和田頼元さんが切り開いたらしい。歴史的な人に「さん」を付けると急に身近に感じる。最近の人なのかなとすら感じる。でも、1606年のことだ。その後、和田頼治さんが網取り法を考案して太地の捕鯨は飛躍的に発展した。1675年のことだ。「さん」により最近な気がしたけれど、やっぱり昔の話だ。
あと全然関係ないけれど、1965年に出版された「熊野の太地 鯨に挑む町」を読んでいると、「太地女は美人の代表」と書いてある。太地町に行った後にこの本を読んだのだけれど、すごく納得した。太地で私もなんとなくそう感じていたので、やっぱりとなったのだ。
太地町には古式捕鯨の跡が残っている。ぜひそういうのを巡りたい。クジラを捕る方は無理なので、発見や指示を出していた方を見たいのだ。ということで、燈明崎を訪れた。ここに山見台があるのだ。
ここでクジラを発見して狼煙をあげ、船団や港に連絡を取った。この脇には狼煙をあげていた跡も残っている。さらに手前には支度部屋跡もある。山見で働く人々は夜明けからずっと海を見張っていたらしい。
山見台からずっと海を見ていたら、目が良くなった気がした。海広いな、となるのだ。あと、海青いな、となるのだ。クジラはいなかったよ。目が良くなったのも勘違いで、メガネを外すと何も見えなかったけれど、気分としては2.0。クジラ2.0だ。
クジラを食べる
クジラを食べたいということで、「道の駅たいじ」に行った。ここでクジラ料理を食べることができる。「鯨竜田揚げ定食」、「鯨カツ定食」、「鯨焼肉定食」など。私は鯨スタミナ丼をチョイスした。写真が一番大きかったからだ。
鯨の竜田揚げに甘辛いタレが絡められ、ご飯の上に乗っている。食べてみると柔らかく、美味しい。私は味にうるさい。まずいか美味しいかだけを大切にしている。どういう風に美味しいのかとか、風味がとかは私の舌ではわからないが、美味しいかどうかだけはよくわかる。これは美味しい。
これも美味しかった。癖もなく美味しい。コロッケはやっぱり美味しい。鯨はコロッケにも合うようだ。だって美味しいんだもん。醤油かソースをかけるとご飯がより進むと思う。
スーパーに行って「ミンク鯨のお刺身」も買った。普通の魚のお刺身と比べると硬いけれど、心地よいというか、硬さが嫌ではない味だった。ちなみにイルカとクジラの違いは基本的には大きさだ。例外もあるけれど4m以下をイルカとしている。
イルカ見て、クジラ跳ねる
太地町には「くじらの博物館」がある。太地町の捕鯨の歴史やクジラ、イルカなどのことを知ることができる。たとえばクジラにはハクジラ類とヒゲクジラ類がいて、先に食べたミンク鯨はヒゲクジラ類。その骨格を見ることができた。
また「くじらの博物館」では、生きているイルカとクジラを見ることができる。泳いでいるのだ。それぞれのショーもなかなかに面白い。イルカのショーだけではなく、クジラのショーもあるのだ。
比べるとやはりクジラは大きかった。イルカも十分大きいんだけどね。海で泳いでいて急に現れると怖いと思う。私はイルカやクジラは好きだけれど怖いのだ。好きだけれど別れる、みたいな古いメロドラマみたいな感じだ。
たぶん私がカリフォルニア州で生まれ、ハワイに住んでいて絵心があれば、イルカやクジラの絵を描く画家になっていたと思う。たまに来日して個展を開き、リトグラフやジグソーパズル、絆創膏などのグッズを販売するだろう。九州生まれなので、その道は歩まなかったけれど。
こちらでは白いバンドウイルカや、白いハナゴンドウなどを観察することもできる。どちらも大変珍しい個体だ。ちなみにバンドウイルカはイルカで、ハナゴンドウはクジラ。さらにちなみに「シロイルカ」は4メートルを超えるけれど、イルカだ。意外に曖昧だ。