旅行と日常の両方の気持ちになる
移動中は旅行で、買い物中は知らない場所での日常で、家に帰って銚子の牛乳などを見ると旅行と日常の両方の気持ちになる。
楽しかったので、今度は知らないお弁当とか買って食べる時間を作ってまたやりたい。
ある日突然どこかに行ってしまいたくなる。
毎日の買い物の時ふとそう思ったら、ガンガン行ってしまえばいい。なぜなら行ってしまった先にも多分スーパーはあるからだ。
うちには4歳の子どもがいて、朝保育園に連れていき、そのあと家に帰って家事と仕事をして夕方迎えに行く、というスケジュールを繰り返している。
そして数日に一回、近所のスーパーに買い物に行くというルーティンがある。ご飯の材料と、歯磨き粉とかラップとかを買う。
特別な予定が入らない限りはこの繰り返しである。いつものスーパーはいつ行ってもいつものスーパーである。不満はないがトキメキもない。
ならば、通勤中に反対のホームに来た特急電車に飛び乗るように、突然どこか遠くに行ってしまえばいい。
会社だったらその特急の中で上司への言い訳を考えるのかもしれないが、いつもの買い物なら着いた先のスーパーでできる。
突然どこか遠くへ行ってしまいながらも、幸か不幸か日常は続いていくのだ。
どうせなら可能な限り遠くへ行きたい。使える時間をギリギリまで移動に費やせばそういうことになるだろう。
ここまでのことを心で決め、何日かいつもの生活をした。
ある日、子どもを保育園に送って家に帰り、家の窓から空を見るとなんとなく憎たらしい晴れ方をしていた。
「なんで出掛ける予定がないんだ…!」というぶつけどころのない怒りを自分の中に認めたらすぐに決まった。今日だ、今日行こう。
服も、Tシャツとワシャワシャしたジャージみたいなズボン。
調べたら僕の住んでいる東京東部から千葉県の銚子まで、電車で2時間半ということが分かった。
特急に乗れば1時間40分だけど、衝動で家を出てちょうど特急に乗れるような都合のいいことは起きない。
2時間半、今行くなら2時間半だ。ちょうど時間ギリギリだし、水産都市で醤油の名産地、あの銚子のスーパーに行けるというのがいい。
大学生の時、友達の誰かが車の免許を取ったので、みんなで銚子に行ってお寿司を食べようという計画があった気がする。実際に行ったかどうかは忘れてしまった。
傍から見るとほとんど分からないが、自分なりに「電車に乗る時の服」というのは決まっていて、今日はそれではない。周りがすごくちゃんとしていて、自分がすごく無防備に感じた。
みんな予定通り、行くべき場所に行く途中なんだろう。
近所のスーパーに行く格好で電車に乗って1時間ほど、景色が変わってきた。
自分が向き合わなければいけないものからすごいスピードで離れていく不安と焦り、そして清々しさがあった。
最初はやるべきことをやっていない後ろめたさがあったが、景色を見て「こんなに現実離れしているんだからもうしょうがない」と思うようになり、そのうち銚子駅に着いた。
駆け出したくなった。日々の買い物ではあり得ない感情。
観光に来たんじゃない。日々の買い物なんだ。目的も違うし実際に時間もない。帰りの電車が一時間後なのだ。
ゆっくり歩きたい気持ちと戦いながらスーパーに向かう。「これはいつもの買い物、いつもの買い物…」と自分に言い聞かせる。
茨城と千葉に店舗のあるスーパーである。初めて来た。
いつもの買い物に、可能な限り遠くのスーパーに来た。色々見たいけど時間もあるので早足で行ったり来たりする。檻の中のトラみたいだった。気づいたことを画像にまとめました。
通ったらしゃべれるようになると思う。
買い物が終わった。
いつもの買い物ならまっすぐ帰るんだけど少しだけ銚子を感じさせてほしい。
水面がすごく穏やかだった。これをずっと見たかったんだという感じがした。やっぱり全てを放り出して見るものと言えば海である。
全てを放り出して遠くに来たがいつもの買い物はした。海を見て呆然ともした。満足したので電車に乗って帰った。
帰りの電車で「今日いちにち、買い物しかしてないな」と気が付いて唖然としたが、しっかり体は疲れていて、背中で西日を感じながら寝た。
家に着いたらすぐ子どもを迎えに行き、帰ってご飯の支度をした。
それからしばらくは「銚子で買った〇〇」という食事があってなんとなく楽しかった。
移動中は旅行で、買い物中は知らない場所での日常で、家に帰って銚子の牛乳などを見ると旅行と日常の両方の気持ちになる。
楽しかったので、今度は知らないお弁当とか買って食べる時間を作ってまたやりたい。
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