呪術廻戦ファンに嬉しい呪詛ゾーン
ここまで見てきた呪術は必ずしも悪いものではなかったが、今の世の中的には呪術や呪物と聞くと呪い(のろい)的な負のパワーの印象を抱く人が多いだろう。きっと「呪い」という文字を見たときに「まじない」と読むより「のろい」と読む人が多いはずだ。
これは近代化により呪術との関わりが希薄になり、より人々の心に残りやすい悪い方のイメージだけが残ってしまった結果だと考えられるが、負のパワーの呪術の代表格と言えばワラ人形である。
本展ではワラ人形ももちろん展示されている。
イギリスの人類学者フレーザーは呪術を類感呪術と感染呪術の2種類に分類して説明している。
類感呪術とはある現象を模倣することによってそれを実際に引き起こそうとするもので、雨乞いで水を撒き太鼓を叩いて雷の音をあらわすことなどがあげられる。
一方の感染呪術は、一度接触したものあるいは一つのものであったもの同士は、遠隔地においても相互に作用するという考えによるもので、呪う相手をかたどったワラ人形を社寺の境内の樹木に五寸釘で打ち付ける丑の刻参りはまさにこれにあたる。
さきほど写真を載せた釘崎野薔薇が使う呪術は感染呪術を極限まで進化させた技といえる。
このように神仏や悪霊などに祈願して相手に災いが及ぶようにすることを呪詛というが、呪詛をかけられていると分かった時に行うのが呪詛返しである。
人形をつくりそこに決まった歌と九字を書き入れ、祈念して邪気や怨念を人形に移し、秘歌を唱えながら川に流せば身に受けた呪詛はそれを行った本人に返されるという。
呪詛返しは一般の人が行っていたのだろうか。
長谷川さん:今回の資料は呪詛返しの資料は修験者関係の資料となります。実際にはさまざまな作法を行ったうえで呪詛返しを行いますので修験者などの宗教者でないと行えなかったと思います。
何か悪いことがあったときに修験者やイタコなどの宗教者に拝んでもらうことがかつては行われており、そうした中でその原因が呪詛であると判明することがあったとされています。
呪符を作るのと同様に、宗教者でないと呪詛もできなかったようだ。つまりは修験者やイタコなどの宗教者が「呪術師」であったというわけだ。『呪術廻戦』で主人公たちが呪術の勉強をするために通う学校「呪術高専」がお寺のような出で立ちをしているのも、そういった関係があるのだろう。
呪詛返しとは毛色が異なるが、恐るべき呪力を発揮する呪物として十種神宝(とくさのかんだから)も紹介されている。
十種神宝とは饒速日命が天神御祖から授けられた十種の宝のことで、「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱えながら十種の宝を揺り動かすことで死人さえも生き返るほどの呪力を発揮するという。
ちなみに『呪術廻戦』の作者、芥見下々先生は岩手県出身である。長谷川さん曰く、芥見先生が「遠野とかかわりがあるかは把握しておりません」とのことだったが、少なからずルーツである岩手県の文化・民俗性が作品に反映されていることは疑いようがないだろう。
『遠野物語』の舞台が目の前にある素晴らしさ
展示内容としてはだいたい以上のような内容だが、遠野の素晴らしいところは博物館を出たすぐそこに『遠野物語』の舞台が広がっているということだ。
今回、いくつかの話の舞台となっている土淵町山口にも行ってきたのでせっかくなのでザーッと紹介したい。駅からレンタサイクルで40分ほどひたすら自転車をこいで向かったのだが、めちゃくちゃ暑くて水分を持っていなかったので死ぬかと思った。カッパなら死んでたな。
何の変哲もないのどかな田舎の風景と言ってしまえばそれまでなのだが、田舎であるということは当時の面影を今も感じさせてくれるということだ。
この景色を「昔の風景」としてではなく「当時の”現在”の風景」として捉えることで、展示されていた呪術や呪物が単なるびっくり資料ではなく、当時の生活に根付いたリアルなものとして、ひしひしと実感することができるのだ。
遠野の街も含めて良い展示を見ることができて大満足である。
『遠野物語』と『呪術廻戦』
『呪術廻戦』ではカッパや口裂け女などの怪談や妖怪が「特級仮想怨霊」という呼び名で説明されている。実在しなくても共通認識のある畏怖のイメージは強力な呪いとなって顕現しやすいのだという。
『遠野物語』は様々な遠野の人々から語られる話をつづった作品だが、河童や天狗の存在は、何人もの人が語っており、まさに共通認識のある畏怖のイメージがかたちになった作品と言えるだろう。
しかし現代を考えると多様性の社会で世間的な共通認識が薄れる一方、SNSなどの普及で個人的な怨念が溜まりやすくなっているように感じる。そう考えると、これからは個人的な呪いが「特級仮想怨霊」を凌駕する時代になるのではないだろうか。
そんな視点で『呪術廻戦』と『遠野物語』を比べてみるのも面白いかもしれない。それが現代と近世、近代の比較につながるとさらに面白そうだ。
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取材協力:遠野市立博物館
岩手県遠野市東舘町3−9
公式X(ツイッター) @tonomuseum