特集 2023年9月12日

「遠野物語と呪術」展から『呪術廻戦』を考える

呪術廻戦ファンに嬉しい呪詛ゾーン

ここまで見てきた呪術は必ずしも悪いものではなかったが、今の世の中的には呪術や呪物と聞くと呪い(のろい)的な負のパワーの印象を抱く人が多いだろう。きっと「呪い」という文字を見たときに「まじない」と読むより「のろい」と読む人が多いはずだ。

これは近代化により呪術との関わりが希薄になり、より人々の心に残りやすい悪い方のイメージだけが残ってしまった結果だと考えられるが、負のパワーの呪術の代表格と言えばワラ人形である。

本展ではワラ人形ももちろん展示されている。

呪物オブ呪物 ワラ人形!実物をみるとちょっとビビッてしまう。呪われたくない…
呪いを祓う神事で使用される人形も。千と千尋の神隠しで銭婆が使ってたやつ…!
そして『呪術廻戦』でワラ人形と言えば画像の釘崎野薔薇だが、この子の出身地が岩手県という設定なので、これはもうファンにはたまらないわけですよ。(呪術廻戦キャラクターの画像は以下全て手元にあったたこ焼きチェーンのコラボノベルティを撮影)

イギリスの人類学者フレーザーは呪術を類感呪術と感染呪術の2種類に分類して説明している。

類感呪術とはある現象を模倣することによってそれを実際に引き起こそうとするもので、雨乞いで水を撒き太鼓を叩いて雷の音をあらわすことなどがあげられる。

一方の感染呪術は、一度接触したものあるいは一つのものであったもの同士は、遠隔地においても相互に作用するという考えによるもので、呪う相手をかたどったワラ人形を社寺の境内の樹木に五寸釘で打ち付ける丑の刻参りはまさにこれにあたる。

さきほど写真を載せた釘崎野薔薇が使う呪術は感染呪術を極限まで進化させた技といえる。

歌川芳盛による「丑満(丑の刻)参り図」 丑の刻参りは誰にも見られずに7日間やり通さなければならず、相当の怨念がないと実践はできなかったことだろう。

このように神仏や悪霊などに祈願して相手に災いが及ぶようにすることを呪詛というが、呪詛をかけられていると分かった時に行うのが呪詛返しである。

人形をつくりそこに決まった歌と九字を書き入れ、祈念して邪気や怨念を人形に移し、秘歌を唱えながら川に流せば身に受けた呪詛はそれを行った本人に返されるという。

呪詛返しの方法について記された書。そんなにゆるい表情を描かれると怨念を移しにくい

呪詛返しは一般の人が行っていたのだろうか。

長谷川さん:今回の資料は呪詛返しの資料は修験者関係の資料となります。実際にはさまざまな作法を行ったうえで呪詛返しを行いますので修験者などの宗教者でないと行えなかったと思います。

何か悪いことがあったときに修験者やイタコなどの宗教者に拝んでもらうことがかつては行われており、そうした中でその原因が呪詛であると判明することがあったとされています。

呪符を作るのと同様に、宗教者でないと呪詛もできなかったようだ。つまりは修験者やイタコなどの宗教者が「呪術師」であったというわけだ。『呪術廻戦』で主人公たちが呪術の勉強をするために通う学校「呪術高専」がお寺のような出で立ちをしているのも、そういった関係があるのだろう。

ところでワラ人形は丑の刻参りだけでなく、守り神的な役割として辻や門口に置かれることも多かった。これは春風祭りの人形で無病息災を願って作られた。
だからワラ人形そのものが不吉なわけじゃないのです。呪い(のろい)は嫌いでもワラ人形のことは嫌いにならないでください!

呪詛返しとは毛色が異なるが、恐るべき呪力を発揮する呪物として十種神宝(とくさのかんだから)も紹介されている。

 十種神宝とは饒速日命が天神御祖から授けられた十種の宝のことで、「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱えながら十種の宝を揺り動かすことで死人さえも生き返るほどの呪力を発揮するという。

十種神宝が描かれた十種神宝図
鏡2種、剣1種、勾玉4種、比礼(スカーフのようなもの)3種の十種だ
『呪術廻戦』には十種神宝にちなんだ呪術を使う伏黒恵というキャラクターがいる。元ネタが見られて激アツ!

ちなみに『呪術廻戦』の作者、芥見下々先生は岩手県出身である。長谷川さん曰く、芥見先生が「遠野とかかわりがあるかは把握しておりません」とのことだったが、少なからずルーツである岩手県の文化・民俗性が作品に反映されていることは疑いようがないだろう。

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『遠野物語』の舞台が目の前にある素晴らしさ

展示内容としてはだいたい以上のような内容だが、遠野の素晴らしいところは博物館を出たすぐそこに『遠野物語』の舞台が広がっているということだ。

今回、いくつかの話の舞台となっている土淵町山口にも行ってきたのでせっかくなのでザーッと紹介したい。駅からレンタサイクルで40分ほどひたすら自転車をこいで向かったのだが、めちゃくちゃ暑くて水分を持っていなかったので死ぬかと思った。カッパなら死んでたな。

これが遠野の夏。カッパじゃなくても水分はたくさん持っておこう。
遠野物語の語り手である佐々木喜善の生家。今でも住まれている方がいて感慨深い。
村のはずれにある墓地はダンノハナと呼ばれていた
村では60歳をすぎるとデンデラノ(目の前のはらっぱ)に移ってそこから昼間仕事にでかけたという。いわゆる「姥捨て山」的なことなのだろう。
ザシキワラシが出ていってしまったせいで下人ともども毒キノコにあたって死んでしまった当時村一番の長者の屋敷跡。ただのはらっぱが一気にドラマチックに思える。
山口集落の河童淵は遠野物語58話の舞台。馬を川に引きずり込もうとした河童が逆に馬に引きずられて村まで連れてこられてしまった話。確かにカッパがいそうな雰囲気。
ちなみに伝承園のそばにあるかっぱ淵では、河童捕獲許可証(200円)を伝承園で購入することでカッパ釣りに挑戦することができる。伝承園の方曰く、コツは「信じる気持ち」
信じたけど釣れなかった。いつかカッパを釣ってやる!(気持ちが大事)

何の変哲もないのどかな田舎の風景と言ってしまえばそれまでなのだが、田舎であるということは当時の面影を今も感じさせてくれるということだ。

この景色を「昔の風景」としてではなく「当時の”現在”の風景」として捉えることで、展示されていた呪術や呪物が単なるびっくり資料ではなく、当時の生活に根付いたリアルなものとして、ひしひしと実感することができるのだ。

遠野の街も含めて良い展示を見ることができて大満足である。


『遠野物語』と『呪術廻戦』

『呪術廻戦』ではカッパや口裂け女などの怪談や妖怪が「特級仮想怨霊」という呼び名で説明されている。実在しなくても共通認識のある畏怖のイメージは強力な呪いとなって顕現しやすいのだという。

『遠野物語』は様々な遠野の人々から語られる話をつづった作品だが、河童や天狗の存在は、何人もの人が語っており、まさに共通認識のある畏怖のイメージがかたちになった作品と言えるだろう。

しかし現代を考えると多様性の社会で世間的な共通認識が薄れる一方、SNSなどの普及で個人的な怨念が溜まりやすくなっているように感じる。そう考えると、これからは個人的な呪いが「特級仮想怨霊」を凌駕する時代になるのではないだろうか。

そんな視点で『呪術廻戦』と『遠野物語』を比べてみるのも面白いかもしれない。それが現代と近世、近代の比較につながるとさらに面白そうだ。

山口集落でまっすぐに伸びる雲が出ており神秘的な力を感じずにはいられなかった。

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取材協力:遠野市立博物館
岩手県遠野市東舘町3−9
公式X(ツイッター) @tonomuseum

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