子どもの頃唱えていたあれも呪術
前ページのようなわかりやすい形をもったまじないだけでなく、「言葉」も呪術の一種である。言葉には呪力があるというのはよく聞く話で、いわゆる言霊(ことだま)と言われるものだ。
1月15日頃の小正月に行われていた「成木責め」という行事では、果樹に向かって刃物を向け「成るか成らぬか、成らねば切るぞ」「成ります、成ります」という問答を行うという。これによってその樹木は秋にたくさんの実をつけることが約束されたと考えるそうだ。樹木に対して厳しすぎやしないか?
こうした言葉の力をより明確に発揮させるために生み出されたのが呪文であり、そうした呪文を記した御札なども多数展示されている。
このような呪符はどのような人が作っていたのだろう。
長谷川さん:呪符は基本的には神職や住職、修験者などの宗教に関わる方が配布するもので、一般の人が呪符をつくることは基本的には無かったと思います。
また五芒星、九字、急々如律令は全国的にみられるものです。呪符の書き方は全国的にも共通性があると思います。
さすがに一般の人がこれを作ることはなかったようだ。見よう見まねで真似したところで効果が得られるものではないのだろう。
ちなみにフジテレビでやっている「本当にあった怖い話」、通称ほん怖の中で唱えられる「イワコデジマ イワコデジマ ほん怖五字切り!」という呪文は心霊研究家のアドバイスのもと番組がオリジナルでつくった本物のおまじないらしい。
真似をして気軽に学校で唱えたりしていたが、こうしてガチな呪文や呪符を見た後だと、逆に悪霊の存在が際立つようで今更ながらゾクッとしてくる。
オシラサマと愛
呪術として身近なものとして占いもあげられる。毎朝、一番運勢の悪い星座にお助けアイテムとして示されるラッキーアイテムは一番身近な「呪物」と言えるかもしれない。
神や死者からお告げをもらう託宣も占いの一種であるが、遠野ではかつて「オシラサマ」という神様による託宣が行われていた。
毎年、正月の頃に近隣の人たち10~15人が集まって、イタコを呼んで”オシラ遊ばせ”をすることで、その年の作柄や参加者の健康などを占っていたそうだ。また、祭日にはオシラサマにオセンダクといわれる新しい布を一枚着せて、豊作や家内安全を祈願したという。
そんなオシラサマだが『遠野物語』69話にその由来が書かれている。
或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連つれ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋すがりて泣きいたりしを、父はこれを悪にくみて斧をもって後うしろより馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇のぼり去れり。
オシラサマというはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。
(青空文庫 遠野物語69話より抜粋)
簡単にいうと、とある娘が馬と恋に落ちて夫婦になったがそれを知った父親が怒って馬を桑の木に吊り下げて殺した。娘があまりにも悲しむものだから余計忌々しくなって馬の首を切り落としたら、娘はその首に乗って天に昇ってそのまま去ってしまった。それがオシラサマという神になった。という話だ。
なかなかハードボイルドな話であるが、オシラサマ信仰が広く根付いているところをみると、愛をベースにした呪い(まじない)の強さを感じざるを得ない。
ネタバレになるので深くは書かないがこのあたりは劇場版としても話題になった『呪術廻戦0』に通づる部分があるのではないだろうか。