土のうの良さを説明します
土のう。
すべてが複雑化する社会。正直に言って、私はいまだに電話やパソコンの仕組みすらちゃんとは理解していない。分からないものに生活を委ねている少しの罪悪感が常にまとわりつく。だが土のうは違う。
土のうで隙間を埋めて、物理的に浸水を防ぐ。土のうを積み上げて足場を作る。めちゃくちゃ頼りになるのに役割も使い方も極めて明快。分からないことなど何もない安心感。
加えて言葉の響きも良い。大体「ど」から始まる言葉は全部強そうで格好良い。怒髪天、ドン・コルレオーネ、土橋、ドッジ弾平、そして土のう。
その上「土のうステーション」ときたもんだ。
ミュージックステーションに報道ステーション。これまで様々な言葉が「ステーション」と組み合わさってきたが、「土のう」と「ステーション」は意外過ぎて目を引く。
気が付けば私はすっかり土のうステーションの虜になっていた。これまではデヴィッド・ボウイの『ステイション・トゥ・ステイション』が一番格好良いステーションだと思っていたが、土のうステーションが一気にその座を脅かし始めた。
よく見ると自治体によってカバーが微妙に異なるのもコレクション欲を刺激する。
数年かけて文京区、台東区、千代田区、目黒区で土のうステーションと遭遇し撮影したが、やっぱり23区すべてのデザインを見てみたくて東京じゅうを駆け回ってきた。
土のうステーション探訪、即ち水辺探訪
今回、土のうステーション(ちょっとここからは略して“土のステ”と表記します)を見て回るうちに気付いたことがある。
そう。当たり前っちゃ当たり前の話なのだが、土のステが設置されているのは河川や暗渠沿い、あるいは低地で水害リスクの高い場所なのである。
土のステは公園に設置されていることが多いのだが、中野区ではわずか数百mしか離れていないのに設置されている公園とされていない公園があった。よくよく観察してみると、設置されている公園は低地で、されていない公園は高台にある。
私が土のステに惹かれたのはあくまで単体での存在感や見た目、言葉の響きによるものだった。しかし常に水の気配を感じながら23区を探訪するうちに、東京は水の都であり、ゆえに水害のリスクを常に抱えていることを図らずも実感した。後追いで「機能面としての土のステ」という視座を得られた。
高校生の頃、マライア・キャリーが綺麗過ぎてPVをずっと見ていたが、いつしか『Breakdown』という曲自体の良さに惹かれて聞き続けていたことを思い出した。例えが適切か分からないけど。
変わり種
とはいえ見た目の話も。土のステの見比べは、基本的に僅かな差異に喜びを見出す作業である。
しかし中には全然違うものもあった。
やはりこういうのを見つけた時は嬉しくて、思わず「お!」と声が出てしまう。
また、お目当ての土のステが見つかるとつい駆け寄って近くで見てしまうが、引きの構図で「土のステがある光景」を眺めるのもオツなもんだ。

