特集 2019年10月1日

お前たちがあおり運転をするなら俺達はあおり食べでいく

あおり運転は運転だけで人をあおる。他の行動にもあおりが可能なんじゃないか

少し前に世間ではあおり運転が問題になっていた。エアガンで後ろから撃たれたりするらしい。なんだそれは。あおり運転、一体どんなことになってるんだ。

そもそもあおり運転って何なんだ。ふだん運転しない側からすると言葉を使わずによく「あおり」が分かるものだと思う。飲み会の一気コールとかじゃない、ただの車での移動なのに。

もしかしたら他の行為でも「あおり」は可能なのだろうか。例えば歩行でもあおれるのだろうか。様々なあおりに挑戦してみた。

2006年より参加。興味対象がユーモアにあり動画を作ったり明日のアーという舞台を作ったり。

前の記事:怒鳴るように謝るといいらしいのでやってみる

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

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デイリーポータルZ編集部の藤原浩一(左)と俳優の八木光太郎くん(右)
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あおり歩行は可能なのか?

運転なりなんなり、言葉を使わずにその行為だけであおりは可能なのか? たとえばそれはダンスなどの身体表現に近いのではないか?

そう思ってコンテンポラリーダンスに明るい舞台俳優、八木光太郎くんとただ呼びやすかったデイリーポータルZ編集部の藤原浩一を呼んだ。

まずは車のあおりを歩行でやってもらった。

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後ろにぴったりつくあおり歩行。たしかにこれはただならぬものを感じる
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すきを見て強引に前に出る。これはイヤな人だ。

なんて変な人だ。嫌すぎる。これらはあおり運転の歩行へそのまま移植したものである。それでもこれだけ嫌なのか。

だったら歩行ならではのあおり行為とはなんだろうか。車でなく人によるものだ。藤原が生み出したあおり歩行とはこちらである。

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歩行ならではの表現がある

手を叩く藤原に対して嫌がる八木くん。なんのためにこんなことをしてるのかはわからないが、これはたしかに嫌だなという感触がある。

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手をたたきながら通り過ぎる人。これはたしかにあおりとしか言いようがない。

「車で言えばしつこくクラクションを鳴らされているようだったし、得体の知らないものがすごい近くにいる恐怖感がありました」とはあおられた八木くんの感想だ。

すごい。本当にあおり運転みたいになってきてる。ただの変なおじさんではないのか。

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あおり読書は可能なのか?

ほかにどんなあおりが可能なのだろうか? 人をせっつくような状況を考えていて、つづきものの漫画を2人で読んでいるときが思い当たった。

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早く読み終わった人が「読み終わってくれないかな…」という状況である

もう読んじゃったよ、早く読んでくれ、そんな気持ちを読書で表現することは可能なんだろうか?

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左の藤原浩一が最後のページまで読み終わったとして読書のあおり行為を考えてもらった
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読むものがなくなったということでカバーの裏まで読み始める。たしかになにか訴えかけるものがある。わかった。これはあれだ、あおりというよりあてつけだ!

読むところがない、というアピールを延々とすることでこれはたしかにあおり読書かもなという読み方ができた。

対して八木くんのあおり読書がこちらだ。 

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あおりとあてつけの違いは相手に向けること

「本を閉じる」という行為がエスカレーションしていくとたしかに「早くしろよ」が伝わる。そしてその音が大きくなっていく。

前者の藤原が「あてつけ、あてこすり」に見えたのに対してこちらはより「あおり」に近い。それは相手に対して向けられているかどうかだろう。

「あおり」は相手に向けて行為をエスカレートさせていくこと。ああ、こんなものでも知見はたまっていくのである。脳のメモリーをムダなことに使ったのがくやしい。

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パン!と本を閉じる行為をエスカレートさせていったあおり読書。あてつけより嫌がらせ度が高い
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飲み食いにあおりはあるのか?

飲食にもあおりという概念はあるのだろうか? たとえばソフトクリームをなめるという行為で相手をあおるというのは可能なのか?

藤原がペロペロペロペロ、と高速でソフトクリームをなめはじめた。ふだんの行為を高速でやるだけで相手をあおるということになるのか。いや、なってるのかこれは?

だからなんなんだ? この人は何が言いたいんだ? という気がしないでもない。

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ものすごく早くなめることであおりを表す。あおりなのかどうかもよくわからなくなってくる。
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ひたすらバカにしたような顔でなめるという技を開発した八木くん。あおってるのかどうかはわからないが、これは腹が立つ
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お茶を飲むということにもあおりはできるのだろうか? 藤原はペットボトルを吹いて法螺貝のような音を出していた。暴走族のコールのようなものだろうか。あおりだ。

ペットボトルのお茶を飲むのにもあおり行為は可能なのか二人にやってもらった。藤原は法螺貝のような音を出していた。たしかに暴走族みたいであおってる感があった。

そしてここに来てだんだんよくわからなくなってきたのがこの八木くんのこのあおり飲みである。

これはなんなんだ

全く言語化できないし、これがあおりなのかも全くわからない。ただ一つ言えることは、言語化できないものが一番おもしろいのではないか、ということだ。 

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例えば買い物でもあおり行為はあるのだろうか? これは後ろからボタンを押しそうになってくる人。たしかにこれはドライブレコーダーの必要性を感じる。相手が相手なら刃傷沙汰に発展しそうなうっとうしさだ。
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参拝においても後ろからあおることは可能なのだろうか? 後ろの人は手を高速ですり合わせながら四方八方に差し出すという謎の参拝方法だった。あおりがなんなのかもよくわからなくなってくる。
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掃除にもあおりは存在するのだろうか? 椅子を片付ける人に「遅いぞ」という意思を示す掃除機の人。こちらの藤原浩一のあおり掃除は排気を当ててきたこと。車のクラクションのようなものだろうか。しかしこの小学生っぽさはなんなんだろうか

 掃除にもあおり行為は存在する

だんだんあおり行為が小学生のいやがらせに近くなってきている(そもそもあおり運転が小学生みたいなことなのだろうが)が、ここに来て八木くんの掃除があおりを超えた何かを見せ始めた。

壊れたロボットなのだろうか。それともせっついているのだろうか。言語化できないなにかに出会った瞬間、あおり行為にも芸術点のような指標軸ができる。

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高速でイスにあて続ける八木くん。たしかにあおり行為だとも言えるのだが、バカなお掃除ロボットになったような感覚でもある
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ビールのあおり行為は一気飲みコールなんじゃないか?と思ったがやってみてもらったところ「人がジョッキを置こうとした場所に自分のジョッキを滑り込ませる」という高知あたりで行われてる酒豪の飲み方みたいなことになった。もはやさっぱりわからない

あおりにも芸術が宿る瞬間があった

たとえばサッカーにもあおり行為がある。不必要にテクニックをひけらかして相手を挑発したりだとか。ことばをつかわなくても私達は「急げ」とか「バカ!」だとか行為で示すことができる。

そしてときには「急げ」以上の何か、ことばを超えた何かを示すことがある。これはもうあおりではなく芸術と言っていいのではないかという状態だ。

あおることあおられることは社会的に問題であるが、突き詰めるとノンバーバルコミュニケーションの先があった。いやがらせの向こう側が見えたのだ。

ライターからのお知らせ

八木くんも藤原も出る毎年一回の祭典、アーの本公演がいよいよ1ヶ月前に迫ってきました
まだまだ稽古中ですがすでにおもしろいし売れてます。チケットは売り切れる前にお早めに。
元たまの石川浩司さんが出たりバンドで左右が出たり美術に最高記念室が参加したり文化祭みたいなことになってます。
 

テアトロコント special 明日のアー vol.5
『最高のアー 』

@ユーロライブ(渋谷)
11月3日(日) 19:00 11月4日(月・祝) 14:00 19:00 11月5日(火) 14:00 19:30 11月6日(水) 19:30

前売3500円、U25&学生割引2500円、高校生以下1000円 チケットはこちらから→ https://t.livepocket.jp/t/saikou

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よシまるシンさんのいいチラシが刷り上がってます 。左右のライブ、最高記念室の美術展も兼ねて文化祭のようになってきました。

 

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