痛いけどうめえ! サイダーうめえ! の時代
この原稿を書くにあたってWikipediaレベルだがサイダー史を少し調べた。
まず横浜の居留地の外国人がサイダーを居留地向けに売り始めた。そのあと同じ横浜で日本人が金線サイダーとして日本初のサイダーを出した。同じ頃兵庫県川辺で後に三ツ矢サイダーとなる平野鉱泉がウィリアム=ガランという外国人に発見される。そしてウィルキンソンが宝塚の方で炭酸を発見する。有馬温泉では町長が炭酸水を発見する。
この1900年前後の頃に「痛いけどうめえこれ!」「ほんとだ口痛えけどうめえ!」という炭酸に熱狂する時代があったのだ。
その後有馬温泉のサイダーは金線飲料(金線サイダーのとこだと思われる)に買収され、そこが三ツ矢サイダーを持つ日本麦酒鉱泉というところに買収され、後に大日本麦酒になり、戦後大日本麦酒が解体されアサヒビール他になりウィルキンソンもアサヒ飲料に合流する。あの頃盛り上がった日本のサイダーは大体アサヒ飲料にまとめられてるようだ。
天然の炭酸でハイボール飲もう~♪という考えは、そもそも売られてるのが天然の炭酸であった(メーカーによりそうですが)事実に打ちのめされ、そこで見えた世界はサイダー湧き放題の夢の国であった。