特集 2019年1月17日

天然の炭酸でハイボール作りたい

炭酸ってそもそもその辺に湧いてたものを売ってたそうだ。天然の炭酸飲みたい

ウィルキンソンという炭酸がコンビニに並んでいる。海外ブランドなのだろうなと思ってたら日本発で、ウィルキンソンさんが兵庫県の炭酸水を詰めて売ったのが最初だそうだ。ということは、だ。

兵庫県にまだその源泉があれば天然の炭酸水が飲めるんじゃないか。よし、天然のハイボール作って飲んだろうやないけ。

動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

前の記事:CMでは牛丼が弾んでいるぞ

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

ウィルキンソンは明治期に来たイギリス人

ウィルキンソンについてはメーカーのHPに歴史が書いてあるしWeb上にも記事がたくさんある。明治時代にウィルキンソンさんが兵庫県宝塚のあたりで炭酸水を見つけたので「ウィルキンソン タンサン」として売り始めた。

今われわれが炭酸水を「タンサン」と呼ぶのもそのときからだそうだ。ほー。インフルエンザをインフルと呼ぶ私達なのでウィルキンソンがなくても炭酸水をタンサンと呼んでた気もするが、タンサン。なるほど。

参考)ウィルキンソン、ルーツは兵庫の炭酸泉 歴史は明治からーー朝日新聞デジタル

どうやら今の工場は源泉の場所から移転したようだが「ウィルキンソン鉱泉」という場所がGoogle Mapsにある。兵庫県西宮市生瀬だ。

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かつての工場あとから一番近いコンビニにもありましたウィルキンソン。since1904と書いてある
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この辺のはずだが…、聞くとこの大きなマンションがかつての工場跡地に建ってるという
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劇場のある宝塚の隣の山の中

兵庫県西宮市生瀬という場所に来た。宝塚駅のとなりだ。急峻な山に家やマンションが建ち並んでるのは神戸やこの辺りの特徴では。

ガソリンスタンドのお母さんによるとこの辺にあったウィルキンソンの工場のあとにマンションが6棟建ったらしい。あ、でかい。あれか。

マンションの隣にはウィルキンソン記念館があった。お正月だったので閉まっていたが、中は地域の人の交流広場みたいなことになってるらしい。外観はここにあった工場を模したものだそうだ。行った人のブログがある。

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マンションのとなりに「ウィルキンソン記念館」があった。お正月で閉館
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地図にある「ウィルキンソン鉱泉」をめざして公園の中に入っていく
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なんにもない。井戸のあとみたいなのも見当たらない
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かつてここで炭酸が湧き出していたのか

Google Maps上にあった「ウィルキンソン源泉」まで山の中を歩いていくと、神戸市のマークと水道局管理用地だと書かれていた。やはりここで水が出ていたのか。しかしそこからかつての源泉を探そうにもなにも見当たらなかった。

検索してみると、当時の工場の写真を含むブログがWeb上にあった。ああ、この石垣。石垣ならある。やはりここにあったのか。じわー。脳内に歴史汁がじわーと分泌する。

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神戸市の水道局のマーク。水道局がこんな山の中に。なるほどここになにかあったのだろう。あとここは西宮市ではなかったのか
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石垣があった。ブログで見た炭酸水の濾過場にもあったものだ。こういう場所から全国に水が売られてたのか。むっちゃ山の中だ。天然水の採取って大体こんな感じなのかな
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ウィルキンソン源泉は枯渇、近い源泉を求めて

やはりウィルキンソンの源泉は見当たらず飲めそうにない。しかしだ。地下水なのだから地下に水がたまっててどこか別の出口で今も飲めたり、近くで他に炭酸が出てるなら内容としても近いものではないだろうか。

そう思って「炭酸 源泉」で検索してみると炭酸泉源公園というものが有馬温泉にある。しかもここから近い。やった。これだ。

関西圏のテレビCMでおなじみの有馬温泉である。名物に炭酸せんべい。そうか、あの炭酸とウィルキンソンの炭酸は近いのか。今後おれはウィルキンソンを飲みながら「有馬兵衛の向陽郭へ」というCMを思い出してしまうかもしれない。

天然の炭酸で天然のハイボール作れるな。でもそれってもしかしたらウイスキーの温泉割かな……いや、それでいいんだ今日は。さあ有馬温泉に向かおう。

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有馬温泉の炭酸泉源公園をめざす。ウィルキンソン跡地から車で10分程度だった
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めちゃめちゃ時間かけて石にでっかく刻みたいほど炭酸水なんだろう。公園到着
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1月3日。温泉街に観光に来てるお客さんが多い。外国の人も多かった
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かつて「毒水」と呼ばれる泉があって、調べたら炭酸泉だったそうだ。明治6年。ウィルキンソンが源泉を発見したのは明治22年。先に有馬温泉で炭酸が発見されたのか?
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「昔は砂糖を入れてサイダーとして飲まれていました」全小学生が歓喜の歌を歌う瞬間だ
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覗き込む黒ずくめの男。ここから炭酸を汲んでたそうだ。男はミスターXとしておこう。
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ここにも水は出ているが飲まないでと書いてある
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そのかわり蛇口があってここは飲んでいいそうだ
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出てきた出てきた。シュワシュワは見えないけど、コップに入れるとシュワーッと…
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なってない。発泡が見当たらない。理科の実験みたいになってきたぞ
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左が炭酸源泉公園水、右がコンビニで買ったウィルキンソン。うーわ。こりゃだめだ。しかし見た目は水で中はシュワシュワみたいなことがあるかもしれない。そうだ、エロ本に参考書のカバーをかけた感じのあれだ。
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「血の味がする」と聞こえてくる炭酸水

炭酸泉源公園には炭酸水源泉を味わえる蛇口があって観光客が集まっている。「血の味がする!」「ほんとだ、血の味だ!」という声が聞こえてくる。そんな物騒なことがあるだろうか。水源で殺人事件でも起こってるのだろうか。

ためしに飲んでみると、温泉くささなのかたしかに鉄の匂い。血の味も鉄の匂いだがより温泉に近い匂い。飲料水としてあまりおいしいものではない。

そして肝心の炭酸具合であるが、シュワシュワからは程遠い、もう、誤差と呼んでもいいかもしれない微炭酸っぷり。

そもそも弱い炭酸がふっと口の中で消えていく感覚にTwitterで見かけた「単細胞生物の最期」という動画を思い出した。繊毛が徐々に弱っていって、体がばらばらになっていくのだ。ああいう悲しさを感じる味である。

やはり炭酸が湧き出てるなんて夢のようは話はないのだ。これが現実だ、という炭酸具合だった。

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微炭酸も微炭酸、微、微、微炭酸くらいの微炭酸。そして硫黄なのか鉄分なのか匂いがついている
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ウィスキーを源泉の水で割ってハイボールを作った。天然のハイボール、めちゃめちゃ水割りっぽいな…
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いよいよハイボールを飲む

さあきた。コンビニで売られてるウィルキンソンからかなり遠い炭酸水であることはわかったが、それでもいよいよ天然のハイボールを作るときがきた。

ウイスキーを炭酸泉源公園の水で割って……見た目にハイボール感がない。うっすい水割りがここにある。これは期待できなさそうだが……。

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あーあ、な感じになるだろうなと思いきや、酒に風味がついてうまくなったぞ。天然のハイボール、うまいやんけ……水割りに近いけど。車で来たのに酒を飲んでる謎は最後においておこう

ややこしいことに意外とうまい

飲んでみると……??? あれ? なんかおいしいぞこれは。

話の流れ上、あーあ、という味になることが予想されたが意外にも鉄っぽい硫黄っぽい匂いが酒とまじることによって「変わったウイスキー水割り」となっていった。

そもそもウイスキーだって樽の匂いがついてるんだし、酒についた風味は大体なんでもおいしいのではないか。外国の酒のようでいい。炭酸の成果はからっきしだったが、天然のハイボールはうまいという結果だけを得てしまった。

結果がすべて。そういう価値基準でいくと大成功なのだが……なんなんだこの納得いかなさは。

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帰り道、父がトイレを借りに寄ったカフェで有馬サイダーというのがあった。へえ。どうやらこの辺で作られていたサイダーだそうだ。

有馬温泉でもかつて飲まれていた炭酸水

帰り道に立ち寄ったカフェにて有馬サイダーという地サイダーがあった。泉源公園で「砂糖を入れてサイダーとしていた」と書かれてたが、実際に売られていた味をイメージして復刻したものだそうだ。飲んでみるとちゃんとしたサイダー。うまい。これくらいシュワシュワしてたんだろうか?

帰ってから有馬サイダーの販売店である片山酒店に電話をして話をうかがった。

――炭酸泉源公園の水を飲んだんですが、有馬サイダーとはかけ離れた味ですよね?

「今は鉄の錆びた味しかしなかったと思うんですけども。泉脈なのでちょこちょこ変わるんですね。ちょっと炭酸水に近いときがあったり、水に近いときがあったり。

その昔あそこには天然のミネラルの炭酸水がぼこぼこ湧いてました。でもいろいろ掘削やなんやで泉脈が変わっちゃいまして、現在は炭酸水はもう出てないというのが現状なんですね。

明治の終わり頃、泉源公園の真下に有馬鉱泉という工場があって、そこで炭酸水やソーダなんかを作ってました。昭和初期には会社がなくなってしまいまして、その会社がのちに大日本麦酒に買収されてったという経緯があるんです。

もっと前でいうと鳥地獄、虫地獄って名前つけられて。二酸化炭素が入ってますのでくぼみにたまった水を飲みに来た鳥や虫たちがそこでバタバタと倒れていって「毒水や」と恐れられてたんですね。それを当時の有馬の町長が大阪に検査を出しましてね。湧水の炭酸水やということがわかりまして工場を作っていったという経緯がありますね。

このあたりの歴史を調べてまして、これおもしろいな、復活させようやないかということで作ったのが有馬サイダーになります」

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日本のサイダーの原点、なるほどたしかに。Wikipediaによると日本初は横浜の方で誕生したようだが炭酸が盛り上がった時代があったのだろう

木の札を持って炭酸水を飲んでいた

――じゃあ当時は今の復刻有馬サイダーレベルに炭酸が強かったんですか?

「そうですね、当時の味を想像したうえで委託して作ってもらってるんですけど。

我々も4、50年くらい前、源泉の炭酸をくんで、砂糖入れて『サイダーや』いうてた記憶はありますね。その当時はかなりシュワシュワしてましたよ。60歳前後の人やったら覚えてられると思いますね。くむのに木札みたいなのがあって木札渡してくましてもらうんです」

うわー、木札。おもしろい。かつて地獄と呼ばれていた場所が炭酸湧き出てサイダー飲み放題という子供にとっての夢の国になるとは。小学生の世界観がまさにそこにある。


痛いけどうめえ! サイダーうめえ! の時代

この原稿を書くにあたってWikipediaレベルだがサイダー史を少し調べた。

まず横浜の居留地の外国人がサイダーを居留地向けに売り始めた。そのあと同じ横浜で日本人が金線サイダーとして日本初のサイダーを出した。同じ頃兵庫県川辺で後に三ツ矢サイダーとなる平野鉱泉がウィリアム=ガランという外国人に発見される。そしてウィルキンソンが宝塚の方で炭酸を発見する。有馬温泉では町長が炭酸水を発見する。

この1900年前後の頃に「痛いけどうめえこれ!」「ほんとだ口痛えけどうめえ!」という炭酸に熱狂する時代があったのだ。

その後有馬温泉のサイダーは金線飲料(金線サイダーのとこだと思われる)に買収され、そこが三ツ矢サイダーを持つ日本麦酒鉱泉というところに買収され、後に大日本麦酒になり、戦後大日本麦酒が解体されアサヒビール他になりウィルキンソンもアサヒ飲料に合流する。あの頃盛り上がった日本のサイダーは大体アサヒ飲料にまとめられてるようだ。

天然の炭酸でハイボール飲もう~♪という考えは、そもそも売られてるのが天然の炭酸であった(メーカーによりそうですが)事実に打ちのめされ、そこで見えた世界はサイダー湧き放題の夢の国であった。

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写真にちょいちょい写り込むミスターXに運転してもらってたので酒を飲んだ。そしてミスターXとは私の父である

 

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