商品名凝りすぎ問題
最近の商品は全体的に説明的な名前が多いなと思っていた。
しかし僕は朝から会議続きで疲れているのだ。都会のオアシス、コンビニに行った時くらい「お、タイトル凝ったな。さてはネーミング会議に何日もかけたに違いない」とか思いたくない。
そんな中、目に留まった商品がある。
いのち
商品名が長くなりがちな昨今において、これほどまでに心に訴えかけてくる商品を久しぶりに見た。これの前はうまい棒。
名前につられて買った。
せっかく手に入れたいのちである。静かに食べようと会社にもどって会議室を予約したのだが、あいにく15分後からしか取れなかったのでいのちはいったん給湯室の冷蔵庫に入れておいた。
14時58分。会議室を覗くともう誰もいない。冷蔵庫からいのちを持ってきて部屋に入りドアを閉める。
いのち、中学の頃の女子の先輩みたいな匂い
素のテキストで書くと変態っぽいので見出しにしたが、パッケージを空けた瞬間に広がる幸福感ったらない。ゴルゴ松本が放つシャキッとした命!ではなく、吉永小百合あたりが演じるいのち。
この幸せは食べても続く。
いのちは、つまむのがもったいなくなるくらいに儚く柔らかかった。それでいてしっかりした重さに、内包される美味いクリームの存在を予感させる。口に入れると上あごの自重だけでいのちをおのれの内に取り込むことができた。鮮やかな桃の香りが人生を照らす。
会議室は一時間取ったのだが、食べ終えるのに一分もかからなかった。これは確かに「いのち」だという味わいである。もしこれが「ふんわり食感のスポンジでまるごと包んだカスタードケーキ、白桃」みたいな名前だったら買わなかったかもしれない。いのち、でいいのだ。いや、いのち、がいいのだ。
ちなみに一緒に買ってきた「ただただ寝かせて焼いた芋」もしっとりしていて美味しかったです。
いのちは東北のお菓子
いのち、は東北地方では有名なお菓子らしい(ラグノオ)。どういう成り行きで東京のコンビニに売られていたのかは不明だが、こういう出会いこそがいのちであり人生だな、と思いました。