新幹線の窓から見えたすき家は、ごく普通のすき家だった。みんな色々食べていた。牛すき鍋定食が売り切れたと聞いて「うわっ!そうなんだ!じゃあ今日は、カレーにするわ!」と言っている人などがいた。
そんな場所に自分もいて、そこから少し離れた場所を、誰かを乗せた新幹線が一瞬で走り抜けて行く。
私は何度か富士山に登ったことがあって、それ以来、富士山を見るたびに「あそこにいたことがある!」と思うようになった。今回の旅で「あそこにいた!」のスポットが増えた。次に新幹線に乗るのが楽しみで仕方ない。
新幹線の車窓から外の風景を眺めていて、自分の知らない町にたくさんの人が暮らしていることが不思議になる時がある。
遠くに見えたファミレスの店内を想像しながら「今あそこで食事している人がいるんだな」などと考えてみるといよいよ不思議だ。
では、実際にその場所に行ってみたらどんな気持ちになるだろう、と思った。車窓から見えた景色を自分の目でズームしてみるのだ。
先日、東京へ行く用があった。私は東京出身で今は大阪に住んでいて、実家に顔を出したり友達に会ったりしようと東京-大阪間を行き来するのに、以前はよく高速バスを利用していた。
しかしここ数年は東京へ行く機会もめっきり減ってしまい、そのかわり、たまの機会があれば新幹線に乗るようになった。東京での用事を済ませて新大阪駅へ向かう時、車窓から外を眺めながら缶チューハイを飲んでぼーっと過ごすのが好きだ。
自分が住む大阪へ戻っていく帰り道、ほろ酔いなのもあって大抵の場合はセンチメンタルな気持ちになっている。窓の外を眺めては「自分の知らないこの町に、たくさんの人が生活しているんだな」と当たり前のことを思ってちょっと感動したりしている。夜景を眺めて「この光の一つ一つに暮らしがあるのだなー」みたいに思ったことはきっと誰しもあるだろう。あの類の、ちょっと感傷的な気持ちである。
遠くにファミレスの看板が見えたりすると、今、あの店の中でドリンクバーを注文して話し込んでいる学生たちがいたり、ケーキを食べている男女がいたり、文庫本を読みながらコーヒーを飲んでいる人がいるかもしれない、というような想像をしては、つくづく不思議だなと思う。
毎度毎度そんなことを思うのだが、今回ふと、「いや、センチな気分にひたってるだけじゃなく、実際に行って確かめてみた方がいいんじゃないか」と思ったのだった。新幹線の窓から見えた店に実際に行ってみる。そうすれば本当にその店で食事をしている人がいることを身をもって感じられるではないか。また、新幹線からその店が見えるってことは、その店からも新幹線が見えるのかもしれない。なんだかすごく楽しそうに思えてきた。
で、新幹線の窓にスマホをぴったりとくっつけるようにして何枚か写真を撮ってみた。新幹線が速すぎるのと私の撮影技術が未熟過ぎるのとでめちゃくちゃにピントのぼけた写真になってしまったが許していただきたい。たとえばこれ。
この中央の下の方にあるのは、確実に牛丼チェーンの「すき家」であろう。車窓からそれほど遠くない距離に見えて、看板の赤いカラーがすごく目立っていた。ここに行ってみるというのはどうだろうか。
自宅に戻り、新幹線の窓から撮った写真を見直す。「えっと、この写真、どこら辺で撮ったんだっけ……」と、困り果てた。写真に写っているのがすき家のどこの店舗なのか、なかなかわからないのだ。「っていうかこれ本当にすき家か?」と思うほどボケた写真だし。
たしか名古屋駅はとっくに過ぎて、京都駅へ向かっているぐらいの場所だった気はするのだが、確信が持てない。GPSデータでも残しておけばよかったのだろうけど、そういう設定をしておらず、最終的にはグーグルマップで東海道新幹線の線路沿いを細かくチェックしつつ、自分が撮った写真と照らし合わせて特定していくことになった。
さらにボケボケの写真で大変申し訳ないが、右端のオレンジの看板が小さく見えないだろうか。ガソリンスタンドの「エネオス」じゃないかと思うのだ。エネオスが近くにあるすき家を地図上で探していくことで、なんとか絞り込むことができた。
私が撮影したのはどうやら「すき家 大山崎IC店」らしい。住所は「京都府乙訓郡大山崎町下植野五条本」というあたりで、調べてみると、私の住まいのある場所から小一時間ほどでかなり近くまで行けるようだった。大阪寄りの場所で撮影しておいてよかった、とホッとした。
そうと分かればそこを目指して行くだけだ。新幹線で見た場所に行くためにまた電車に乗って行くという、妙な旅が始まった。
「すき家 大山崎IC店」は、JR長岡京駅から徒歩30分ほどの距離にあるようだ。バスに乗ればだいぶ接近できるようだったが、新幹線から見えた町のことを詳しく知るためにも、のんびり歩いて向かうことにした。
スマートフォンのナビによれば、JR長岡京駅から小畑川という川に沿って歩いていけば目的に近づいて行けるようだ。
長岡京は明智光秀の娘の「玉」が織田信長のすすめによって細川忠興のもとに嫁いだという地。婚礼の行列である「輿入れ」が通った道では、玉が後にキリスト教の洗礼を受けて改名した「細川ガラシャ」の名をとった「長岡京ガラシャ祭り」というイベントが毎年開催されているらしい(ここ数年はコロナの影響で一部の行事だけになっているようだったが)。
しばらく歩いていると小畑川のほとりに出た。川に沿って進むと、ジョギングしている人が追い抜いて行ったり、犬を散歩させている人がいたりする。この川を憩いの場としているらしき近所の人たちの姿を眺めつつ歩く。
さらに進んで名神高速道路の下をくぐる。ナビによれば、次に現れたのが東海道新幹線の高架線路らしかった。
本当にここを新幹線が走るのか……。なぜか新幹線が走っていく姿が見たくてたまらなくなっている自分に気づく。とりあえず高架沿いを歩きながら、少しずつ目的のすき家に近づいて行くことに。
歩いていると、バウーーーン!!!とすごい音がして驚いた。新幹線が通過していったようだ!しかし、自分の位置から見上げても高架の裏側しか見えず、まだ新幹線の姿には出会えない。もどかしい。会いたい!新幹線に!
さらにナビに従って進んでいくと、「エネオス」が見えてきた。これはたぶん、あの、私が車窓から見た「エネオス」に違いない。
いまいち確信が持てないが、そのさらに先にすき家が見えてきて、やっぱりたぶんここだろうと思った。
ちなみに私が今すき家を見ているその真後ろには新幹線の高架があり、そのすぐ下にファミリーマートがあるのだが……
新幹線が通って行ったのだ!
笑うぐらい一瞬で過ぎ去っていく。こんなに速いものに私は平気な顔で乗っていたのだな、と思う。
とにかく、この新幹線からすき家までの距離感的にも自分が車窓から見たのだがここだったということが確かに思われてきた。ただ、新幹線から見かけたというだけの店なのに、とんでもなく苦労してここにたどり着いたかのように感慨深いものがある。
深呼吸した後、入店してみる。「お好きな席にどうぞ!」とお店の方が言ってくれたので、窓に近い席に座らせてもらう。
なんのためらないもなく、まずは瓶ビールをいただきつつ考えた。
私はすき家に来たらキムチ牛丼ばかり食べる。すき家でバイトしていたことがあって、その頃、まかないで食べていたのがキムチ牛丼であり、もう脳が「すき家といえばキムチ牛丼!」っていう風になってしまっているのである。が、今日、このすき家での食事は特別なものにしたい。せっかくここまで来たんだから。
そう思って「ほろほろチキンカレー」というのを注文することにした。普段の私ならチョイスしないところだが、今日は挑戦してみたい気分だ。
「スプーンでほろほろほぐせる」とメニューに書いてあった通り、スプーンでほぐせるほどのチキンの柔らかさ。
カレーの味も、「こんなだっけ?」と思うような複雑なスパイスの香りがするもので、ビールのお供としても最高である。
カレーを食べ、ビールをちびちび飲み、またカレーを、と繰り返しながらふと窓の外を見ていたら、新幹線が通って行くのが見えた。
自分が新幹線の窓から見た店に来て、そして今、その店の窓から新幹線を見ている。時を超えて自分が自分を見ているような、ニヤけてしまいそうな気持ちになった。今度新幹線に乗った時、このすき家を見たら「あそこでほろほろチキンカレー食べたんだよな」と思うだろう。もしかしたら、それによって「カレー食べたい」という気持ちのスイッチが入るかもしれない。新幹線から見える場所にカレー気分のスイッチを埋め込んだ、そんな達成感があった。
お昼を少し過ぎた時間の店内には、仕事の合間に腹ごしらえをしに来ているらしき人々や、散歩のついでに寄ったらしき人などがいて、当然、みんな食事をしている。新幹線から見えた店には、やっぱりこんな風に色々な人がいた。
店を出た私はもう少し線路沿いを歩いてみることにした。
近くに歩道橋があって、そこを登っていくと新幹線の高架にかなり近い場所まで行けそうだ。
ドキドキしながら待っていると、ゴオッ!という音が遠くから猛スピードでやってきて、去っていった。
そのまま散策を続けていくと、小泉川という川のほとりに出た。土手のすぐそばに新幹線の線路がある。もう、目の前ぐらいの近さだ。
そこに立って待っていると、当然だが新幹線が走っていく。もしかしたら誰かが車窓からこっちを見ているかもしれない。そう思ったら手を振るしかない。
小泉川沿いに歩いていくと「桂川河川敷公園」という公園に行き当たった。冬だからか、割と荒涼とした感じの風景が続き、ここにいることが現実じゃないような気がし始める。
ずっと歩いていくと遠くに「イオン」が見えてきた。だいぶ疲れて喉も乾いていて、「あそこで缶チューハイでも買って飲もう」と思って歩いた。
しかし、登ってみてびっくりしたのだが、このイオンは「イオン関西NDC」という物流拠点の巨大な建物で、買い物のできる場所ではまったくなかったのだ。
本気で喉が渇き、疲れも感じてきたので住宅街の方へ歩く。すると、ふと見た町の掲示板に「みうらじゅん マイ遺品展」の広告が貼られていてびっくりした。
ずっと行きたいと思っていた展示で、しかもかなり近くの美術館で開催されているらしい。なんだかいいタイミングだと思って見にいくことにした。
私が歩いているのは大山崎というエリアで、この辺りもやはり東海道新幹線の線路があちこちで近くに見える。歩いているといきなり高架の上を新幹線が通っていったりする。
「みうらじゅん マイ遺品展」が開催されている「アサヒビール大山崎山荘美術館」へ行き、展示を堪能した。みうらじゅん氏が収集してきた(一見すると無駄にも思えるような)宝物の数々が、歴史ある建築の中に詰め込まれた素晴らしい内容だった。
無駄に見えるものの中に面白さを見出し、それを収集し続けているみうらじゅん氏の姿勢に背中を押された気がする。
今日こうして新幹線から見えた場所にやってきたことも無駄ではないのだ。すき家のほろほろチキンカレーが美味しいことも知ったし、新幹線が間近に見えるスポットもたくさん知った。
そろそろ帰ろうと最寄り駅への道を歩いていると、新幹線の高架の下の通りに豆腐屋さんがあった。
豆腐を一丁買って帰り、家で食べてみたところ、大豆の香りが濃くてすごく美味しかった。新幹線から見えた店を訪ねてみたら、その周りにある、新幹線の窓からは絶対に見えない町の広がりまで知ることができた。
今回は割と家から近い場所を歩いたけど、いつかもっと遠くのファミレスでも目指して、車窓から見える景色の中をまた歩いてみたいと思う。
新幹線の窓から見えたすき家は、ごく普通のすき家だった。みんな色々食べていた。牛すき鍋定食が売り切れたと聞いて「うわっ!そうなんだ!じゃあ今日は、カレーにするわ!」と言っている人などがいた。
そんな場所に自分もいて、そこから少し離れた場所を、誰かを乗せた新幹線が一瞬で走り抜けて行く。
私は何度か富士山に登ったことがあって、それ以来、富士山を見るたびに「あそこにいたことがある!」と思うようになった。今回の旅で「あそこにいた!」のスポットが増えた。次に新幹線に乗るのが楽しみで仕方ない。
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