歴史はすごい
26年の歴史はやはり偉大だった。がんばれば10年分くらいは再現できるんじゃないかと甘く見積もっていた自分が愚かしい。だって10年で46万回だ。今のペースだと1ヶ月くらいなで続けなくてはならない計算になる。
そして苦労した割にあまりにも実りの少ない結果に自分でも驚いている。途中の写真が少なくてデジカメのデータが消えたかと思ったくらいだ。
あのピカピカの「なで仏」はやはり気が遠くなるくらいたくさんなでられた結果なのだ。敬意を表すると同時に嫉妬もしている次第です。
手の脂が移ったためか全体が光ってわかりにくいのだが、鼻の頭の一部分がむけているのが見てとれる。前髪が光っているのはたぶん光りの反射だ。
13000回ということは「なで仏」でいうところのまだ100日分くらいしかなでていないわけだが、若干なりとも変化が見えたことで僕の行為が無駄ではなかったことが証明された(と同時に引くことができなくなったとも言えるが)。
休憩をはさみながらこの日は朝方まで仏をなで続けた。仏をなでるって何かの隠喩のようだがごく直接的な意味だ。
なで回数を重ねるにつれ、手がすれて痛くなってきた。このままなで続けると手相が変わってしまうんじゃないかと思うほどだ。これで生命線が伸びたら御利益と言えるのだろうか。
なで仏と比較するにはやはり手でなでるのが一番だとはわかってはいるのだが、それにしても痛すぎるので少しずるは承知の上で着ていたTシャツでこすることにした。摩擦係数が手よりも大きいので早く結果がでてしまうかもしれないが、歴史の重みと比べたらたいしたことないだろう(と半分寝ながら誰かに言い訳していた)。
数をこなしていくと、なで回数の数え方に不満が出てくる。正の字を書いていく方法だとどうもリズムが悪く、無心になれないのだ。
ということで次の日はカウント方法を変えてみることにした。時間でなで回数を計るため、1分あたりのなで回数の平均値を算出する。
1分間になでた回数を随時記録していき、これを30回繰り返した。1分間になでられる回数はやる気とか見てるテレビの面白さとか眠気とかにより増減するのだが、平均をとることでおしなべる。
これによると1分間でなでた回数の平均は約135回。正の字を書いていた時は4時間で13000回、つまり1分間に54回と少なかったわけだが、これは数を数えながらなでていたことで、いまいち「ノリ」切れなかったゆえのロスと捉えた。
ともかく時間毎のなで回数がわかると外へ出られるようになるのだ。これはいいぞ。
しかしこのやり方にも欠点が見つかった。なでている間の時間を積算しにくいのだ。
たとえば家を出てから歩いて公園へ向かうまでずっとなでているとしよう。その間約15分。ここまではいいのだ。公園についてからそこらを散歩しながらなでたりなでなかったりしていたのだが、これでは全なで時間がわからない。途中でいやになってやめたというのが本音のところでもあるのだが。
ということでやはり仏をなでるのは家でやるべきだとわかり、その夜再びなでまわしてみた。
昼間の半日と夜を二晩、なでた。
把握しているなで回数はここまで38168回。たぶん途中で出かけながらだらだらとなでていたのでプラス2000くらいありそうだが、それでも2日かけて4万だ。なんと浅草の「なで仏」が建立されてから1年分すらなでられなかったことになる。(1年分で44720回なので)
この企画、当初はなでた回数を建立からの年数に置き換えて、その時々の世界情勢と照らし合わせて紹介しようと思っていたのだ。たとえば1984年、日本に初めてコアラが来た年の「なで仏」の光り方はこちら!という具合に。
しかし実際は建立の年から出ることすらできなかったわけだ。くやしい。先だって探してしまっていた写真がもったいないので貼っておく。
26年の歴史はやはり偉大だった。がんばれば10年分くらいは再現できるんじゃないかと甘く見積もっていた自分が愚かしい。だって10年で46万回だ。今のペースだと1ヶ月くらいなで続けなくてはならない計算になる。
そして苦労した割にあまりにも実りの少ない結果に自分でも驚いている。途中の写真が少なくてデジカメのデータが消えたかと思ったくらいだ。
あのピカピカの「なで仏」はやはり気が遠くなるくらいたくさんなでられた結果なのだ。敬意を表すると同時に嫉妬もしている次第です。
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