マルクス・エンゲル広場
どちらの本にも「マルクス・エンゲルス広場」が載っている。ドイツ有数のバロック建築だったホーエンツォーレン家の居城を破壊して造られたベルリンの赤の広場だ。メーデーになるとプラカードと赤旗の波で埋まる、と書いてあった。
背後のドム(ベルリン大聖堂)は戦争の影響で壊れている。1989年のガイドブックによれば、マルクス・エンゲル広場の横には人民会議が開かれる共和国宮殿というモダンなビルがあるそうだ。この建物の壁面ガラスにも大聖堂は映っていた。
今はどうなっているのだろうか、ウンター・デン・リンデンという大通りを歩いて向かった。当時のガイドブックにもこの大通りは載っていて、プロイセンやドイツ帝国時代の古典的建造物が建ち並ぶとある。
今も健在だった。むしろ街灯が昔より、今の方がより昔っぽくなっていて、見比べるとどっちが今なのだろうと頭が痛んだ。走っている車でわかるのだけど、車がなければ悩むかもしれない。そんな道を歩き、マルクス・エンゲル広場に到着した。
結論を書けば全てが変わっていたと言っていいかもしれない。ホーエンツォーレン家の居城を破壊してできたマルクス・エンゲル広場はフンボルトフォーラムになっていた。「2022年のマルクス・エンゲル広場」の写真は広場ではなく道で撮った。だって広場はもうないのだ。
共和国宮殿の壁面に映る大聖堂もない。広場も共和国宮殿も全てフンボルトフォーラムになっていた。フンボルトフォーラムには壁面ガラスがないので何も映らない。ちなみにフンボルトフォーラムは博物館だ。ヨーロッパ以外の美術品が展示されるそうだ。私が訪れた時は入れる感じではまだなかった。
1966年の世界文化シリーズでは壊れていたベルリン大聖堂も綺麗になっていた。時が経つといろいろ変わるのだ。壁はなくなり、破壊して生まれた広場に何かが建つ。これが時間というものなのか、と見える形で時間を感じることができた。
ベルリン大聖堂の近くにはベルガモン博物館もあった。今は旧博物館ということになっている。銅像はなくなっていた。芝生を敷いたことでここにあると邪魔だな、となったのかもしれない。詳しいことはわからないので、とりあえず私が銅像の代わりになったら、確かにここにあったら邪魔だな、とは思った。