「自販機だ!」と思って写真を撮ったら精算機とゴミ箱があってツーショットっぽくならなくなったりもした。
街には、人の背丈と同じくらいのものが色々ある。人が見たり操作するのに便利だからだ。
しかし別の見方をすると、背丈が近い、というのは親しみやすい、という風にもとれる。
一緒に写真を撮ろうじゃないか。
例えば木のふもとで写真を撮る。
写真を見た人は、きっと特別な木で、そこで記念写真を撮ったのかな、と思うだろう。木が主役の写真だ。木と僕との間に主従がある。
実際にそこに立つと主従がよりはっきり分かる。自分よりはるかに大きなものの側に立たせてもらっている、という感覚である。
日陰になっていて涼しかった。木はすごい。
では、これを踏まえて背丈が同じくらいの標識と撮った写真を見てください。
顔を寄せ合って楽しそうにしているのが分かる。心の距離が全然違う。
学生時代に同じ部活で、卒業してからも会って遊ぶような仲。お互いが相手の恥ずかしいエピソードを2つ3つ知っているような仲、に見える。
背丈が同じくらいのものを探して河原を自転車で走ったのだけど、遠くからこの標識を見つけた時は「うわっ、会えた…!」と声が漏れた。
背丈が同じくらいだと親しみやすいのだ。
こんな感じで、背丈と同じくらいのものとツーショットを撮った。分類して紹介します。
だいたい同じくらいかな、と思って並んだら明らかに自分より高かったもの。
スポーツ選手と写真を撮らせてもらった時の感覚と似ていた。「こんなに高いんだ〜」と当たり前のことを強く実感してドキドキする。
撮り終わったら「ありがとうございます」と軽く握手をして別れるやつだ。
仲良くなる、という感じはしないがかなり好きにはなった。
逆に低かったもの。
しゃがんで、目線を合わせて写真を撮った。子どもと写る時の写真だ。
一緒にキャンプに来た最終日、帰る間際の記念写真のよう。
合わせることで「この子が主役ですよ」と相手を立たせるような気持ちになってくる。
背丈だけで色んなことを考えるのだ。
子どもがカメラ目線になるまで中腰でじっとしている大人の顔だ。
独特の存在感があったのが植え込みである。
高さはいいのだが、横に広いので人間が存在感で負けてしまう。一つの生物なのか、いくつか集まっているのか分からないところも心の距離を空けてしまっていると思う。
一番親しみを持って写真を撮れたのが、やはりちょうど同じくらいの背丈である。
人に読ませるための看板は、背丈が同じになりやすい。肩を組むように写真が撮れた。
そう言えば、背丈ぐらいの山頂の標識と肩を組むようにして撮った写真をよく見る気がする。あれも、登りながら募った思いを親しみに変換して、写真を撮っているのかもしれない。
今回ツーショットを撮ったものの中で一番仲良く撮れたなと思ったのは、冒頭でも紹介した消防水利の標識である。
背丈もいいし、棒と丸で構成されたフォルムが、簡略化した人みたいでかわいいのだ。色が褪せているところも標識としての人生を感じられて親しみが持てる。
背丈が同じくらいのものを見つけたらツーショットを撮るといい。標識は特にいいぞ。
「自販機だ!」と思って写真を撮ったら精算機とゴミ箱があってツーショットっぽくならなくなったりもした。
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