あのとき通り過ぎたサラダ館はなんだったんだ
わたしとサラダ館の出会いは中学生の頃に遡る。
バスケットボール部に所属していたわたしは、練習試合があるたびに1時間に1本しかない電車に乗って、隣の、そのまた隣の町にある中学校へ通った。
紫色に蛍光オレンジのラインが入った、学校指定のジャージに身をつつみ、わらわらと駅から学校まで歩く道中にサラダ館があった。
賑やかな隊列の最後尾をだらだら歩いていたわたしだけが、大きなトマトの看板に気づいていたと思う。
サラダだけを売ってる店だとしても変だし、そもそも食べ物を売っているような店には見えない。だってショーウィンドウには「どれだけ歩いても疲れないスニーカー!」なんてポスターが貼ってある。
じゃあ、なんでトマトの看板に「サラダ」?
不思議に思いながらも、隊列からはぐれないよう通り過ぎるしかなかったあの日。
そのうち部活を引退して、遠征先とは反対へ向かう電車に乗って高校に通うようになり、すっかりトマトの看板のことなんか忘れておとなになって、そしてある時再会したのだった。
地元の変な店だと思っていたサラダ館、どうやら全国にあるチェーン店らしい。仕事で旅行で、ちょっと遠くに行った先々で見かけるのだ。
いよいよサラダ館って何者なんだ。あのとき通り過ぎた疑問を20年越しに解決したい。今日こそ、今日こそサラダ館に入ろう。
わたしの成長がサラダ館に追いついて、ギフトショップを理解する
そんなわけで、懐かしき思い出のサラダ館香取小見川店にやってきました。
そしてとうとう、意を決して入店。一歩踏み込んですぐに全てを理解した。
これは……
職場のひとやご近所、ちょっと挨拶に行かなきゃいけないけど手ぶらでは行けないし、好みもあまり詳しくはわからないし、ああしかも選ぶ時間もそんな無くて、でもちゃんと喜ばれるものを贈りたい、そんなときにぴったりのものたちだ……!!!!!!
20年の時を経て、わたしの成長がサラダ館に追いついた。
サラダ館とは大人の信頼と実績が集まる、贈り物専門店だったのだ。
ヴィレッジヴァンガードやディズニーストアで、友達に先輩に後輩に渡すプレゼントを熱心に吟味していた、あのときのわたしだったら全然ピンとこなかっただろう。この品揃えのありがたみが、今ならよくわかる。
お客さんがいなくなったタイミングを見計らい、店主の方にお話を伺った。
個性豊かな各地のサラダ館
サラダ館小見川店が開店したのは30年ほど前、シャディ株式会社によって、サラダ館のフランチャイズシステムが始まった直後のこと。
当時最先端のカタログ販売と店舗販売を組み合わせたサラダ館。酒屋や呉服屋といった本業を持つ人も多く、お店の一角をギフトコーナーとして展開していたそうだ。
後日おとずれた別のサラダ館の様子を織り交ぜて紹介していこう。
他のサラダ館が季節のお菓子や新商品のお知らせをしている中、立石店の推しはなぜか「万国旗」!
さて、話を戻して小見川店。こちらでは元々食器店を営んでいたという。
バブルの頃は豪華な高級食器が贈り物としてかなり売れていたんです。
廃盤になっても特に処分しないでここまで来たんだけど、食器よりも紙製の箱がもう劣化してだめになっちゃって。いよいよ整理しようかということでセールをしてるんです。
ーこれが本当のデッドストックですね!
店頭セールと、メルカリでもだいぶ売れました。ネットだと、輸入食器なんかはコレクターの方が喜んで買ってくれたんですよ。
―残り物がプレミアになったんだ。たしかに、これは掘り出し物の探し甲斐がありますね。