餅つきを主催する人はおもしろい人
年末、二日間に渡って餅つきを堪能してきた訳ですが、餅つきを主催した二人の雰囲気がなんとなく似ているように感じました。おめでたい感じの笑顔とか。
本文中にも書きましたが、二人とも「餅つきを主催する側の人間」だけが持つ特別なオーラを放っています。餅オーラ。
私は餅オーラを放っていないので、今年の年末も、主催はせずに食べにだけいきます。あしからず。
あけましておめでとうございます。
ちょっと時期的に正月の挨拶をするには遅すぎる気もしますが、そんな気分なのです。成人の日もとうに過ぎたというのに、いまだ正月気分が全然抜けません。
そんな訳で、おとそ気分を引きずったまま、餅つきにいった話を書きたいと思います。
※2007年1月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
年も押し迫った12月30日。友人S君が毎年参加しているという高円寺での餅つきに、私も参加させてもらうことになった。
S君曰く、この餅つきは、町内会主催とかゼネコン会社の行事とかではなく、明石スタジオという劇場の支配人である浅間さんが、友人知人を招いておこなうプライベートな餅つきだそうだ。
午後一時過ぎに現地到着。とりあえず先に来て準備を手伝っているS君に連絡を取り、早くも酒盛りが始まっているスタジオ内に入る。
まずは早速、今回の餅つき主催者である浅間さんにご挨拶。
地方の農家ならともかく、今どき東京都内で餅つきを主催する人はどんな人なのだろうと思っていたのだが、なるほど、見るからに餅つきを主催しそうな人だ。
この人なら、杵や臼をどっからともなく持ってきても、誰も不思議に思うまい。そんなオーラを醸し出している。もちすすりだってできそうだ。
うん、めでたい。
浅間さんの最近の趣味は、自分が禁煙をはじめたことをきっかけとした、「喫煙者を必要以上に嫌う人を演じること」らしい。
「はい煙草吸っている人は、この線から入っちゃダメ!」、「ほらほら、窓開けて!ああ、煙い煙い!」と、すごい嬉しそうに喫煙者をからかっている。
うん、たのしい。
餅米が蒸し上がったところで、早速餅つきのスタートだ。とはいっても、いきなり杵でヨイショヨイショと餅をつくのではなく、最初は地味に、ギュッ、ギュッと米粒を押し潰していく。
この作業を餅米が熱いうちに素早くおこなうことが、美味しい餅をつくる一番のコツなのだ。と、浅間さんから聞いたことを偉そうに書いてみた。
この作業は簡単そうに見えるのだが、実際にやってみると、当たり前だが餅米に杵がくっつく。それを引き離しながら餅米を潰していくため、かなりの体力を消耗する。体がイメージ通りに全然動かない。
きっとダイエットに最適。餅つきダイエット。運動の後には大量の餅が待っているが。
餅米がよく潰れたところで、ようやく餅をつく。
周りで見ている人達の、ヨイショー、ヨイショーのかけ声にあわせて、杵を持った人が、ペッタン、ペッタンとついていき、タイミングよく返し役が餅を返していく。
ヨイショー、ヨイショー。
餅つき、昔よくドリフとかたけし軍団のコントの題材になっていたような気がするが、実際にやってみると、素人がボケをかます余裕なんて全くない。あの重い杵は、冗談では済まされない危険性をはらんでいる。
杵を打つ人がふざけたら、餅を返す人に大怪我をさせてしまう恐れがあるし、返す人がぼけるのは当然命懸けだ。周りで見ている人のヨイショのかけ声だって、タイミングが狂えば、それが悲劇のきっかけになることもあるだろう。
さらにいうと、餅つきは腰を痛める。普段使わない筋肉がギャーギャーと悲鳴を上げているのが聞こえる。
餅つき、危ない。
そしてつきたての餅は、老人を殺める凶器にも成りうる。毎年、餅を喉に詰まらせてお亡くなりになる方はたくさんいるのだ。
餅、危ない。
それでも人々は、太古の昔から餅をつき続けてきた。
餅のなにがそこまで人を熱くさせるのか。
その答えは、餅を食べたらわかるはずだ。
つき上がった餅を室内に運びこみ、餅とり粉(コーンスターチ)が広げられたテーブルで一口大に丸めて、熱いうちに好きな食べ方でいただく。
あんこ、きなこ、納豆、大根おろしなど、餅を楽しむためのいろいろなオプションが用意されていたが、私が好きなのは、なんといっても海苔と醤油の磯辺巻きだ。
つきたての餅の、餅とり粉がまだついていないところを手でちぎって、軽く炙った新海苔で巻き、そいつに醤油をたっぷりつけて食べるのが最高! と、わざわざいい海苔を買ってきたS君が力説していたので、やってみたらとても美味しかった。
餅、うまい。モチモチしている。
先ほどから頭の中にあった、「なんで人は命の危険を顧みずに餅をつき、そして喉に詰まる危険と隣り合わせで餅を食べるのか」という疑問だが、それはつきたての餅を食べてみてわかった。
単純明快、つきたての餅がうまいからだ。
餅、陸のフグみたいなものか。
餅つきが終わって、ビールなんかをダラダラと飲んでいたら、浅間さんより「はい、二回目の餅米が蒸し上がったよ!」との声が。
なんと今日の餅つきは、十升の餅米が無くなるまで延々と続くのだそうだ。餅つきを舐めていたぜ。
私は体力の限界のため、夜9時頃においとまさせて頂いたのだが、結局この日は夜中1時頃まで延々と餅つきは続いたそうだ。
さあ、私は明日も餅つきだ。
昨日の餅つきの興奮と腰痛がまだ抜けきらない翌日の大晦日。また別の友人が主催する餅つきにいってみた。二日連続で餅つき。
地方の農家や高円寺のスタジオ支配人ならともかく、今どき神奈川の街中で餅つきを主催する人はどんな人なのかというと、見るからに餅つきを主催しそうな西谷さんという、油絵画家兼アパートの管理人をやっている友人だ。
管理人といっても、めぞん一刻の「管理人さ~ん」みたいな甘酸っぱいイメージは、残念ながらこの人に通用しない。
この人も昨日の浅間さん同様に、杵や臼をどっからともなく持ってきても不思議じゃない、そんなオーラを醸し出している。明らかに「餅つきを主催する側の人間」の顔立ちだ。
浅間さん、西谷さんの両名は、七福神に紛れ込んでも違和感を感じさせないおめでたさがあるのだ。
つきたての餅をみんなで食べていたら、さっき通りがかったオバチャンが戻ってきて、「はい、これ食べて食べて。」と、煮物とカブの甘酢漬けを差し入れしてくれた。
「なつかしいわあ。私も昔は親戚の家でよく餅つきしたわ。多摩川の向こう側、東京だけどね。」、「いつもお餅をつくりすぎちゃって、大抵最後はカビが生えちゃうのよね。」と、もちつきの思い出話を語ってオバチャンは去っていった。
もちつきは、知らない人を巻き込むなにかがある。
たくさん餅をついて、たくさん餅を食べました。
年末、二日間に渡って餅つきを堪能してきた訳ですが、餅つきを主催した二人の雰囲気がなんとなく似ているように感じました。おめでたい感じの笑顔とか。
本文中にも書きましたが、二人とも「餅つきを主催する側の人間」だけが持つ特別なオーラを放っています。餅オーラ。
私は餅オーラを放っていないので、今年の年末も、主催はせずに食べにだけいきます。あしからず。
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