自然と調和する三つの石切り場跡
今回私が参加したツアーでは、主に三箇所の石切り場を見学することができた。どれもそれぞれ異なる味と趣きがある、実に良い石切り場であった。
伊豆半島には数多くの石切り場が存在するが、大抵は手付かずのまま埋もれているか、所有者が持て余した結果、潰してしまうケースもあるらしい。ここようにキチンと管理されており、ガイド付きで見学できる石切り場は稀だろう。なかなかできない体験ができたと思う。
取材協力:カノー伝説
絶景と温泉で有名な静岡県東部の伊豆半島は、古くより良質な石材の産地として知られてきた。伊豆で切り出された石材は「伊豆石」と呼ばれ、江戸城の石垣にも用いられたという。
伊豆半島の各地に散在する石切り場のうち、南伊豆町にある石切り場を巡るツアーに参加したのだが、それはまるで芸術作品のようなダイナミックかつ神秘的な空間で驚いた。
南伊豆町はその名の通り伊豆半島の南端に位置する町である。最南端の石廊崎(いろうざき)を始め、海岸沿いには荒々しくも壮大な地形がどこまでも続いている。
目的の石切り場はこのような荒々しい海岸沿い……ではなく、内陸の山の中に位置している。青野川に沿って開けた土地があり、そこに南伊豆町の中心市街地が存在するのだ。
私が参加したのは「カノー伝説」という名のツアーである。電話で予約した際、当日は石切り場のある山に直接来てくださいということだったので、一路指定された場所へと向かう。
なお、このツアーは安全の都合上2人以上での参加が必須なのだが、この日はたまたま別の組がツアーに参加しており、私はその方々に便乗させて頂く形で参加することができた。
集合時間よりも少し前の到着であったが、そこには既にガイドさんと私以外の参加者さんが待っていた。簡単な手続きを済ませ、さぁ、いよいよ石切り場見学ツアーの始まりである。
集合場所は里山の中腹に位置しており、そこから山道を下って石切り場へと向かう。
この里山はかつては薪取りの場であり、備長炭の原料となるウバメガシなども生育しているとのことである。ただ、燃料としての需要がなくなった現在は放置状態のため、定期的に木を切るなど手を入れているとのことだ。里山を健全に維持していくためには多大な労力が必要なのだろう。
ちなみにこの里山は、現在のオーナーのお父さんである先代のオーナーが「この山のどこかに石切り場がある」という話を聞いて山ごと購入。自ら山を歩き回って石切り場を発見し、山道を整備したとのことである。いやはや、見習いたい行動力だ。
この里山には主だった石切り場が三箇所あり、それぞれの規模から「小」「中」「大」と呼ばれている。最初に見るのは「小」で、その次に「中」、最後に「大」と、徐々に盛り上がっていくツアー構成だ。
ここでは伊豆石の種類についての説明を受けた。伊豆石には硬質な安山岩と、軟質な凝灰岩の二種類あるとのことだ。伊豆半島北部の石切り場では前者が、南部では後者が産出されるのだという。
安山岩は硬くて風化に強く、城郭の石垣などに使われていた。凝灰岩は柔らかくて加工がしやすいものの、風化しやすいという特徴がある。南伊豆にあるこの石切り場は凝灰岩であり、民家の壁や蔵、石仏の材料などとして利用されていたそうだ。
露出した岩盤に沿ってさらに進んでいくと、ガイドさんが「ここが石切り場です」と指を差した。ついに「小」の石切り場に辿り着いたのだ。
無数にみられるこの線は、石を切り出した痕なのだそうだ。この石切り場では地表から掘り下げていく露頭掘りで採掘していたとのことで、その切り出した石材の幅が線として刻まれているのである。
この石切り場では江戸時代から採掘が行われており、明治時代に入ると栃木県の大谷石や千葉県の房州石にシェアを奪われつつも存続していったが、大正12年(1923年)に起きた関東大震災で石造の家屋が軒並み倒壊したことにより石材の需要が激減。さらにはコンクリートや安価な海外産石材の普及によって、昭和初期に採掘が終了したという。
閉山してから随分と時間が経った現在は、木々に覆われつつありまるで古代遺跡のようなたたずまいだ。風化しやすい凝灰岩なだけあって所々にヒビも目立つが、それがまた味わい深い風情を醸している。うーん、実に素晴らしい石切り場ではないか。
「小」の石切り場を見た後は「中」へと向かう。「小」も充分良かったのだが、それより規模の大きな石切り場ということで、期待が高まるというものだ。
この山道を歩いていて思ったのが、私有地であるにも関わらず、普通の登山道のようにキチンと整備されているということである。急傾斜の部分には階段を築いており、ルート上には道迷いや滑落を防ぐロープも張られている。お陰でこうして安全に石切り場まで到達できるのだから、ありがたいものである。
ここもまた、地表から下へと掘り込んだ露頭掘りの跡である。縞模様が刻まれている壁には苔がむし、植物の根が垂れ下がっている。「小」より入り組んだ作りということもあり、より遺跡然としていてカッコ良いぞ!
なんだろう、この自然に還りつつある石切り場の佇まいには、心がグッとこざるを得ない。差し込む陽の光に照らされた苔が蛍光色に光り、ただの遺跡にはない美しさを見せている。
かつて人の手で掘り込まれた石切り場が、時の経過によって美しく昇華した素敵空間。うーん、なんだかもう、充分に満ち足りた気分になってきたぞ。
……いやいや! まだ「大」の石切り場が残っているではないか。それを見ずして帰ることなどできやしない。いざいざ、参ろうではないか。
さぁ、それではこのツアー最大の見どころ「大」である。これが、本当に、言葉を忘れるほどに素晴らしい石切り場で驚いた。
これまでは地表から下へと石を切り出してきたのに対し、こちらでは横へと掘り進める坑道掘りの技術も用いられている。その証拠が、水平ではなく垂直に刻まれた切り出し痕だ。
この石切り場ではまず坑道掘りで横へ横へと掘り進み、それから下へと掘り込んでいったのだそうだ。だからこそ、このような複雑な形状になったんですなぁ。
ステージに上ったことによって視点が変わり、それまで見られなかった部分も見ることができるようになる。この空間のすべてを目に収めるべく、石切り場の隅から隅まで視線を走らせる。
最初はなぜローソクがあるんだろうと思ったのだが、なんでもこの石切り場ではモデルを使った写真撮影が行われることもあるそうで、その際に小道具として使用したものだそうだ。
いやはや、それにしてもこの石切り場内は本当に凄い。形状がとても複雑なので少し視点を変えるだけで表情が変わって見え、いくら眺めていても飽きない感じである。
とはいえツアーの時間は有限だ。名残惜しいが、石切り場に別れを告げて後にする。
すべての石切り場を見終えたものの、ツアーはこれで終わりではない。最後の仕上げとして、「加納」という集落にある三島神社に案内していただいた。
また、ガイドさんには三島神社に関する興味深いお話を聞くこともできた。三島神社といえば伊豆半島の付け根に位置する三島市の三嶋大社が総本社であるが、そのルーツは南伊豆にあるのではないかという説だ。
三島は御島と書くこともでき、南伊豆で御島といえば伊豆諸島のことである。これらの島々は時に火を噴く火山島であり、中でも神津島は数少ない黒曜石の産地であることから、石器の時代には極めて重要視されていたに違いない。
三島神社は伊豆諸島の島々を崇め、噴火を鎮めるための祭祀を起源とするのではないかという。実際、南伊豆には数多くの三島神社が存在しており、なるほど、説得力がある。
このクスノキに関する逸話も聞かせて頂いた。クスノキは丸木舟を作るのに適した木であり、船材を確保する目的で神社にクスノキを植えていたそうだ。
今でこそ道路が通されているが、かつての南伊豆は陸路での移動が困難な地域であり、舟で行き来していたことだろう。そしてこの辺りには「加納」をはじめ「カノー」と読む地名が多いという。それは丸木舟すなわち「カヌー」をツールとするのではないかというのだ。
カヌーの語源はカリブ海のハイチだそうだが、ポリネシアの言葉でも似たような発音があり、それが日本にもたらされ、地名として定着したのではないかという。これがこのツアーの名前「カノー伝説」の由来である。
うーむ、日本人南方起源説にも繋げられそうな話で実に興味深い。ポリネシアからニューギニアやフィリピンなどを経由して日本の伊豆に辿り着いていたとしても不思議ではない気がする。実際、台湾の原住民にはポリネシア系もいるらしいし。いやはや、実にロマンあふれる伝説ではないか。
今回私が参加したツアーでは、主に三箇所の石切り場を見学することができた。どれもそれぞれ異なる味と趣きがある、実に良い石切り場であった。
伊豆半島には数多くの石切り場が存在するが、大抵は手付かずのまま埋もれているか、所有者が持て余した結果、潰してしまうケースもあるらしい。ここようにキチンと管理されており、ガイド付きで見学できる石切り場は稀だろう。なかなかできない体験ができたと思う。
取材協力:カノー伝説
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