バッジとは
まるで啓示のように、ときおりアイコンの右上に現れる赤い丸と数字。スマホを使っている人ならば見たことがあるだろう。
しかし、これが「バッジ」という名前であることはあまり知られていない。
改めて説明するまでもないが、この「5」はアプリ内でユーザーに向けたお知らせが5件ある事を意味している。
この時はヤマト運輸からの「荷物が届く」と「PC版LINEでログインした」だった。
アプリを開かなくてもアプリ内の大まかな情報を知る事ができる。
Androidにもバッジがあるが、Android のバッジには数字が無い(設定を変えると数字を出す事もできる)。しかしやはりお知らせがあるかどうかが、アイコンの右上に現れる。
僕はこの小さなマークが気になって仕方がないのだ。
バッジはアイコンの進化
僕はアイコンに特別な思い入れがある。小学校低学年頃、初めてマウスを目にした時の衝撃は忘れられない。
それまでパソコンの入力はキーボードのみだった。初めて見たマウスはキーボードに比べてはるかに小さく、ボタンの数も少なく、どう使えば良いのか分からなかった。
マウス操作に適した「アイコン」を見たのもその頃だ。
当時はモニターの解像度は低く、必然的にアイコンもドット絵の様にガタガタだった。バッジを表示するような余地はない。
時代を経て解像度が徐々に上がってきてもアイコンは小さいままだった。その方が一度にたくさん表示できるし、アイコンはマウスポインタやスタイラス(=とがったタッチペン)で触るものだった。
しかしスマートフォンの登場でアイコンは”指で触るもの”に変わり、指の太さに合わせアイコンは巨大化し、右上にバッジが現れた。
バッジに一喜一憂する
そしてバッジはスマホ以外にも広がる。
バッジの登場によってメッセージが届いたことや、投稿に「いいね」が付いたことが分かるようになる。
バッジの数字が少なければちょっと不安にもなるし、思いのほか多ければ満たされた様な気持ちにもなる。
いつしかバッジの発現に一喜一憂していた。
画面の中にとどめておくのはもったいない
そんな特別な思い入れがあるバッジだが、画面の中だけなのはもったいない。
難しいところは特にない。似たフォントを探す事くらいだ。
そういえば、僕が初めてマウスを見た頃、”下敷きを切る”という行為にはもの凄い罪悪感がつきまとった。当時の僕にとって下敷きは高価なものだった。
しかし今では、眉一つ動かさず下敷きを切ることができる。
どうしても外に切り残しが出来てしまうので、赤色のマーカーで周りを塗ると輪郭がはっきりとして綺麗に見える。
画面のこちら側に具現化したバッジ。
知らず知らずの内に、僕その存在を神聖視していたようだ。
紙とプラスチック以上の”価値があるもの”が手のひらに乗っている。
そして何かの右上に付けたい衝動に従い、目に留まった時計につけてみた。
バッジが表示されたアプリを何千回、何万回とタップしてきたので、現実世界でもバッジが現れると注意がそちらに引っ張られる。
シルエットが長いものや細いものには合わない。なるべく縦と横の比率が違わない方が良い。そういう意味で換気扇もとても良い。
バッジを付けると、換気扇が別の世界とつながったような感覚になる。バッジは人との繋がりの象徴だからだろう。
食べ物につけると心なしか美味しそう。
複雑なディテールには懐かしいバッジが似合う
このデザインのバッジを見るのは久しぶりだ。
スマホが登場してしばらくの間、バッジはこの様に周りに白い余白があったし、グラデーションも掛かっていたし、数字も太かった。
今ではほとんどのアプリアイコンはフラットデザインと呼ばれるシンプルなデザインで統一されているが、以前はこの様に細かな質感まで描かれていた。
ディテールの細かなタヌキの置物には懐かしいデザインのバッジがよく似合う。
改めて見るとディテールの細かなデザインもかっこ良い。実際、デザインの歴史は複雑とシンプルを行ったり来たりしているらしい。
バズった気持ちになれるバッジ
数字が大きなバッジには特別な意味合いがある。
SNSなどに面白い内容を投稿すれば多くの人に拡散される(いわゆるバズる)。
ネズミ算式に増えた数字は「時の人」になった事の象徴だ。そんな現代のドリームを具現化した逸品だ。
コアラのぬいぐるみに大量の通知を付けてみると、まるでコアラのぬいぐるみがバズっているかのよう。
とある芸術家が1968年に「将来、誰でも15分間だけ世界的な有名人になれるだろう」と予言し、SNSの登場はその言葉を裏付けた。しかし、その言葉の通り注目は短い時間しか続かない。
このバッジを付ければずっとバズった気持ちでいられる。
バッジはバッジとなりうるか
バッジを、服に付けるほうのバッジにはできるだろうか。
ただの大きなバッジ(服に付ける方)に見えるだけでバッジ(通知の方)には見えない。
…うん、いまいちだ。分かっていたけれど。
カバンに付けるのはまあまあ良かった。
モノにバッジを重ねるとストーリーが見える。
冒頭、ヤマト運輸からのLINEで予告されていた荷物が届く。荷物に貼ると新しい視点を与えてくれる。
この状態で届いたら再配達が5回あったかのようだ。
猫が寝ていたのでこっそり通知を付けてみる。
体に何かを乗せられた事に気づいたネコは、まず何を乗せられたのかと鼻を近づけて臭いを嗅ぐ。
食べ物でないことが分かると即座に臨戦態勢に移行。
バッジを取り返そうと手を伸ばすとすかさずネコパンチが飛んできた。
皮膚科のクリニックへ行く
話は変わるが、僕はここ2年ほど汗をかいたところが痒くなることに悩まされていた。5月からその症状が出ていた。新型コロナウイルスの緊急事態宣言も明け、皮膚科のクリニックへ行く事にした。
新型コロナウイルスの影響で受付には透明なシートが貼られ、マスクで顔を覆った受付のおねえさんは新型コロナ対策で待合室で待つことは出来ない事と告げ、番号札を渡してくれる。30分後に戻ってきてくださいとのこと。
そのクリニックは田んぼの中にあり、30分も時間をつぶす場所はない。
他の場所に行くには30分は短く、スマホで時間をつぶすのは長い。カバンの中を探すと、使い切らなかった透明下敷きとバッジを印刷した紙が出てきた。
バッジの紙は糊がなくても静電気で下敷きに引っ付ついている。
クリニックの周りを右手にスマホ、左手に下敷きを持ち歩きながら写真を撮る僕を、同じく外で待っている人が訝しげに見ていた。
30分経って受付に戻ると。
「あと15分経ったら戻ってください」
バッジが登場する以前、メールが来ているかを確認するために毎回アプリを開かなければならなかった事を思い出した。