さらなる入れ子構造

「押入れ」と「引出し」について考えている。押して入れる「押入れ」に対し、引いて出す「引出し」である。言ってみれば対極の関係にあるそれらだが、ふと自宅の押入れに目をやると、押入れの中に引出しが入っているではないか。何だかややこしくなってきたぞ。
押入れとは。引出しとは。そして、引出しの中の押入れとは……?
どうでもいいことなのに、ずっと心に引っかかっている言葉がある。それは「押入れ」と「引出し」である。
「押して入れる」押入れと、「引いて出す」引出し。モノとしては全く別物なのに、期せずして生き別れの兄弟みたいな関係になっている。
そもそも、押して入れるから「押入れ」という命名からして面白い。油で揚げるから「油揚げ」、ゆでるから「ゆで太郎」に通じるものがある。動作がそのまま名称になっているタイプである。
もっというと押入れの別称は「押込み」であり、さらなるストレートさが我々を襲う。「とりあえず押込みに押込んどけ!」っていうのは日本語としては正しいのだけれど、口に出してみると絶妙なおかしさが付きまとう。こういった言葉は、思いを巡らせば巡らせるほど、スルメみたいに味がしみ出してくるものだ。
さらにいうと、押入れと引出しのスゴさはこれだけにとどまらない。もっとややこしい関係性をも持っている。
収納のしやすさから、押入れの中に衣装ケースを積んでいる。つまるところ、「押入れ」の中には「引出し」が入っているのだ。これこそが、私が長年気になっている(でも別段どうということもない)ものの正体である。
せっかく押して入れたのに、その中身を引いて出すのだ。なんという言葉遊び! そんな面白いものが、みんなの部屋の中にも存在しているのだ。ありふれた些細なものでも、捉え方次第ではユカイに変わるという良い例である。
なんというか、今回言いたかったのはこれで全てである。押入れと引出しの関係、そして現実には押入れの中に引出しが存在しうるということ。だから何だと言われればそれまでであるが、一度気になってしまうと、押入れを開けるたびにここまでの話が頭をスーっとよぎるのである。私たちはこういう、ちょっとした「おかしみ」のある日常に暮らしている。
押入れの中にある引出しは、言葉遊びの延長にある日常の違和感である。
そんな話を長年にわたりツラツラと考えていると、いつしか「引出しの中にも押入れがあっていいんじゃないか」と思い至った。思い至ってしまった。
以降は、感性のおもむくままに、引出しの中に押入れを作った記録である。
ふすまの作り方をなぞると、なんとなくふすまっぽいモノができ上がった。ミニチュア工作は初めてだったのだが、上手く仕上がったときの達成感たるや。ふすまを作っただけでこれなんだから、今ならドールハウスを作る方の気持ちがよく分かる。
押入れに押し入れられた引出し。それを引いて出した中にある押入れ。その押入れの中に、押し入れられるものは果たして何だろう? 我々はどこに向かおうというのか。
深い。いや、別に深くはない。よく分からなくなってきた。終わろう。
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