これが無料なんですよ
以上、駆け足だったが、展示してある見立番付の面白そうなものをざっと紹介した。
おもしろ見立番付を紹介することに夢中になってしまったが、いちばん大切なことをいいわすれている。それは、この展覧会が、無料であるということだ。
こんなにおもしろいものをたっぷり見られるうえに、無料。たまらない。なんど行ってもゼロ円である。きっちり納税している新宿区民に頭が上がらない。ありがとうございます。
会場にはこれ以上におもしろ見立番付がたんまりあるので、ぜひぜひ足を運んでみてほしい。
人は物事に序列をつけ、ランキングにするのが好きだ。
情報が、ランキングとして整理されると、それだけでニュースになってしまう。
たとえば、都道府県の魅力度、餃子の消費量、CDの売り上げ、視聴率、ベストセラー、偏差値、流行語、貿易額……と、挙げればキリがないが、折々にランキングのニュースが世間をにぎわせ、話題となる。
そのランキングのルーツとも言える「番付」に注目した企画展が、新宿区立新宿歴史博物館で行われている。
新宿区立新宿歴史博物館で行われている「お江戸のなんでもランキング2 めくるめく番付ワールド」(2020年9月22日まで開催中)では、江戸時代から明治大正昭和までの「見立番付」を展示している。
今回は、この展覧会で展示されている「見立番付」をじっくり鑑賞するべく、やってきた。
展示は、番付の黎明期、江戸時代の出版事情からはじまる。
江戸で出版が盛んになるのは、江戸時代中頃で、その頃には、草双紙などの絵入りの小説本といった、今で言うライトノベルのような位置づけの大衆向け出版物が急増する。
「番付」という出版物も江戸時代中期頃から出はじめ、世の中に広がっていった。
西村「もともとは相撲の番付がまずあって、それから派生するように、色んなものをランキング化した『見立て番付』ができた……ということでしょうか」
新宿区立新宿歴史博物館・芦崎さん(以下敬称略)「それが、どれが最初とは、ちょっといい切れないんですよ」
西村「どういうことですか?」
芦崎「番付は古くは三種類ほどあって、まずひとつは相撲の番付、それから歌舞伎役者の番付、もうひとつは、祭礼の番付というものがあったんです」
西村「祭礼の番付?」
芦崎「お祭りの山車(だし)というか、練り物の登場順を示しているものも番付といったんです、番付は相撲の番付だけじゃなかったんです」
西村「番付といってもこれなんかは、図ですね」
古賀「まんまインフォグラフィックですね」
芦崎「こういった番付はお祭りのプログラムといってもいいと思います」
西村「そうか、沿道でお祭りの行列を見物している人は、この番付を持っていれば、目の前の山車が何で、次にどんな山車がくるのかわかるというわけか、なるほど」
古賀「これ、ディズニーランドのエレクトリカルパレードの番付あったらいいですね。次にどんなのが来るかわかって」
芦崎「なるほど、その発想はなかったです(笑)」
出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎を創始したのが1603年(慶長8)、上方(京都・大坂)、江戸の歌舞伎がそれぞれ二大潮流として成立するのが元禄年間(1688-1704)前後。歌舞伎役者の番付はそのころからあった。
いっぽう、勧進相撲が始まったのが1600年代の後半から1700年代にかけての時期で、もちろん相撲の番付は存在した。
芦崎「歌舞伎、相撲、祭礼の番付で、なにが最初だったのかは、はっきりとはいえないんですね」
西村「今、お話をうかがっておもったのは、相撲にしろ、歌舞伎にしろ、お祭りにしろ、すべて“興行”ですよね。番付とは、もともと興行(イベント)にどんな人(物)がでるのかを記した『プログラム』だったのではないかな? と思いました」
芦崎「そうですね、これなんかはまさにそうで、辻番付っていうんですけど、演題があって、内容と出演者が書いてある」
西村「こうなってくると、映画のポスターみたいですね……」
興行のプログラム代わりにもなった番付、そこから、役者や力士をランキングして並べたら面白いぞ、となり、最終的には役者や力士に限らず、なんでもランキングにしたら面白い、となり「見立番付」というものがどんどん出てくるようになったのだろう。
芦崎「これは、歌舞伎役者を鳥のグレードに例えてるんです」
古賀「大鵬というのはなんですか」
芦崎「中国の伝説上の巨鳥ですね」
西村「体の大きい鳥から並んでるのかな。尾上菊五郎とか、市川團十郎、市川海老蔵、中村芝翫あたりの有名どころの名前がありますね」
タイトルをよくみると「番付」とはなっておらず、「鳥尽(とりづくし)並(ならび)位附(くらいづけ)」となっている。
ただ人気別にランキングするのではなく、鳥のグレードに見立てて役者をランク付けするという趣向を凝らすあたり、すでに「見立番付」の進化系といえるものが出ているのがすごい。
西村「時代が進むにつれて、見立番付がどんどん増えてくるんですね」
古賀「あ、漬物の番付ありますよ」
西村「これは気になる。むかしのひとがいちばん好きだった漬物は……奈良漬けかー意外! でも、奈良漬けうまいですもんね……西の横綱は阿弥陀池桜醤(あみだいけさくらひしお?)……これはちょっとわからないな」(この見立番付は横綱を「大極製」、大関を「関東」、小結を「小樽」といって洒落ている)
古賀「守口大根ありますね」
西村「細長いやつですよね、守口大根の粕漬け。西の小結に、金山寺味噌が入ってるのもおもしろい。金山寺味噌は漬物という認識だったのかな」
古賀「金山寺味噌ってなんですか」
西村「豆や麦の入ったおかず味噌ですね、きゅうりにつけて食べたりするやつ」
西村「世話役は糖(糠?)味噌漬、塩押物ですね。塩押物ってのはなんだろう、塩漬けかな、で、勧進元・沢庵(たくあん)、差添・菜漬かー」
細かく見ていくと、「梅飛志保」などは、おそらく「うめひしお(梅醤)」かと思われるが、梅の醤油漬けだとしても、そういった名前の漬物はちょっと聞いたことが無い。
梅醤(うめしょう)と呼ばれる梅肉と醤油を練り合わせたものの可能性もあるが、もしかすると、漬物の一般名称ではなく、それぞれの漬物店で取り扱っていた当時の商品名の可能性もある。
西村「ところで、番付って、東西に分かれていますけれど、西と東でどっちが格上とかありますか?」
芦崎「東西で優劣をつける場合もあるようですけれど、そうでないものもあり、厳密な決まりはないみたいですね」
古賀「見立番付で、その物や事を産地や場所で東西にわけたりします?」
芦崎「それも、厳密に決まってないみたいですね、漬物番付も京都のものが東に入ってたり、江戸のものが西に入っていたりしますから」
番付の見方、については、この漬物番付を例にしたパネルが準備されている。
番付は「中軸」を中心に右側が東、左側が西のランキングになっており、右から横綱、大関、小結、前頭と並んでおり、ランクが低いほど字が小さくなる。
中軸にはたいてい「蒙御免(ごめんこうむる)」と書いてあり、これはお上から許可をもらいました。という意味だ。なお、漬物番付は「蒙御求(御求め蒙る、買ってください)」と洒落ている。
中軸の下に書いてある「勧進元」は、興行の主催者で、見立番付では、対象としている物、事の中で、誰もが最上と認める存在があてられることが多い。
そう考えると、もし「日本の山番付」というものがあると仮定すると、富士山は横綱ではなく勧進元に入り、東西の横綱は、例えば浅間山や阿蘇山などがあてられるかもしれない。ちなみに「差添(さしぞえ)」は興行の副主催者という位置づけらしい。
西村「これは……武将の見立番付ですね」
古賀「武将?」
西村「古今の武将をランキング化したんですね、東の横綱が足利尊氏、西の横綱が織田信長なんですねー、おもしろい……」
古賀「なるほど」
西村「ゲームで『信長の野望』ってありますけど、あれ、登場する武将に政治とか武勇といった能力値があるんです。で、その能力値でソートすると、能力が高い順にズラッと配下の武将が並ぶんですね、それを見るだけでけっこう時間潰せるんです」
古賀「番付がまさにそれですね」
西村「そうなんスすよ……」
源頼朝、徳川家康、豊臣秀吉、平清盛あたりの、いわゆる天下をとったとされる武将は、勧進元枠に入っているけれど、足利尊氏はそうではなく、東の横綱に入れられているのが興味深い。
足利尊氏は、戦前の皇国史観のもとでは、天皇に背いた朝敵だという評価がされることもあったが、明治時代の番付ではランクが高い。なお、楠木正成は、軍師枠でランクインしている。
見立番付は、その当時の庶民が、それらの物事をどう認識していたのか? を調べる手がかりになる。
明治時代の温泉ランキング。東の大関が「草津温泉」西の大関が「有馬温泉」となっている。気になったのが、別府温泉のランキングの低さ。
今の日本人に「日本の有名な温泉地」を答えてもらった場合、草津、別府、熱海あたりがパッと思いつく温泉地ではないかと思われるが、この番付では別府は西の前頭十九枚目だ。(草津は東の大関、熱海は行司としてランクインしている)
これは、江戸や大坂・京都など大都市にわりと近い、列車などに乗っていける温泉の方が身近に感じられていたと……ということだろうか。
そしてこちらは、都市ランキング。東京、大阪、京都は別格として、東の大関が熊本、西の大関が名古屋である。
東の番付は、熊本、金沢が、広島や福岡よりもランクが上になっている。あくまで「繁栄競(はんえいきそい)」であって、人口ランキングではないところに留意しなければいけない。
まだ廃藩置県が終わって間がなく、政令指定都市といった制度がない時代は、熊本や金沢の存在感がかなり大きかったというのがわかる。
とくに明治時代の熊本は、軍隊の師団が置かれたり、逓信省や大蔵省の専売局、日本銀行など、九州においては国の出先機関などが存在する町として、重要な地位をしめていた。
他にも、萩や松江、米沢あたりがランキング上位に食い込んでおり、江戸時代の城下町の名残を残しているともいえる。
続いて見てみるのは文明開化の番付。これもけっこうおもしろい。
芦崎「これは、文明開化で新しく日本に入ってきた物事の見立番付ですね」
古賀「へー、なんだかかわいい絵がかいてありますね」
芦崎「歌舞伎の番付(※前出『東都役者入替番附之図』など)をパロディにしているんですね、文明開化で広まった物事、ランプ、牛肉、新聞、石鹸といったものを役者に見立てているわけです」
西村「これ、いまでいうヒット商品番付ですよね」
芦崎「注目してほしいのは、名称を役者の名前に似せて洒落てるんです、博物館の博物館之丞とか、病院の病院診作みたいに、歌舞伎役者風です」
西村「芸が細かいな〜」
古賀「ガマ口! がま口って江戸時代になかったんだ!」
西村「意外ですね、時代劇に出てきそうな気もしますけど」
西村「代言屋車部九郎は弁護士ですかね。隧道穴九郎はトンネルですね、兵児帯(へこおび)書生太、兵児帯も明治からのものなんですね、なるほど」
兵児帯は、明治時代に薩摩藩の若者がしていた風習が一般化したものらしい。明治時代の新しい文物は、西洋由来のものだけでなく、日本の地方から広がったものもあるということは盲点だった。
余談だが、薩摩発祥で日本各地に広まったものは言葉でもいくつかある、例えば「ビンタ」は、薩摩弁で頭のことだ。ビンタ(頭)を叩くと言われていたものが、いつの間にか「ビンタ」だけで頭を叩くことになってしまった。
また「おい、コラ(ちょっと、あなた)」が薩摩弁であるというのも有名だろう。これは明治維新を経て成立した警察に採用された警察官には、薩摩出身者が多く、その中で人を引き止めるときに使われていた「おい、コラ」が、全国的に広まったとも言われている。
閑話休題。
芦崎「そしてこちらは、新古興廃くらべといって、明治時代になって広まったものと、廃れたものを番付にしたものですね」
芦崎「むかって右側が、明治時代に新しく入ったもの。左側が廃れたものになってますね」
西村「なるほど、菊の御紋(天皇家)に対して、葵の御紋(徳川家)、馬車に対して、四手の駕籠、金銀貨紙幣に対して大判小判かー。これ、今だったらIT革命興廃くらべできそうかなって思いましたけど、カメラや電話、FAX、手紙なんかは全部スマホってことになっちゃいますね」
古賀「真ん中には男女同権とか書いてありますね、この頃から言われていたんですね」
芦崎「男女同権といえば、そのまま『男女同権いろはの論争』という番付もあります」
芦崎「中軸でわけて、右が男の言い分、左が女の言い分となっています。男女同権の論争といっても『いうなれバ』と始まって、お互いに愚痴を言うだけなんですけどね」
西村「男が女に『ろくな面(ツラ)でもあることか』というと、女が男に『ろくなかせぎもすることか』と、お互い悪口をいいあってるわけか……最近のSNS上のジェンダー論争とそんなに変わらないですね……」
今の感覚における「男女同権」のイメージからは程遠いものだが、ただの悪口の言い合いに「男女同権」と大仰なタイトルをつけたのは、当時の最先端の概念だった「男女同権」という言葉を、とにかく使いたかったのだけなのかもしれない。
芦崎「もっと強烈なものもありますよ、“当世あほとかしこの見立相撲”です」
西村「あほとかしこってのは、アホな人と賢い人ってことですね。そのまんまだ……」
西村「用も無ニ町中馬駈歩行人……昔は、用もないのにむやみに走り回ると、あほだと思われてたんですね……役者の部屋に行きたがる娘、人の悪事を新聞へ投書する人……これは今でもいますね」
古賀「『西郷隆盛が生きていると言う人』ってなんだ?」
西村「当時、西郷隆盛は西南戦争で死なず、生き延びてロシアに行ったんだという説がまことしやかにながれてたんです」
古賀「へー」
ちなみに1891年、ロシア皇帝のニコライ二世が、日本に来日したとき、滋賀県の大津で、警官の津田三蔵に斬りつけられ、大けがを負う事件(大津事件)が発生する。 これは「ニコライ二世が西郷隆盛を伴って日本に帰ってくる」という噂を、まにうけた津田が凶行におよんだという説もある。津田は西南戦争に新政府軍側として参加していた。
あほとかしこの見立番付、下の方もよく見てみると、明治人のでたらめぶりがよく分かる。こんなのでよくロシアと戦争できたなと感心してしまう。
「牛肉食い続けて歯を痛める人」「大通りで小便して罰金取られる人」「英字で看板書いて分からぬ商売」「葬礼戻りで茶屋(当時の風俗)へ行く人」あたりはまあ、あほだなと納得できるが「嚊(かかあ)の肩もんでやる亭主」も明治時代はあほになるらしい。
「桃花折って百姓にどつかれる花見(客)」はスカッとジャパンみたいな話かもしれない
西村「これは『あるようでないもの、ないようであるもの』……大喜利みたいになってきましたね」
西村「相庭(相場)で金もうふけた人、たしかにいないな〜」
古賀「いないね〜」
西村「金ぎん、率直だな〜」
西村「けいせいのまことってなんだろう」
芦崎「けいせいというのは、傾城ですね、美人のことです。ここではつまり花魁とか遊女なんですけど、男をたぶらかしちゃうから、そういう人の『好き』に本当はないよという意味なんですね」
西村「水商売のおねえちゃんに本気になる人はあほだと……。そうか、言葉の意味がよくわかってないから……これは辞書を引きながら鑑賞しないとだめですね、下の段に書いてある『女形役者のちんぽ』とかは、意味わかるんですけどね……」
展覧会では、昭和時代のスターの番付、江戸時代のグルメ番付、幕末までに起きた重大ニュース番付など、おもしろ見立番付が目白押しであるが、キリがないので、ひとまずこのあたりで一区切りしたい。
最後に紹介しておきたい番付は、この展覧会にきた、来館者が自分の好きなもので番付を作るコーナーの番付だ。
会場には、来場者が自由に書き込める番付のフォーマットが準備されているので、自分の好きなものや、詳しいものを勝手にランク付けして、好きな番付を作ることができる。
そんな、インディーズ番付をいくつか見てみたい。
古今東西のロックスターとバンドの番付。やっぱり、横綱はエルビス・プレスリーとビートルズなんだな。と納得すると同時に、大関にクラフトワーク、前頭にYMOが入っており、この方とぼくは気が合いそうだ。
もちろん、子供たちが作った番付もある。
申し訳ないけれど、どれがなんのライダーなのかわからないが、好きなんだな。という気持ちはめちゃめちゃ伝わってくる。
隣のフルーツ番付もおそらく子供が書いたものだと思うが、びわが入っているあたり、好みがかなりしぶい。たぶんこの子は育ちが良い。
以上、駆け足だったが、展示してある見立番付の面白そうなものをざっと紹介した。
おもしろ見立番付を紹介することに夢中になってしまったが、いちばん大切なことをいいわすれている。それは、この展覧会が、無料であるということだ。
こんなにおもしろいものをたっぷり見られるうえに、無料。たまらない。なんど行ってもゼロ円である。きっちり納税している新宿区民に頭が上がらない。ありがとうございます。
会場にはこれ以上におもしろ見立番付がたんまりあるので、ぜひぜひ足を運んでみてほしい。
新宿区立新宿歴史博物館
所蔵資料展
お江戸のなんでもランキング2 めくるめく番付ワールド
【会期】 令和2年6月16日(火)~9月22日(火祝)
【時間】9:30~17:30(入館は17:00まで)
【会場】新宿歴史博物館 地下1階企画展示室
【観覧料】無料
【休館日】会期中の第2・4月曜日(祝休日の場合は開館し、翌平日が休館)
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