歩いていると沖島の景色もたくさん目に入る
ゆっくりと島を歩いていると、沖島ならではの景色もたくさん見えてくる。地主恵亮さんの記事にも書かれていた三輪車は島の名物。
「たばこは近江八幡市で買いましょう。」というメッセージ
街並みを眺めているうちに、うっかりして神楽師のみなさんとはぐれてしまった。そして一度はぐれてしまうと、なかなか見つからない。その姿を追って歩くうち、この辺りの人気フォトスポットになっているらしい桟橋に行き当たった。
さらに歩き回ったが神楽師のみなさんの姿は見えず。近くに「おきしま展望台」があると案内板を見かけ、そっちへ行ってみることにした。
日が差してぽかぽかと暖かく、階段に腰を下ろして思わずウトウトしかけた。するとどこかから笛の音がかすかに聴こえた。その時、ちょっと背筋がゾクッとするような気がした。姿は見えないが、この家々の隙間を、獅子舞いが歩き、今もどこかで舞っているのだ。
その音の方角へ歩こうと急いで展望台を降りたが、もうどこにも笛の音は聞こえないのだった。その姿の見えなさに、畏敬の念が湧いた。
神楽師の方々は、私にも気さくに話しかけてくれるし、休憩時には神楽師同士で冗談を飛ばし合うような和やかなムードが漂うのだが、獅子を担いで歩いている今は紛れもなく、神の使いなのだ。一年に一度、神の訪れを待っている地域の人と、そこにやってくる神楽師の存在、その関係性の中に神性が生まれるのかもしれないと思った。
しばらくして、最初に行った公民館に向かってみると、お昼の休憩が始まるところだった。みなさんとの再会にホッとして、またも図々しいことに私もその席に混ぜていただけることになった。島の婦人会の方々が手作りしてくださったというお弁当をいただく。
お弁当には鯉の煮つけが入っていて、ビワマスのお刺身まで提供された。魚の旨味が溶け込んだあら汁も絶品だった。
広場での「総舞」を見に、島の人がたくさん集まってきた
家々をめぐり、お昼の休憩が終わると、「沖島漁業会館」前の広場で「総舞」が行われることになる。
前述した通り、総舞は“八舞八曲十六演目”で構成されていて、その土地の方への感謝を込めて奉納されるものなのだという。家々をめぐるものとは違い、誰でもが気軽に見に来ることができる、開かれた神事である。
演目の長さが厳密に決まっているわけでも、必ずしもすべての演目が行われるというわけでもなく、臨機応変に、神楽師同士のあうんの呼吸的なやり取りによって進んでいくらしい。即興的な要素も多く、笑いあり、ハラハラするような曲芸ありでまったく見飽きないのだ。
島内に総舞が始まる旨を告げるアナウンスが流れ、徐々に人が集まってくる。舞いが始まると、婦人会のみなさんも、子どもたちも一緒になってそれを眺めている。
「水の曲」という演目では、棒状の道具を足先に乗せてバランスを取りながら笛を吹くという曲芸が披露される。
ここで面白いのが、「放下師」と呼ばれる芸達者な役割の神楽師と、もう一人、「道化師」と呼ばれる、何もできない役の神楽師が二人セットで登場する点だ。
放下師が見事な芸を見せている横で、道化師は邪魔したり、自分もできると見せかけるためにズルをしたりして、放下師にツッコミを入れられる。道化師はどこまでも無能な役回りなのだが、周りで見ている観客を笑わせてリードしていくのは道化師なのだ。
これは完全に私の勝手な推測なのだが、なんでもできる神の使いとしての放下師に対して、道化師は庶民の代表のような存在として生まれたのではないだろうか。見事な芸が全然できなくても、ユーモアでその場を切り抜け、やりようによってはタフに生きていけるのだと、そういうことを体現する存在として道化師がいるように思え、見ていると力が湧いてくる気がする。
道化師と放下師はまるでボケとツッコミで、実際にトーク主体の漫才のようなやり取りもある。神の使いとして存在している伊勢大神楽だけど、人を笑わせ、どこまでも庶民に寄り添う形で発展してきたのだろうなと思う。
総舞の途中でまた天気が少し傾き、強い風が吹いて雪が降ってきた。そんな中での曲芸的な演目をするのに神楽師のみなさんは苦労されているようだったが、それでもずっと歓声の絶えない祝祭空間が生まれていた。
その後も、口に乗せた板の上に茶碗を汲み上げていく「献燈の曲」があったり、翁が獅子から大切な玉を取り返そうとする「玉獅子の曲」があったり、フィナーレには、伊勢神宮近くの遊郭の江戸時代の賑わいを再現したという「魁曲」が舞われ、3時間ほどの総舞が終わった。
「これが終わるとようやく春が来る」と聞く
総舞が終わった後も獅子は人気で、「噛んでもらっていいですか!」と人が集まってきたり、白い毛をもらいに来る人がいたりした。
また、その後、島の漁師さんが網などの漁具をしまっているいくつかの倉庫にも獅子舞いを奉納していた。
漁師さんが私に話してくれたところによると、「伊勢大神楽はこうして一軒一軒丁寧にやってくれるからありがたい。(こういう光景を)小さい頃からずっと見ている。子どもの頃から、50年も60年もずっと見てきた。昔からずっと変わっていない。これが終わったらようやく春が来るなぁと思う」とのこと。沖島の人々にとって、伊勢大神楽は春の訪れを告げる存在でもあるのだった。
片づけを終え、沖島漁業会館で温かいお茶とおでんを振る舞っていただき、一休みしたところで島を出る時間となった。
地元の方が漁船で堀切港まで送ってくださるという。船に長持を乗せ、島のみなさんに挨拶をして、船が出る。
帰りの船が出る時も、みなさんが笛と太鼓を演奏する。
船のエンジンの轟音と風の音の中で、お囃子が響き、島の人が手を振っているのが遠くに見える。夢のような光景だと思った。その船の上に自分も居させてもらい、本当にありがたいことだった。
船が港につくと、朝の逆の順序でワンボックスカーに長持を運び込み、車に乗って近江八幡駅近くの宿まで送ってもらう。
私はそこでみなさんにお別れして大阪へ向かう電車に乗ったわけだが、神楽師のみなさんはまた明日も明後日も旅を続けるのだ。それはどんなことだろうかと、私にはわかるはずもないが、今日のことを手掛かりに想像してみながら帰路についた。
いきなり同行した私を受け入れてくださった「伊勢大神楽講社 山本源太夫社中」の皆様、沖島の皆様、本当にありがとうございました!また伊勢大神楽の神事を見に行ってみたいし、沖島にもまた別の季節に行ってみたいと思います!

