屋外エスカレーターの健気さ
室外機しかり、外ではたらく機械を見ていると、無性に応援したくなってくる。なにせ過酷な屋外である。カンカン照りの日もあれば、長く雨に降られることもある。
梅雨のある日、雨に打たれるエスカレーターの様子が気になって街へ出た。今回はそんなお話である。
エスカレーターは、そのほとんどが屋内に設置されている。しかも電気で動いているため、私の頭のなかでは「濡れると危険」という勝手なイメージができ上がっていた。
しかし目の前にあるのは、雨ざらしのエスカレーターである。当たり前だが、しっかり防水処理がされていれば雨に濡れても平気なのだ。それは分かる。分かるのだけど、屋内で見慣れた機械が水びたしになっている様子をみていると、漠然とした不安がつきまとう。気が気ではない。
「健気」――そんな言葉が頭に浮かんだ。
機械に感情はない。ただ設計された通りにルーチンをこなすだけである。しかし、それを目にした私の心は揺り動かされる。こんなにがんばっているエスカレーターを見過ごすことはできない。どんなものにも感情移入できてしまうのが人間のすごさである。
屋内エスカレーターにも、晴れの日の屋外エスカレーターにもない吸引力が、雨の日の屋外エスカレーターにはある。殊勝さと少しの不安を兼ね備えた状態にあり、しかも特定の日にしか出現しないレア度をほこる。少しでもバランスが崩れれば存在しえない、希有な存在なのだ。
以降は、この状態を「濡れエスカレーター」と呼ぶことにする。
動物や乗り物、武器などを擬人化したコンテンツがたくさんある。濡れエスカレーターに向けるまなざしも、まさに擬人化そのものである。対象は無機物だけれど、置かれた状況や役割によって、そこに人格のようなものを見いだすことができる。キャラクターを見る目で街を観察することで、あらゆるものに愛着が感じられるようになるのだ。
梅田でもがんばる濡れエスカレーター
場所を移そう。大阪の中心部、梅田にも屋外エスカレーターはある。
雨が降らなければ濡れエスカレーターを見ることはできない。普段であれば晴れを願う場面が圧倒的に多いけれど、たまには今日みたいに雨を乞う日があってもいい。
雨を待ちながらラーメン屋で休憩していると、ふいに「シャー!」という空気を切り裂くような音が耳に飛び込んできた。
大阪駅の改修時に設置された、比較的あたらしいエスカレーターである。梅田の中心部にあるため、私もかなりの頻度で使用している。それゆえ、そこにあるのが当たり前になっており、ほとんどの人は意識下に浮上することすらないだろう。でもよく見て欲しい、これは立派な濡れエスカレーターではないか。
新しいこともあってか、茨木駅前のエスカレーターに比べて、ほとんど不安を感じなかった。なぜだか「こいつに任せておけば安心だ」という印象を受けた。同じ濡れエスカレーターでも、ずいぶん感じ方が違うものだ。
雨の中がんばっている状況は同じである。しかし次から次へと絶え間なくやってくる人間を手際よくさばき、滞りなく任務を遂行する。言ってみれば機械的なのだ(いや、たしかに機械なのだが)。このエスカレーターも、古びてくると違った見え方になるのだろうか。
梅田の濡れエスカレーター その2
大阪駅の南側にも、同じく数年前にできた新しい屋外エスカレーターがある。次はその様子を見に行ってみる。
こちらもやはりというか、淡々と仕事をこなしている印象を受けた。雨が降っても我関せず、といった自信を感じるのだ。例えるならば大雨のなか、みんなが傘を差しながら必死に雨を避けているとき、ひとり雨合羽を着て余裕を見せている。そんな雰囲気である。
千里中央の濡れエスカレーター
雨はまだしばらく降り続きそうだ。最後は、大阪北部・千里中央にある屋外エスカレーターを見に行こう。
考えてみれば、こんな傘が壊れるような悪天候のなかでも、変わりなく動き続けるエスカレーターは偉大である。私も電気系エンジニアなので肌身に感じているのだが、屋内用と屋外用とでは、設計の難易度が大きく違う。直射日光、湿気、冬の寒さ、雨、雪……さまざまな悪条件のもと安定して動くことが求められる、それが屋外用機器なのだ。
しかし当の濡れエスカレーターは、何食わぬ顔をして街に鎮座している。改めてその働きっぷりに襟を正す思いであった。
今回、合わせて4箇所の濡れエスカレーターを巡ってみた。私が当初抱いていたのは、最初に述べた「不安さ」や「健気さ」といった見方である。しかしよくよく見てみると、同じ濡れエスカレーターでも個体によって感じ方が違うのだ。これは発見であった。
屋外エスカレーターの数自体が少ないため、人によってはほとんど見る機会がないかもしれない。でも雨の日には、こうして日本各地で濡れエスカレーターが発生している。たまに見かけたときには、やさしい気持ちで接してあげたい。
徳島駅前の濡れエスカレーター
私が濡れエスカレーターを意識したのは、地元・徳島にいたときだ。徳島駅の真ん前には、目立つ位置に立派な屋外エスカレーターがある。
物心ついたときからエスカレーターはそこにあった。ごく身近な存在にして、当時知っていた唯一の屋外エスカレーターである。もちろん雨に打たれながら乗ることもあったし、青春を徳島駅前(の主に本屋)で過ごした私にとっては、思い出の地でもあるのだ。
いろんな街にはいろんな濡れエスカレーターがあって、それぞれに誰かの思い出があったりなかったりするのだろう、きっと。