「わかるかなあ、わっかんねえかなあ」と思いながら書く
新年早々ふわふわした記事を書いてしまった。記事に限らず、何かを書くときはだいたいいつだって「本当にこれでいいんだろうか?伝わるだろうか?」と迷いながら書いているが、今回はとくにそんな逡巡がまとわりついてきて大変だった。本人すら手探りの記事を載せてくれるデイリーポータルZにも、読んでくれる読者にも幸ある一年でありますように。
長々と書いてきたこの感覚が自分にしかないものだったらどうしよう、と心配になってきたけれど、撮影についてきてくれた同行者に試しに掻いてみてもらったところ、「ほんとだ、なんでだろう!?」と言って驚いていた。
同行者は
①一定以上のマッス(量感)がある
②動物の体の部位を連想させる
という、掻いていて快を受け取る条件もほぼ同じだと言っていた。無理矢理図にするとこんな感じだ。
どういうことが起こっているのかはだいたいわかった。じゃあ、どうしてこんなことになるのかということを同行者とあれこれ話してみて、結局、これは対象に動物らしさを見出しているからだろうということになった。
自分も同行者も猫を飼っていたことがある。猫は掻いてやると喜ぶ動物だ。というより、喜んでいるように見える動物である。人間と違って「ありがとう。気持ちいいよ」と言ってきたりはしない。人間の方が「こいつは今喜んでいるようだな」と相手の意思を汲んでいるだけである。ぬいぐるみを掻いているときに「ぬいぐるみが喜んでいるように見える」のと変わらないのだ。
動物を連想させるなにかを掻いているときも、この相手の喜びを汲み取ろうとする機能が無意識に働いているんじゃないだろうか。そして対象が喜んでいると思えば思うほど、そこに見出している「動物らしさ」は強化されていく。
そこから受け取る快だの気持ちよさだのの正体は、純粋な共感の力と、自分のしたことで動物が喜んでいるという満足感だろう。
猫を掻いてあげた体験がベースになっているから、猫よりも小さいものに対してはこの法則は発動しない。鱗っぽいマツの樹皮は、動物らしいとはいえ爬虫類とか魚寄りだから、これも法則を発動させる条件としては弱い。
なんとか結論みたいなものに達した。自分の中の、感情のブラックボックスをほんの少しだけ開けて見ることできたことが面白いような、怖いような。
ただ、今のところ自分と同行者のn=2でしかないので、「自分もそうです」とか「そんなこと全然思いません」みたいな感想をお待ちしています。
新年早々ふわふわした記事を書いてしまった。記事に限らず、何かを書くときはだいたいいつだって「本当にこれでいいんだろうか?伝わるだろうか?」と迷いながら書いているが、今回はとくにそんな逡巡がまとわりついてきて大変だった。本人すら手探りの記事を載せてくれるデイリーポータルZにも、読んでくれる読者にも幸ある一年でありますように。
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