意外とわかるものである
昭和の映像と現在では、本当に、夏と冬ぐらい様子が違っているのが、冷静に見れば意外とどこかわかってしまう。
令和版の映像は、だいたい同じ場所で撮影しているので、同じはずだが、その変貌ぶりは夏が冬になるぐらいの違いがある。50年の歳月の重みを感じる。
NHKが、自ら蓄積した膨大な映像資料の中から、創作物などをつくるさいに無料で使用できる映像をまとめて提供する「NHKクリエイティブライブラリー」という、神の御業のようなサイトを公開している。
NHKのハイクオリティな素晴らしい映像が、自分の創作物へ利用できるという点もさることながら、素材そのものを見てみるとひじょうにおもしろい。
とくに、過去の東京のようすを収録したいくつかの映像資料はとても興味深い。
※この記事はデイリーポータルZの運営元であるイッツコムのサービスエリア、東急沿線の魅力を紹介する記事です。
こちらの映像を見ていただきたい。「消えゆく路面電車 中目黒線」という50秒ほどの映像だ。
NHKのウェブサイトには、築地から中目黒までを結ぶ「中目黒線」と呼ばれた都電8系統の映像だということと、1965年に目黒区で撮影されたということが記されている。
そしてもう一つ「消えゆく路面電車 渋滞」という1分20秒ほどの映像。
と、ここで動画は終わる。
上の二つ以外にも昭和時代の様子が映っている動画はあるが、今回はこの二つの動画に注目し、この動画に映っている場所を特定し、そこの現在の様子を録画し、令和板の映像を編集してみたい。
話はすこしさかのぼる。
ある日、デイリーポータルZ編集長の林さんからメッセージがきた。
林さん「西村さん、NHKクリエイティブライブラリーというところの自由に使っていい映像素材に、古い東京の風景があって、この中目黒とか、同じアングルの場所に行きたくなりますね」
西村「あ、これはたしかに行ってみたい……これは、中目黒のどこだろう……」
しばらくグーグルマップをグリグリいじくっていると、ぴったりな場所を見つけてしまった。
西村「林さん、これ、鎗ヶ崎(やりがさき)のあたりから中目黒方面を眺めたところにそっくりですよ」
林「代官山から中目黒方向みてるんですかね。それにしても見晴らしがいい……」
というわけで……代官山にやってきた。
元気いっぱいで申し訳ない。三人とも代官山は久々で少々はしゃいでいる。とはいえ、べつやくさんは、このあたりと学区が同じ学校に通っていたという。
これから、冒頭であげたふたつの動画の場所をめぐり、同じ場所で動画を撮影し、令和板の動画を作りたい。
ひとまず、鎗ヶ崎に向かう。が、駅前にあったタピオカ屋がどうしてもきになってしまう。
ぼくは、ブームになってからは飲んだことがなく、林さんもべつやくさんも同じだとおもう。(確認してないけど)
林さんはタピオカミルクティー買って写真を撮っていた。
流行りものでも、安易には乗らないぞという強い意志を感じる。
閑話休題。
問題の場所は、代官山駅から歩いて数分の鎗ヶ崎交差点だ。
動画「中目黒」の方で最初に映るのは、鎗ヶ崎交差点のあたりから中目黒方面を写したものに違いない。
ただ、映像は高い場所からズームで撮っているようで、まったく同じ場所から……というわけにはいかない。
交差点の横のマンションのベランダから撮影できればベストなのだが、そういうわけにもいかない。というわけで、交差点から腕をいっぱいに伸ばして撮影をする。
しかし、とれた映像をみてみると今ひとつである。
やはり遠すぎるのかもしれない。もうすこし線路に近づいてみる。交差点を渡り、中目黒駅方面に近づく。
われわれはNHKではないので、近隣のビルから映像を撮ることはできず、低い位置からしか撮影できないため、いかんともし難いが、位置はバッチリだろう。
中目黒から緩いカーブをえがきながらのぼってくる二つの道。東急東横線の線路。間違いない。
昭和と令和の大きな違いといえば、巨大なビルがいくつも建っているということのほかに、令和時代は街路樹がデカい。という点がおもしろい。
とかく東京は「緑がない」とか「コンクリートジャングル」なんてことを言われがちだが、東京は意外と緑が多い。
さて、続いては、「渋滞」の⑨のシーン。
実はこのシーンについては、林さんがすでに場所を特定していた。
まんなかあたりに見える養命酒のビル、左はじの東京ガスのビル、そして、手前を走るのは玉電といわれた東急玉川線。かつて、渋谷と二子玉川を結んでいた路面電車だ。現在は廃止されてしまったが、ルートの真下を東急田園都市線が走っている。
いまの地図をみてみると、たしかに養命酒のビルが渋谷の近くにある。
「古地図with MapFan」(http://labs.mapfan.com/etc/kochizu/)というサイトでは、昭和時代の店舗名が詳しく載っている地図を見ることができるのだが、そこで同じ場所をみてみると、昭和時代には東京ガスと養命酒のビルが並んで立っていたことがわかる。
つまり、この映像は渋谷の道玄坂上のあたりを神泉町の交差点あたりから撮影しているシーンで間違いない。
というわけで、代官山から15分ほど歩いて神泉町の交差点までやってきた。
いまいちど、渋滞⑨の画像と見比べてみてほしい。
路面電車が無いのに加え、空を覆う高速道路が完成しており、様子がガラリと変わっているが、養命酒のビルは存在している。ただ、建て替えでモダンな建物になっており、会社名もアルファベットで「Yomeishu」である。
景色が変わっているとはいえ、場所はここで間違いないだろう。ただ、昔の映像は、すこし離れた場所からズームで撮影しているように見える。とりあえず近くの歩道橋から渋谷方面をみてみる。
やはり、物陰になってしまっており、なにもみえない。
西村「さすがにここからだとなにもみえないですね」
べつやくさん「高速のカーブが、渋滞⑨の道のカーブに、似てるんだろうなっていうのだけしかわからないね」
西村「そこの名残だけはありますね」
林「高速道路の下がアンダーパスになってますけど、その下に地下鉄があるんですよね」
西村「そうですね……いまここに大坂上ってバス停ありますけど、同じような路面電車の停留所はあったかもしれないですね」
現地で勝手に想像して適当に予想したが、後で調べると「大坂上」という路面電車の停留所は、過去にはあったものの、戦時中に廃止(1941年休止、1942年廃止)されてしまったため、玉川線廃止時にはなかったようだ。実際にはもうすこし渋谷よりに「上通」という停留所があったらしい。
歩道橋の上からだと、遠すぎたので、もうすこし養命酒のビルに近づいて映像を撮ってみることに。
交差点まで戻るともう一度「渋滞」の映像を見直す。やはりここだ。間違いないだろう。
林「東急バスのデザインって昔から変わんないですね」
べつやく「そう、すくなくとも私が子供の頃からは変わってないね、赤とシルバーの、ウルトラマンみたいな色」
西村「たしかに、うっかりウルトラマンになってる……」
さて、次にやってきたのは「渋滞」の冒頭①の場所だ。
「協和」という看板が目立つビルとY字路。これはいったいどこなのか?
西村「これ、おそらくなんですけど、三軒茶屋だと思うんです」
林「あぁ、これ、カラオケ屋のところか」
べつやく「そうか、カラオケ館とビッグエコーの間の246のところだ」
渋谷に近く、これだけにぎやかなY字路がある場所といえば、三軒茶屋ぐらいしかない。
というわけで、三軒茶屋にやってきた。
もういちど渋滞①の画像をよくみてみると、またもや高い位置から撮影している。
Y字の向きと周囲のビルを考えて、同じような高さの場所をさがす。しかし、ビルに勝手に入るわけにもいかないので、すこし高くなっているところから撮影してみる。
高速道路の高架とデカい街路樹、位置の低さなどさまざまな要因でもって似ても似つかない状態ではあるものの、場所はほぼ合っていると思う。
位置が高ければ、もう少し似通った構図で取れたかもしれないが、われわれはNHKではないので、現状これが精一杯である。
とはいえ、この50年ほどの町の変貌がいかにものすごいものだったのかがよく分かる。
林「これ、もしかして「渋滞①」に映ってるビルって、建て替えしてないんじゃないですか?」
西村「協和って書いてあるビルですか?」
林「そうです、よく見ると一緒じゃないですか?」
と促され、ビルと映像のビルを見比べてみる。
西村「あー、本当だ、窓の形とかまったく一緒ですね」
べつやく「ビッグエコーの看板があるかないかの違いだけだね」
昭和40年(1965年)に撮影されたものということらしいので、実に54年前、すくなくとも築54年以上は経っているといえる。
現在ビッグエコーになっているビルは、古い地図を調べると、銀行マークがついているので、おそらく当時は協和銀行のビルだったのではないかと思われる。
協和銀行は、平成3年に(1991年)に埼玉銀行と合併し、埼玉協和銀行となって、翌年、あさひ銀行となり、現在の、りそな銀行へつながっている。
三軒茶屋のビッグエコーは中に入ったことがないのでわからないけれど、もしかしたら、金庫室みたいなカラオケルームがあるのかもしれない。
同じ「渋滞」の動画の⑤のシーンも、よく見てみると、富士銀行の位置にみずほ銀行があったり、形の似たビルがあるなど、明らかに三軒茶屋であった。
さて、上記二つの動画のうち、どこで撮影されたものなのかさっぱりわからないカットがひとつあった。それが「中目黒」の最後⑦、⑧のカットだ。
このカットは、情報が多い割に、どこなのか? がさっぱりわからない。どこかを特定するために、わかっている情報をまとめたい。
●映っている電車は、中目黒線と呼ばれた路面電車で、中目黒から赤羽橋、桜田門、日比谷、銀座、築地を結ぶ都電8系統。築地行きの電車が右から左に走っている。
●看板が読み取れる店舗は「小林硝子店」「改元ベアリング(?)」「ネジ」「機械工具」など、町工場系の店舗が多い。
以上の2点。このシーンは、なんだかわかりそうで、わからないのだ。
西村「映っている電車が都電の8系統というのはわかってるので、その沿線であることは確実なんですけど……後ろに小さい店舗が多いから、さっき行った鎗ヶ崎から恵比寿駅までの道かな……」
べつやく「町工場みたいな店舗がこんなにあるのは気になるね……」
西村「あれ、ちょっとまってください。これ、東京タワーじゃないっすか? 最後の最後にちらっと映ってるの」
べつやく「あ、ほんとだ」
西村「築地行きの電車の進行方向右手に、東京タワーが見えるということは……この電車は北に向かって走っている。古川橋から麻布十番までの間の道のどこかじゃないですか?」
おそらく、撮影された場所は、上の地図の赤い部分のどこかだろう。
具体的にどこなのか、これから麻布十番まで行って、歩いて確かめれば……というところだったのだが、この日は日が暮れてしまった。残念ながら、最後のカットについては後日確認するという話になり、この日は帰途についた。
そんななか、林さんから、メッセージがきた。
林「西村さん、最後のカットなんですけど……これの後ろの英語の看板、BARBER KIUC○Iって読めませんか?」
西村「BARBERか……よく読めましたね……」
林「この床屋さんまだあるっぽいんですよね」
西村「(Google Mapをみる)あ、ほんとだ! ありますね」
林「そう考えると、次のシーンに一瞬だけ写る「改元ベアリング」なんですけど、これ「政元(マサモト)ベアリング」なんじゃないかと」
西村「あーッ、マサモト、たしかにある。政元か……改元、政元……推理小説の謎解きみたいになってますねこれ……ということは、古川橋のすぐたもとということですねこれ……行って撮ってきます」
と、いうわけで、行ってきた。
古川橋から、南麻布の交差点あたりまでは、今でも自動車工場や工場が多いエリアで、たしかに、床屋さんとベアリングの会社は、その場所にあった。
床屋さん、ベアリング会社はあったのだが、このあたりは道幅が、当時とは比べ物にならないくらい。たぶんおそらく倍以上になっているのではないか?
いちおう、道に飛び出さない範囲で、同じアングルで映像は撮った。
東京タワーがみえていた場所は、現在はDHCの大きいビルに代わっている。昔は、コンクリートミキサー車や路面電車が走るゴミゴミした下町の雰囲気が濃厚に漂う景色だったが、現在はシュッとしたビルがズラッと並ぶなか、町工場がいくつか点在する不思議な町並みとなっている。
そんなわけで、NHKクリエイティブライブラリにあった昭和の路面電車の映像二つの令和板を作ってみた。
昭和の映像と現在では、本当に、夏と冬ぐらい様子が違っているのが、冷静に見れば意外とどこかわかってしまう。
令和版の映像は、だいたい同じ場所で撮影しているので、同じはずだが、その変貌ぶりは夏が冬になるぐらいの違いがある。50年の歳月の重みを感じる。
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