①同じ大田区に縁がある
まず、穴守稲荷神社の鎮座地は大田区羽田。そして静岡市葵区に静岡本社があるアオイネオン株式会社は、大田区池上に東京本社がある。
同じ大田区で地縁があったというのは、ひとつ奉納するにあたって後押しになったポイントだと思っている。
②羽田はかつて、ネオンの町だった
穴守稲荷神社からもすぐそばの海老取川沿いに、今も大きなポンジュースのネオン看板がある。
このネオン看板は、飛行機から見えるようにだったり羽田空港からの移動時に見えるようにと、かつてこの周辺にたくさんのネオン看板があった名残となっている。
海老取川沿いのネオンは、今はもうこのひとつだけ。そしていつ無くなってもおかしくない絶滅危惧種のネオンだ。
アオイネオンさんからは、ネオン自体が絶滅危惧種であり、日本全国でネオンを作れる職人さんは50人くらいと伺った。アオイネオン株式会社でも、ネオンの職人さんはもうひとりしかいないという。
お店のネオンはそのお店がなくなると一緒になくなってしまう。でも神社だと数十年、もしかしたら100年とか、日本唯一になるまで残すことができるかもしれない……。
こうして神社に奉納されることで、ネオン文化そのものを永く残すことができ、人々がネオンに触れる機会を永く作れるものだと思うので、そのお手伝いができて本当に嬉しい。
また、神社にはその土地の歴史をアーカイブする機能を持つので、奉納された「無窮の鳥居ネオン」を通じて、羽田がネオンの町であったことを文化として伝えることができるのだ。
③稲荷神社には鳥居を奉納する文化がある
実現するにあたり、これが一番大きかったと思っている。
稲荷神社には願掛けや願いが通ったお礼にと、鳥居を奉納する文化がある。
「千本鳥居」があるのは稲荷神社だけだ。そこの稲荷神社への信仰心が、奉納されている鳥居の数で目に見える形になっている。お稲荷さんはほかの神社の境内にも祀られている場合が多いので、そこで目にしている人も多いだろう。
穴守稲荷の奉納鳥居は、もともとは門前のお店がそれぞれ頒布していて、お稲荷さんの総本宮である伏見稲荷さんでも神社が頒布しているわけじゃなく、参道のお店などで頒布していたそう。
確かに、穴守稲荷境内でも神社で授与している奉納鳥居とは明らかに違う形の、ふるーい鳥居を見かけることがある。
そして「無窮の鳥居ネオン」は、広告看板の会社であるアオイネオンさんが、自分たちの持てる技術を使った最上級のネオンアートの鳥居だ。
神社に事前に相談して奉納を受け入れていただき、実現にいたった。穴守稲荷の神様に「無窮の鳥居ネオン」を受け入れて頂けたのだ。
④タイミングと縁
穴守稲荷神社とアオイネオン株式会社、両方とも別の機会で取材をしていて、人となりをわかっていて、繋いだらどんな感じになるかが想像できたのも大きい。
アオイネオン株式会社の荻野さんはマニアの話を聞くのがうまい方で、私は取材に行った側なのに気持ちよく神社の話を聞いてもらってしまった……。
そして自分の好きな神社とネオンで何か繋げられないかと考えた時に思い浮かんだのが穴守稲荷神社だった。
柔軟で新しいものも受け入れる度量がある印象の穴守稲荷神社の取材では、宮司さんが水琴窟を自作した話を聞き、「おもしろい神社だな~」と思っていた。
そんな穴守稲荷神社と行動力のあるアオイネオンさんと繋いだら、何かが起こりそうな予感がした。そうして無事に繋ぐことができ、あれよあれよという間に奉納の話が順調に進んでいった。アオイネオンさんのスピード感がまたすごかった。
また、穴守稲荷神社では現在の羽田空港内にあたる明治頃の境内に、4万6,797基存在した奉納鳥居を復興するべく、鳥居の奉納プロジェクトを1月からはじめたばかり。その意味でもタイミングが良かった。
今回の「無窮の鳥居ネオン」は奉納鳥居プロジェクトのシンボルにもなるものであり、無限に連なる鳥居のおかげでチート的に目標数を達成できてしまうもの。技術のおかげでこんなことができてしまった。