いつか全てこの世からなくなる、その前に

遠出がなかなかできない今だからこそ、現実ではありえない旅ができたし、ついでにいままでの人生をちょっと振り返ることができた。そしてこれを実現させてくれたGoogleさん、ありがとう。
ここにある施設のように僕らはいつか死ぬ。そこでどんな悩みすらそこでチャラになる。それまで何があってもどうにか生きてやろう。
さくらやは首都圏を中心に展開していた家電量販店で、僕も地元近くの船橋駅前にあったのでよく通った。
下は新宿東口駅前店の2009年12月、もう閉店直前の様子だ。
しかし店舗数の拡大などで出遅れ業績不振に陥り、さらにセールストークをしない「好感接客」の方向性も販売力の面でアダになり、2010年2月28日の全店閉店に追い込まれたという。悲しい話だ。
まだ日本撤退劇が記憶に新しいファストファッションブランドFOREVER21。まずは在りし日、2019年5月時点の姿を見てもらおう。
5ヶ月後にやってくる閉店劇とは対照的な華やかさに、哀愁を感じる。
手元には閉店翌日の2019年11月1日の写真があった。
FOREVER21は賃料上昇や販売競争に勝てず破綻。「75%オフ+2着目無料」なるとてつもないファイナルセールを行った後、2019年10月末に完全閉店した。この世に永遠はなかった。
続いては1945年創業の家電量販店、石丸電気だ。かつては秋葉原だけで15店あった象徴的存在だったし、関東を中心に50店舗ほどがあった。
関東ローカル向けに「でっかい~」のフレーズでおなじみのCMをたくさん流しており、実際に行った回数以上に僕らに近い存在だった。これは2009年12月の様子である。
当時は石丸の看板を見て「秋葉原へ来たぜ!」って気持ちが高まったなぁ。
ちなみにもうこの時点でエディオンに吸収合併されており、店舗のブランドだけの存在だった。2012年10月1日、それもエディオンに統一されて石丸の歴史は終わった。
ところで、僕は携帯を持ったのが遅くて2004年からなのだが、最初に手にしたのが、6年使ったDDIポケットだった。いち早くネットの定額制を実現させたAIR-EDGEなど、当時はネット接続にすごく強いキャリアでちょっと自慢だった。
さすがにDDIポケット時代までは遡れないが、その次に名乗ったウィルコムのショップを見ることができた。まだ利用者がそれなりに居た、2009年12月時点の秋葉原店の姿だ。
フルブラウザ搭載ガラケーやスマートフォンなどをいち早く取り入れ、僕らガジェット好きにも愛されたウィルコム。
しかし回線速度の遅さやカバーエリアの狭さなどでどんどん勢力を減らし、サービス終了が決まった。確かに32~256Kbpsとかの回線速度では苦しかったよなぁ。
続いては日本テレビの旧本社にあたる、麹町分室を見たい。
筆者はテレビの仕事をはじめるとき、日テレ学院というこの地下にあるカルチャースクールっぽい養成講座に通っていたのだ。
正直あんまり授業は身についたとは思わないんだけど、そこにいるみんなが人生を模索していた、思い出の場所だった。
それが、こうなった。
全てのものは滅びる。だが新しいスタジオが2020年12月21日完成予定で、また歴史は作られていく。
次は新宿スタジオアルタの跡を見てみよう。
笑っていいとも(フジテレビ系)を放送していた場所で、もうスタジオ自体は消滅した。下はちょうど無くなった2016年3月に撮られた画像だ。
ちなみにいいとも最終回のとき、僕はこのアルタ前にいた。
テレビを仕事にしていた僕は、「これは行かなきゃダメだ」と思って駆けつけた。
いまだにテレビマンが集まると最終回の録画をみんなで見るときがあるけれども、それくらいあの日は特別だった。あの日、行って良かった。
最後は建造物系を見よう。まずはソフィテル東京だ。これは2004年の画像だが、階段がビルになっているような不思議な建物のホテルで心を奪われた。
この場所を2009年11月に見たら、もう解体されていて、三井不動産のパークタワーが建つところが見えた。一歩遅かった。
さらに、あの関東大震災時の復興事業の代表格である、同潤会アパートもGoogleストリートビューの中では生きている。2010年1月時点での画像だ。
1929年に建てられ、2013年と同潤会アパートの中でも最後まで残っていた上野下アパート。とんでもない年季を感じるが、当時としては最先端の技術の粋が込められた建物だった。
いまはザ・パークハウス 上野(三菱地所レジデンス)になっている。
この流れで、代々木にあった怪しくて近寄りがたい建物、代々木会館の在りし日も見てもらおう。
2009年12月時点では、まだ生き残っているお店もいくつかあった。ちなみに1階の飲み屋には入ったことがあって、テレビ時代の先輩とこれからを語り合ったことを思い出す。
ちなみにこの建物で最後まで残っていたのは3階にある中国書専門店の「東豊書店」。解体直前の2019年6月末まで粘っていた。
代々木駅のウラ象徴的存在だったちょっと奇怪な建物。映画「天気の子」にも登場したせいでギャラリーも多く、その終焉をみんなで見守った。いまは完全に解体されて、もうその姿はない。
ラストは東京をグッと離れて、琵琶湖に来た。ここにはイーゴス108なる、世界最大の観覧車があったのだ。
ちなみに「イーゴス」とは、「すごーい」の逆さ読み。まさかのダジャレネーミングを持つイーゴスも、それを持つ遊園地・びわ湖タワーがバブル後の不況のあおりを受け、2001年8月に閉園してお役御免となった。
しかし営業廃止の後も、イーゴスを我が子のように思っていたひとりの技術者が、再開を願いながら13年間、月に1回非常用の動力を稼動させて回転させ、保守点検を続けていた。
その中でリゾート開発が進むベトナム・ダナンのアジア・パークからの打診があり、解体されて海を渡り、2014年7月、台座の部分を合わせた7m高い115mの姿で復活した。
「復活」は大抵の場合、かなわないもの。しかしその技術者は13年もの歳月を耐えきって、やってのけたのである。
このイーゴス108のみ「別の場所には残っている」のに取り上げてしまったが、思わず僕もグッと来たいい話なので許してくれ。
遠出がなかなかできない今だからこそ、現実ではありえない旅ができたし、ついでにいままでの人生をちょっと振り返ることができた。そしてこれを実現させてくれたGoogleさん、ありがとう。
ここにある施設のように僕らはいつか死ぬ。そこでどんな悩みすらそこでチャラになる。それまで何があってもどうにか生きてやろう。
![]() |
||
<もどる | ▽デイリーポータルZトップへ | |
![]() |
||
![]() |
▲デイリーポータルZトップへ | ![]() |