建物版ブラタモリ
建物の不自然な形から、その建物の元の用途を推理するのは実に楽しい。これってやってることはブラタモリとそんなに変わらないのではないか。
ただ、古地図にあたる建物の設計図がないため、素人が見ただけでは、何が正解か判断つかないのがもどかしい。
先日、日課となっている地図眺めをしていたところ、巣鴨の西友がその昔、ボウリング場だったということを発見した。
実は10数年前、上京したばかりのころに、巣鴨の西友で数ヶ月だけアルバイトをしたことがあった。夏の間だけ、レジ打ちのバイトをしたのだ。
確かに、建物の形を思い出してみると、なんだか変な形をしていたような気がするし、なによりも、建物が古かったのは確かだ。調べてみると、元ボウリング場だった建物は、スーパーに転用されて残っているケースが多いらしい。
東京周辺に残っている元ボウリング場のスーパーをいくつか回ってみた。
※2011年6月に掲載された記事の写真画像を大きくして再掲載したものです。
巣鴨から離れて10年以上たつけれど、年に一度ぐらいのペースで、地蔵通りの縁日に遊びにきたりしていた。しかし、西友はずいぶんごぶさただ。
JR巣鴨駅は、巣鴨らしからぬおしゃれなショップがたくさん入った新しい駅ビルができたりして、かなり変わってしまったけれど、西友はどうか?
変わってなかった。あの夏を過ごした建物は相変わらずそこにあった。……と、感傷にふけりにきたのではない。建物の形だ。 この建物、ちょっと変だと思いませんか? この斜めに傾斜した屋根が昔から気にはなっていた。なってはいたけど、深く考えずに放置して忘れてた。でも、元ボウリング場だと思ってみれば確かにボウリング場っぽいようなきがしてきた。
ちなみに、巣鴨の西友は地上2階、地下2階建てで、地下2階が駐車場。地下1階が食料品売り場。1階と2階が衣料や生活雑貨の売り場だ。 店内案内図を見てみると、出入口に近い場所にエスカレーターが設置されている。
通常、デパートなどではフロアの真ん中にエスカレーターがあったりするのだけど、ここはそうなっていない。 建物の端っこにエスカレーターがあること自体べつに珍しいことではないのだけど、「元ボウリング場」ということを踏まえて考えると、やはりフロアの真ん中にはボウリングのレーンがズラッと並んでいたため、この配置だったのかな?と思ってしまう。
ところで、ボウリングのレーンはどこの階にあったのか?1階の様子と2階の様子を見比べてみる。
1階に比べて、2階には柱がほとんどない。ボウリング場のレーンがあるフロアも、大抵の場合柱がない。ということは、この建物は2階がボウリング場のレーンだったのではないだろうか?
2階の蛍光灯の向きも、もしかしてレーンに沿って設置してあったからこの向き……というのは考えすぎ?
2階を歩いていて気になったのが、床の音だ。
2階の床の大部分は「コンコン」と床の下で音が反響するような、こもった音がするのに対し、建物の東側部分は「カツカツ」と中が詰まってるような音がする。下の写真がちょうどその境目の部分なのだけど、よく見るとその境目にうっすらひび割れが入っている。
これはレーンのあったほうの床下に、ボールリターン(ピンを倒したボールをプレイヤーの所に戻す機械)などを設置していた空間が、そのまま残っているためではないだろうか?と思ったのだけど、どうだろう?
他にも、店内の構造をよく見てみると、なぜそうなってるのかよく分からない謎の構造が多い。
1階の天井が一部分だけ下に出っ張っていたり、2階と1階を結ぶ非常階段も踊り場の位置が中途半端な場所にあって天井が低かったりと、なんだかちょっと変だ。
ぼくは建築に関してはまったくの素人で知識もゼロなんだけど、そんな素人目にみても、この建物はすこし不思議な構造が多い。
外に出て建物の外観をもう一度よく眺めてみた。
斜めの線を多用したマッシブなコンクリート構造が、最近の建物には無いレトロフューチャーな感じをよく出している。
改めてみてみると、やはりスーパーというよりも、なんかアミューズメント施設のような変な形だということがよくわかる。あの煙突状の四角い棒の先にピンのオブジェがあればまさにボウリング場といった佇まいじゃないかこれは。
ところで、巣鴨の西友は山手線の線路に面して建っている。山手線に面したほうは地下駐車場の入り口や荷物の搬入口があるのだけど、そこにちょっと気になる所を見つけた。
電線がちょっとじゃまだけど、この飛び出したガラス張りの一角はいったい何だろう。 全面ガラス張りで、明らかに見晴らしを考えて作られている。展望台には低すぎるけれど、なにかレストランのような、そんな施設のような気がする。 ここが「元ボウリング場だった」と思いながら改めて建物を眺めてみると、このガラス張りの飛び出た部分が元々なんだったのか、気になってくる。
外を回っていると、こんな銘版をみつけた。
日本醸造工業というのが気になったのでiPhoneアプリの「東京時層地図」で確認してみると……。
工場だ! 現在、西友巣鴨店になってる場所がそのままの形で工場の敷地になってる。むかしはおそらく、お酒か味噌醤油の工場だったのだろう。
さっきのガラス張りの飛び出た部屋の件も含め、お店のおばちゃんに聞いてみた。
--「あの、この建物ってむかしボウリング場だったらしいんですが、西友のスーパーになったのはいつ頃かご存知ですか?」
--「たしかにボウリング場だったわね、スーパーになったのは……いつぐらいだったかしら? もう40年ぐらい前になるんじゃない?」
--「40年ですか!」
--「だって私が中学生の頃だもん」
--「ちょっと中を見させてもらったんですが、1階には柱がいっぱいあって、2階には柱がほとんどなかったんですよ、これってやっぱりレーンが2階にあったってことですかね」
--「そうねー、たしかに2階がボウリング場だったような気がする、あまりよく覚えてないけれど……1階はなんだったかちょっと覚えてないわ」
--「そうですか、あの山手線の線路に面した方にある、あの飛び出してるガラス張りの部屋ありますよね、あそこってなにに使ってるんですか?」
--「ああ、あそこは今は社員食堂だけど、昔は喫茶店だったんじゃないかしら」
あのガラス張りの小部屋。あそこは喫茶店だったらしい。やはり、にらんだとおり飲食施設だった。
さて、次に来たのは立川にある「いなげや立川幸店」だ。ネットのうわさによると、フロントやレーンの跡が一目でわかるようになっているのだという。これは期待したい。
いなげやをみると、武蔵野に来たなあという実感がわく。ぼくにとってのいなげやは多摩を象徴するアイコンだ。
さっきのトリッキーな形の西友巣鴨店とは違い、建物の形はずいぶんおとなしめだ。
店内でまず最初に気づいたのは、クリーニング店や100円ショップのある場所が、一段高くなっているということだ。
ボウリング場は、フロントのあるエリアと、レーンのあるエリアが段差になっていて高さが違うことが多いのだけど、この段差はその名残なのだろうか?
特にこの場所などはそのままフロントからレーンのある場所に下りていく階段があったようにも見える。
店内を見渡してみたところ、フロア内に大きい柱は一本もなかった。西友巣鴨店がそうだったように、いなげや立川幸店もここがレーンのあるフロアだったと考えて差し支えないと思う。ただ、レーンのわかりやすい痕跡などは見つけることができなかった。 しいて言うならば、蛍光灯の向きがレーンの向きと同じという名残かな?と思われる程度なのだけど、断言できない。
テラスで休憩していた地元のおっちゃんに話を聞いてみた。
--「この建物ってむかしボウリング場だったらしいんですけど、その頃のこと覚えてます?」
--「あー、確かにボウリング場だったな。なんていうのあれ、ボウリングのピンがのってたの覚えてるわ」
--「やっぱり、ピンは乗ってたんですねー、中に入ってボウリングしたことありますか?」
--「うーん、覚えてないなあ……。まあ、当時は2時間3時間まちが当たり前だったから」
--「当時はボウリングが流行ってたんですよね」
--「それでその前(ボウリングが流行る前)は野球狂時代でさ、学校の体育の時間はみんな野球でよ、川上とか」
--「川上哲治?」
--「そう、あれが現役だった時代よ、長嶋なんて最近の選手。ついこないだよ」
……なぜか、話題が野球の話になってしまった。色々面白い話をいくつか聞いたけれど、ボウリング場と関係ないので割愛します。
ちなみに、お店の人にも聞いてみたけれど、やはり元ボウリング場だったということは知っているものの、それ以上のことはわからないということだった。
次に訪れたのはさいたま市のサミット太田窪店だ。JR浦和駅からバスで向かう。
おぉ、いかにも郊外のボウリング場といった佇まいだ……。今、サミットの看板がのっかってる部分にピンが乗ってたとしか思えない見事なボウリング場建築。
ボウリングブームのころに建設されて、その後スーパーなどに転用された建物も、老朽化が進み、取り壊しされるものも多い中、この形でよく残ってくれてたと思う。
サミット太田窪店は、3階建てで、1階はスーパーの作業場、2階が店舗で3階はテナントが入っているようだ。
2階の店舗部分を見渡してみたところ、やはり柱が無い構造になっていた。ということは2階部分がレーンだったと思われる。
ただ、ここは店内の改装が進んでおり、店内にレーンやフロントの痕跡のようなものを見つけることはできなかった。
最後に訪れたのはロヂャース戸田店だ。
ロヂャースは、埼玉県を中心に展開するディスカウントショップだ。ロヂャースはもともと「ロヂャースボウル」というボウリング場だっただけあり、その店舗のほとんどは元ボウリング場だったらしい。しかし、年々建替えがすすんできており、ボウリング場の面影を残した店舗は少なくなってきているらしい。
そんな中、元ボウリング場の面影を強く残しているのがこの戸田店だ。
まず、建物の正面から奥に向かって緩やかに傾斜する屋根が目に付く。レーンの向きが正面から奥に向かっていたという証拠だ。奥の方にピンセッター(倒れたピンを並べなおす機械)などのバックヤードがあったのだろう。これも当時の面影をよく残したボウリング場建築だと思う。
ロヂャース戸田店は1階と2階の位置がすこし変わっていて、1階は半地下、2階は中二階といった位置にある。 2階に続く踊り場付の階段の、中途半端なゴージャスさがいかにも古いボウリング場建築といった風情がある。
さっそく2階を……と思ったところ、なんと2階は4月から改装中で閉鎖されていた……。実は、ロヂャース戸田店の2階はレーンの床がそのまま使われていてスプリットなどのマークが残っているとのうわさもあり、今回一番期待していたのだけど、来るのが2ヶ月ほど遅かった……。
半地下の食料品売り場に行ってみると、ここは柱だらけだ。ここは一体なんだったのか?答えは建物の裏側にあった。
上の写真はロヂャース戸田店の建物の裏側だ。建物の半地下の部分にむかってスロープになっている。スロープは、現在荷物搬入用の作業場になっているけれど、これは半地下の部分が駐車場だったということの名残だ。
建物の不自然な形から、その建物の元の用途を推理するのは実に楽しい。これってやってることはブラタモリとそんなに変わらないのではないか。
ただ、古地図にあたる建物の設計図がないため、素人が見ただけでは、何が正解か判断つかないのがもどかしい。
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