はじめに・編集部 林から
唐突な企画なので最初に説明します。
著作権は作者の死後70年(少し前までは50年)経つと保護期間が終わります。江戸川乱歩や太宰治も保護期間が終わっています。
100年前の名作がウェブ記事のように読めたらおもしろい。昔の人も小説をスマホを見るぐらいエンタメとして読んでいたに違いないし、私としても原稿料を払わずにすごい作品を載せることができる(ここが大きい)。
そう考えてデイリーポータルZのフォーマットに入れてみました。ウェブ記事っぽく写真をこまめに入れています。写真は撮り下ろしです。
(撮り下ろしたら時間とお金がかかってしまい、楽して原稿を増やす目論見は消えました)
今回選んだのは江戸川乱歩の短編「モノグラム」。1926年に書かれた1万文字ちょっとの短編です。短いですがミステリーがギュッと詰まってます。
97年前なので小道具や服装、表現でなじみがないものがあるので今のものに変えています。仮名づかいや漢字表記、改行位置も読みやすく変更しました。
とはいえ語り口も展開も雰囲気も(私が言うのはおこがましいのですが)おもしろいです。3回に分けて掲載します。
写真に登場するのはトルー、住正徳さん、編集部古賀、編集部安藤。撮影のようすは動画でおさめてあるので後日、まとめて公開予定です。
では江戸川乱歩「モノグラム」をお楽しみください。
私が、私の勤めていたある工場の老守衛(といっても、まだ五十歳には間のある男なのですが、何となく老人みたいな感じがするのです)栗原さんと心安くなって間もなく、恐らくこれは栗原さんのとっておきの話の種で、彼は誰にでも、そうした打開け話をしても差支えのない間柄になると、まちかねたように、それを持出すのでありましょうが、私もある晩のこと、守衛室のストーブを囲んで、その栗原さんの妙な経験談を聞かされたのです。
栗原さんは話上手な上に、なかなか小説家でもあるらしく、この小噺めいた経験談にも、どうやら作為の跡が見えぬではありませんが、それならそれとして、やっぱり捨て難い味があり、そうした種類の打開け話としては、私は未だに忘れることの出来ないものの一つなのです。
栗原さんの話しっぷりを真似て、次にそれを書いて見ることに致しましょうか。
・
いやはや、落しばなしみたいなお話なんですよ。でも、先にそれを言ってしまっっちゃおなぐさみが薄い。まあ当り前の、エー、おのろけのつもりで聞いて下さいよ。
私が四十の声を聞いて間もなく、四、五年あとのことなんです。いつもお話する通り、私はこれで相当の教育は受けながら、妙に物事に飽きっぽいたちだものですから、何かの職業に就いても、大抵一年とはもたない。
次から次と商売替えをして、到頭こんなものに落ちぶれてしまったった訳なんですが、その時もやっぱり、一つの職業を止して、次の職業をめっける間の、つまり失業時代だったのですね。
御承知のこの年になって子供はなし、ヒステリーの家内と狭い家に差し向いじゃやりきれませんや。私はよく浅草公園へ出掛けて、所在のない時間をつぶしたものです。
いますね、あすこには。
公園といっても六区の見世物小屋の方でなく、池から南の林になった、共同ベンチの沢山並んでいる方ですよ。あの風雨にさらされて、ペンキがはげ、白っぽくなったベンチに、又は捨て石や木の株などに、丁度それらにふさわしく、浮世の雨風に責めさいなまれて、気の抜けた様な連中が、すき間もなく、こう、思案に暮れたという恰好で腰をかけていますね。
自分もその一人として、あの光景を見ていますと、あなた方にはお分りにならないでしょうが、まあ何とも云えない、物悲しい気持になるものですよ。
ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通りぼんやり物思いに耽っていました。
ちょうど春なんです。桜はもう過ぎていましたが、池を越して向うの活動小屋の方は、大変な人出で、ドーッという物音、楽隊、それに交っておもちゃの風船玉の笛の音だとか、アイスクリーム屋の呼び声だとかが、甲高く響いて来るのです。
それに引きかえて、私達の居る林の中は、まるで別世界の様に静で、恐らく映画を見るお金さえ持合せていない、みすぼらしい風体の人々が、飢えたような物憂い目を見合せ、いつまでもいつまでも、じっと一つ所に腰をおろしている。
こんな風にして罪悪というものが醗酵するのではないかと思われるばかり、実に陰気で、物悲しい光景なのです。
そこは、林の中の、丸くなった空地で、私達の腰かけている前を、私達と無関係な、幸福そうな人々が、絶えず通り抜けています。
それが着かざった女なんかだと、それでも、ベンチの落伍者共の顔が、一斉にその方を見たりなんかするのですね。
そうした人通りが一寸途絶えて、空地がからっぽになっていた時でした、ですから自然私も注意した訳でしょうが、一方の隅のアーク燈の鉄柱の所へ、ヒョッコリ一人の人物が現れたのです。
三十前後の若者でしたが、風体はさしてみすぼらしいというではないのに、どことなく淋し気な、少くとも顔つきだけは、決して行楽の人ではなく、私ども落伍者のお仲間らしく見えるのです。
彼はベンチのあいた所でも探す様に、しばらくそこに立ち止まっていましたが、どこを見ても一杯な上に、彼の風采に比べては、段違いに汚らしく怖らしい連中ばかりなので、恐らく辟易したのでしょう、あきらめて立去りそうにした時、ふと彼の視線と私の視線とがぶつかりました。
すると彼は、やっと安心した様に、私の隣の僅ばかりのベンチの空間を目がけて近づいて来るのです。
そうした連中の中では、私の風体は、古ぼけたジャケットかなんか着ていて、おかしな云い方ですがいくらかたちまさって見えたでしょうし、決してほかの人たちの様に険悪ではなかったのですから、それが彼を安心させたと見えます。
それとも、これはあとになって思い当ったことですが、彼は最初から私の顔に気がついていたのかも知れません。イエ、その訳はじきにお話ししますよ。
どうも私の癖で、お話が長くなっていけませんな、で、その男は私の隣へ腰をかけると、ポケットからスマホを出して眺め始めましたのですが、そうしている内に、段々、変な予感みたいなものが、私を襲って来るのです。
妙だなと思って、気をつけて見ると、男が横の方から、ジロジロと私を眺めている、その眺め方が決して気まぐれでなく、何とやら意味ありげなんですね。
相手が病身らしいおとなしそうな男なので、気味が悪いよりは、好奇心の方が勝ち、私はそれとなく彼の挙動に注意しながら、じっとしていました。
あの騒がしい浅草公園の真中にいて、色々な物音は確に聞えているのですが、不思議にシーンとした感じで、長い間そうしていました。相手の男が、今にも何か云い出すかと、待構える気持だったのです。
すると、やっと男が口を切るのですね。
「どっかでお目にかかりましたね」
って、おどおどした小さな声です。
多少予期していたので、私は別に驚きはしませんでしたが、不思議と思い出せないのですよ。そんな男、まるで知らないのです。
「人違いでしょう。私は一向お目にかかった様に思いませんが」
って返事をすると、それでも、相手はどうも不得心な顔で、又しても、ジロジロと私を眺め出すではありませんか。
ひょっとしたら、こいつ何か企らんでるんじゃないかと、流石に気持がよくはありませんや、
「どこでお逢いしましたか?」
ってもう一度尋ねたものです。
「サア、それが私も思い出せないのですよ」
男が云うのですね。
「おかしい、どうもおかしい」
小首をかしげて
「昨今のことではないのです。もうずっと先から、ちょくちょくお目にかかっている様に思うのですが、本当に御記憶ありませんか」
そういって、かえって私を疑う様に、そうかと思うと、変に懐しそうな様子でニコニコしながら私の顔を見るじゃありませんか。
「人違いですよ。そのあなたのご存じの方は何とおっしゃるのです。お名前は」
って聞きますと、それが変なんです。
「私もさい前から一生懸命思い出そうとしているのですが、どういう訳か、出て来ません。でも、お名前を忘れる様な方じゃないと思うのですが」
「私は栗原一造て云います」私ですね。
「アア左様ですか、私は田中三良って云うのです」
これが男の名前なんです。
私達はそうして、浅草公園の真中で名乗り合いをした訳ですが、妙なことに、私の方は勿論、相手の男も、その名前にちっとも覚えがないというのです。馬鹿馬鹿しくなって、私達は大声を上げて笑い出しました。
すると、するとですね、相手の男の、つまり田中三良のその笑い顔が、ふと私の注意を惹いたのです。
おかしなことには、私までが、何だか彼に見覚えがある様な気がし出したのです。しかも、それがごく親しい旧知にでも廻り合った様に、妙に懐しい感じなんですね。
そこで、突然笑いを止めて、もう一度その田中と名乗る男の顔を、つくづく眺めた訳ですが、同時に田中の方でも、ピッタリと笑いをおさめ、やっぱり笑いごとじゃないといった表情なんです。
これがほかの時だったら、それ以上話を進めないで別れてしまったことでしょうが、いま云う失業時代で、退屈で困っていた際ですし、時候はのんびりとした春なんです。
それに、見たところ私よりも風体のととのった若い男と話すことは、悪い気持もしないものですから、まあひまつぶしといった塩梅で、変てこな会話を続けて行きました。こういうぐあいにね。
「妙ですね、お話ししてる内に、私も何だかあなたを見たことがある様な気がして来ましたよ」
これは私です。
「そうでしょう。やっぱりそうなんだ。しかも道で行違ったという様な、ちょっと顔を合せた位のとこじゃありませんよ、確に」
「そうかも知れませんね。あなたお国はどちらです」
「三重県です。最近始めてこちらへ出て来まして、今勤め口を探している様な訳です」
して見ると、彼もやっぱり一種の失業者なんですね。
「私は東京の者なんだが、で、御上京なすったのはいつ頃なんです」
「まだ一月ばかりしかたちません」
「その間にどっかでお逢いしたのかも知れませんね」
「いえ、そんな昨日今日のことじゃないのですよ。確に数年前から、あなたのもっとお若い時分から知ってますよ」
「そう、私もそんな気がする。三重県と。私は一体旅行嫌いで、若い時分から東京をはなれたことはほとんどないのですが、殊に三重県なんて上方だということを知っている位で、はっきり地理もわきまえない始末ですから、お国で逢った筈はなし、あなたも東京は始めてだと云いましたね」
「箱根からこっちは、本当に始めてなんです。大阪で教育を受けて、これまであちらで働いていたものですから」
「大阪ですか、大阪なら行ったことがある。でも、もう十年も前になるけれど」
「それじゃ大阪でもありませんよ。私は七年前まで、つまり中学を出るまで国にいたのですから」
こんな風にお話すると、何だかくどい様ですけれど、その時はお互になかなか緊張していて、何年から何年までどこにいて、何年の何月にはどこそこへ旅行したと、こまかいことまで思出し、比べ合って見ても、一つもそれがぶつからない。
たまに同じ地方へ旅行しているかと思うと、まるで年代が違ったりするのです。
さあそうなると、不思議で仕様がないのですね。人違いではないかと言っても相手は、こんなによく似た人が二人いるとは考えられぬと主張しますし、それが一方だけならまだしも、私の方でも、見覚えがある様な気がするのですから、一概に人違いと言い切る訳にも行きません。
話せば話す程、相手が昔馴染の様に思え、それにもかかわらず、どこで逢ったかはいよいよ分らなくなる。あなたにはこんな御経験はありませんか、実際変てこな気持のものですよ。
神秘的、そうです。何だか神秘的な感じなんです。ひまつぶしや、退屈をまぎらす為ばかりではなく、そういう風に疑問が漸層的に高まって来ると、執拗にどこまでもしらべてみたくなるのが人情でしょうね。
が、結局分らないのです。多少あせり気味で、思い出そうとすればする程、頭が混乱して、二人が以前から知合いであることは、分り過ぎる程分っているではないか、なんて思われて来たりするのです。
でも、いくら話してみても、要領を得ないので、私達はまたまた笑い出す外はないのでした。
しかし要領は得ないながらも、そうして話し込んでいる内に、お互に好意を感じ、以前はいざ知らず、少くともその場からは忘れ難い馴染になってしまった訳です。
それから田中のおごりで、池の側の喫茶店に入り、お茶をのみながら、そこでもしばらく私達の奇縁を語り合った後、その日は何事もなく分れました。
そして分れる時には、お互の住所を知らせ、ちとお遊びにと言い交す程の間柄になっていたのです。
また、作中に登場する衣装、煙草などの小道具は現代のものに置き換え、それにあわせて表現を変更しています。
底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四巻 湖畔亭事件」春陽堂
1926(大正15)年9月
初出:「新小説」春陽堂
1926(大正15)年6月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:門田裕志
2017年9月24日作成
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