名作をウェブ化 2022年6月14日

三夜連続掲載・江戸川乱歩作「幽霊」第3夜

江戸川乱歩が大正14年(1925年)に発表した短編「幽霊」を3回に分けて掲載します。挿絵の代わりとなる写真を撮り下ろして追加しました。

今回は最終回 第3夜。辻堂にとりつかれた辻堂の正体を見破る青年の登場です。(第1夜第2夜はこちら)

1894年三重県生まれ。小説家。推理小説、ホラー小説が多い。

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自分でも寝込んでしまうかと心配したのが、そんなこともなく、平田氏は翌日になると割合元気に起き上ることが出来た。足の痛みで歩き廻る訳には行かなかったけれど、食事など普通にとった。

平田氏は翌日になると割合元気に起き上ることが出来た。

丁度朝飯を済ませた所へ、昨日世話をして呉れた青年が見舞に来た。彼もやっぱり同じ宿に泊っていたのだ。

昨日世話をして呉れた青年が見舞に来た。

見舞の言葉や御礼の挨拶が、段々世間話に移って行った。平田氏はそういう際で話相手がほしかったのと、礼心とで、いつになく快活に口を利いた。
同席していた平田氏の召使がいなくなると、それを待っていた様に、青年は少し形を改めてこんなことを云った。

「実は僕はあなたがここへ入らした最初から、ある興味を以てあなたの御様子に注意していたのですよ……何かあるのでしょう。お話下さる訳には行きませんかしら」

お話下さる訳には行きませんかしら

平田氏は少からず驚いた。この初対面の青年が、一体何を知っているというのだろう。それにしても余り無躾な質問ではないか。彼はこれまで一度も辻堂の怨霊について人に話したことはなかった。恥かしくってそんな馬鹿馬鹿しいことが云えなかったのだ。だから今この青年の質問に対しても、彼は無論ほんとうのことを打明けようとはしなかった。

だが、暫く問答をくり返している間に、それはまあ何という不思議な話術であったか。青年はまるで魔法使の様に、さしもに堅い平田氏の口をなんなく開かせてしまったのである。

青年はまるで魔法使の様に、さしもに堅い平田氏の口をなんなく開かせてしまったのである。

平田氏が一寸口をすべらしたのがいとぐちだった。若し相手が普通の人間だったら、なんなく取繕ろうことが出来たであろうけれど、青年には駄目だった。彼は世にもすばらしい巧みさを以て、次から次へと話を引出して行った。

一つは、昨夜あの恐ろしい出来事のあった今朝であった為もあろうが、平田氏はまるで自由を失った人の様に、話をそらそうとすればする程、段々深みへはまって行くのだった。そして遂には、辻堂の怨霊に関するおおよそすべてのことが、余す所もなく語りつくされてしまったのである。 

辻堂の怨霊に関するおおよそすべてのことが、余す所もなく語りつくされてしまった

聞きたいだけ聞いてしまうと、今度は、青年は話を引出した時にも劣らぬ、実に巧な話術を以て、他の世間話に移って行った。

そして、彼が長座を詫わびて部屋を出て行った時には、平田氏は無理に打明け話をさせられたことを不快に感じていなかったばかりか、その青年がどうやらたのもしくさえ思われたのである。 

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それから十日程は別段のこともなく過去った。平田氏はもうこの土地にも懲りていたけれど、足の傷がまだ痛むのと、それを無理に帰京して淋しい邸へ帰るよりは、この賑やかな宿屋住いの方がいくらか居心地がよかろうと思ったのとで、ずっと滞在を続けていた。

一つは新しく知合いになった青年が仲々面白い話相手だったことも、彼を引止めるのにあずかって力があった。

青年が仲々面白い話相手だったことも

その青年が今日も又彼の部屋を訪れた。そして、突然変に笑いながらこんなことを云うのだった。

「もうどこへいらっしゃっても大丈夫ですよ。幽霊は出ませんよ」

瞬間、平田氏はその言葉の意味が分らなくてまごついた。彼のあっけにとられた様な表情の中には、痛い所へ触られた人の不快が混っていた。
「突然申上げては、びっくりなさるのもごもっともですが、決して冗談ではありません。幽霊はもう生け捕ってしまったのです。これを御覧なさい」

青年はメッセージを平田氏に示した。そこにはこんな文句が記されていた。

「ゴメイサツノトオリ一サイジハクシタホンニンノシヨチサシズコウ」

 「これは東京の僕の友人から来たのですが、この一サイジハクシタというのは、辻堂の幽霊、いや幽霊ではない生きた辻堂が自白したことですよ」

咄嗟の場合、判断を下す暇もなく、平田氏はただあっけにとられて、青年の顔とそのメッセージとを見較べるばかりであった。

平田氏はただあっけにとられて

「実は僕はこんな事を探し歩いている男なんですよ。この世の中の隅々から、何か秘密な出来事、奇怪な事件を見つけ出しては、それを解いて行くのが僕の道楽なんです」

青年はニコニコしながら、さも無造作に説明するのだった。

「先日あなたからあの怪談ばなしを承わった時もその僕の癖で、これには何かからくりがありやしないかと考えて見たんです。お見受けするところ、あなたは御自分で幽霊を作り出す様な、そんな弱い神経の持主でない様に思われます。それに、御当人にはお気づかないかも知れませんが、幽霊の現れる場所がどうやら制限されているではありませんか。
なる程、御旅行先などへついて来る所を見ると、如何にも何処へでも自由自在に現れる様に思われますが、よく考えて見ますと、それが殆ど屋外に限られていることに気付きます。

殆ど屋外に限られていることに気付きます

たとえ屋内の場合があっても、劇場の廊下だとか、ビルヂィングの中だとか、誰でも出入りできる場所に限られています。

本当の幽霊なら何も不自由らしく外ばかり姿を現さないだって、あなたのお邸へ出たってよさそうなものではありませんか。ところがお邸へはというと、例の写真と電話の外は、これも誰でも出入りできる門の所で一寸顔を見せたばかりです。

そういう事は、少し幽霊の自然に反していやしないでしょうか。そこで、僕は色々考えて見たのですよ。一寸面倒な点があって時間をとりましたが、でもとうとう幽霊を生いけどってしまいました」

でもとうとう幽霊を生いけどってしまいました

平田氏はそう聞いても、どうも信じられなかった。彼も一度は若しや辻堂が生きているのではないかと疑って、戸籍謄本までとり寄せたのだ。そして失望したのだ。一体この青年はどういう方法でこんなに易々と幽霊の正体をつきとめることが出来たのであろう。

「ナアニ、実に簡単なからくりなんです。それが一寸分らなかったのは余り手段が簡単すぎた為かも知れませんよ。

でも、あのまことしやかな葬式には、あなたでなくともごまかされそうですね。飜訳物の探偵小説ではあるまいし、まさか東京の真中でそんなお芝居が演じられようとは、一寸想像出来ませんからね。それから辻堂が辛抱強く息子との往来を絶っていたこと、これが非常に重大な点です。
他の犯罪の場合でもそうですが、相手をごまかす秘訣は、自分の感情を押し殺して、世間普通の人情とはまるで反対のやり方をすることです。
人間という奴はとかく我身に引きくらべて人の心を推しはかるもので、その結果一度誤った判断を下すと仲々間違いに気がつかぬものですよ。

又幽霊を現す手順もうまく行っていました。先日あなたもおっしゃった通り、ああしてこちらの行先、行先へついて来られては、誰だって気味が悪くなりますよ。そこへ持って来て、戸籍謄本です、一寸道具立てが揃っていたじゃありませんか」 

平田氏は、思わずこう尋ねるのであった。

「それです。若し辻堂が生きているとすれば、どうしても腑に落ちないのは、第一はあの変な写真ですが、併しこれはまあ私の見誤りだったとしても、今おっしゃった行先を知っていること、それから戸籍謄本です。まさか戸籍謄本に間違いがあろうとも考えられないではありませんか」

いつの間にか青年の話につり込まれた平田氏は、思わずこう尋ねるのであった。

 「僕もおもにその三つの点を考えたのですよ。これらの不合理らしく見える事実を合理化する方法がないものかということをね。」

僕もおもにその三つの点を考えたのですよ

「そして、結局、このまるで違った三つの事柄にある共通点のあることを発見しました。ナアニ下らないことですがね。でもこの事件を解決する上には非常に大切なんです。それは、どれも皆郵便物に関係があるということでした。

写真は郵送して来たのでしょう。戸籍謄本も同じことです。そして、あなたの外出なさる先は、これもやっぱり日々の御文通に関係があるではありませんか。

ハハハハ、お解りになった様ですね。辻堂はあなたの御近所の郵便局の配達夫を勤めていたのですよ。無論変装はしていたでしょうが。よく今まで分らないでいたものです。お邸へ来る郵便物もお邸から出る郵便物も、すっかり彼は見ていたに相違ありません。」

辻堂はあなたの御近所の郵便局の配達夫を勤めていたのですよ

訳はないのです。封じ目を蒸気に当てれば、少しもあとの残らない様に開封出来るのですから、写真や謄本はこういう風にして彼が細工したものですよ。

あなたの行先とても色々な手紙を見ていれば自然分る訳ですから、郵便局の非番の日なり、口実を構えて欠勤してなり、あなたの行先へ先廻りして幽霊を勤めていたのでしょう」

あなたの行先へ先廻りして幽霊を勤めていた

「併し、写真の方は少し苦心をすればまあ出来ぬこともありますまいが、戸籍謄本なんかがそんなに急に偽造出来るでしょうか」

「偽造ではないのです。ただ一寸戸籍吏の筆蹟を真似て書き加えさえすればいいのですよ。謄本の紙では書いてある奴を消しとることは難しいでしょうけれど、書き加えるのは訳はありません。
万遺漏のないお役所の書類にもちょいちょい抜目があるものですね。変な云い方ですが、戸籍謄本には人が生きていることを証明する力はないのです。戸主では駄目ですがその他の者だったら、ただ名前の上に朱を引き上欄に死亡届を受付けたことを記入さえすれば、生きているものでも死んだことになるのですからね。

誰にしたって、御役所の書類といえば、もう無条件に信用してしまう癖がついていますから、一寸気がつきませんよ。僕はあの日にあなたから伺った辻堂の本籍地へもう一通戸籍謄本を送って呉れる様に手紙を出しました、そして送って来たのを見ますと僕の思った通りでした。これですよ」

そして送って来たのを見ますと僕の思った通りでした

青年はこういって懐から一通の戸籍謄本を取出すと、平田氏の前にさし置いた。そこには、戸主の欄には辻堂の息子が、そして次の欄に当の辻堂の名前が記されていた。彼は死亡を装う前に既に隠居していたのだ。

見ると、名前の上に朱線も引かれていなければ、上欄には隠居届を受附けた旨記載してあるばかりで、死亡の死の字も見えないのであった。 

死亡の死の字も見えないのであった

実業家平田氏の交友録に、素人探偵明智小五郎の名前が書き加えられたのは、こうしたいきさつからだった。 

おわり 
第1回 第2回
配役:
平田:西村まさゆき
辻堂:つりばんど岡村
明智:トルー
書生:安藤昌教
平田の家族:べつやくれい
株主総会にいる人たち:satoru、岡田悠、石川大樹

撮影・ディレクション:林雄司
この作品は青空文庫収録「幽霊」(江戸川乱歩)を元に、旧かな遣い・旧漢字を変更しデイリーポータルZのレイアウトで読みやすいように改行と写真を追加しました。また、作中に登場する電話機などの小道具は現代のものに置き換え、それにあわせて表現を一部変更しています。
元の青空文庫の情報
底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
   2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
   2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第一巻」平凡社
   1931(昭和6)年6月
初出:「新青年」博文館
   1925(大正14)年5月
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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