年末年始とくべつ企画 2023年1月3日

江戸川乱歩「モノグラム」第2回

江戸川乱歩先生がデイリーポータルZに戻ってきました。

江戸川乱歩が1926年に発表した短編に挿絵代わりになる写真を追加して掲載します。

3回連載の第2回。互いに会ったことはないけど顔に見覚えがある。この不思議な関係の謎が明らかになります。そして悔やみきれない事実も。

第1回はこちら

・仮名づかいや漢字表記、改行位置を変更してあります。また作中に登場する小道具を現代のものに置き換えてあります。構成・撮影:林雄司

1894年三重県生まれ。小説家。推理小説、ホラー小説が多い。

前の記事:江戸川乱歩「モノグラム」第1回

> 個人サイト 青空文庫・江戸川乱歩作品リスト

これまでのあらすじ
栗原一造は公園で見知らぬ青年から話しかけられる。どこかで会ったことがあるという。青年の名前は田中三良。しかし2人は初対面で同じ時間に同じ場所にいたことはない。だが、栗原も田中の顔にどこか見覚えがある。分からないまま二人は公園を去った。

それが、これっきりで済んでしまえば、別段お話する程のことはないのですが、それから四五日たって、妙なことが分ったのです。田中と私とは、やっぱりある種のつながりを持っていたことが分ったのです。

始めに云った私のおのろけというのはこれからなんですよ。(栗原さんはここで一寸笑って見せるのです)田中の方では、これは当てのある就職運動に忙しいと見えて、一向訪ねて来ませんでしたが、私は例によって時間つぶしに困っていたものですから、ある日、ふと思いついて、彼の泊っている上野公園裏の安宿を訪問したのです。

もう夕方で、彼はちょうど外出から帰った所でしたが、私の顔を見ると、待っていたと云わぬばかりに、いきなり「分りました、分りました」と叫ぶのです。

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いきなり「分りました、分りました」と叫ぶのです

「例のことね。すっかり分りましたよ。昨夜です。昨夜床の中でね、ハッと気がついたのです。どうも済みません。やっぱり私の思い違いでした。一度もお会いしたことはないのです。しかし、お会いはしていないけれど、まんざらご縁がなくはないのですよ。あなたはもしや、北川すみ子という女をご存じじゃないでしょうか」

藪から棒の質問でちょっと驚きましたが、北川すみ子という名を聞くと、遠い遠い昔の、華やかな風が、そよそよと吹いて来る様な感じで、数日来の不思議な謎が、いくらかは解けた気がしました。

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北川すみ子という名を聞くと、遠い遠い昔の、華やかな風が、そよそよと吹いて来る様な

「知ってます。でも、随分古いことですよ。十四五年も前でしょうか、私の学生時代なんですから」

というのは、いつかもお話ししました通り、私は学校にいた時分は、これでなかなか交際家でして、女の友達などもいくらかあったのですが、北川すみ子というのはその内の一人で、特別に私の記憶に残っている女性なのです。
××女学校に通っていましたがね。美しい人で、我々の仲間の歌留多会なんかでは、いつでも第一の人気者、というよりはクィーンですね、美人なかわりにはどことなく険があり、こう近寄り難い感じの女でした。 

美人なかわりにはどことなく険があり、こう近寄り難い感じの女でした

その女にね(栗原さんはちょっと言い渋って、頭をかくのです)実は私は惚れていたのですよ。しかもそれが、恥しながら片思いという訳なんです。

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実は私は惚れていたのですよ

そして、私が結婚したのは、やっぱり同じ女学校を出た、仲間では第二流の美人、イヤ今じゃ美人どころか、手におえないヒステリィですが、当時はまあまあ十人並だった御承知のお園なんです。手頃な所で我慢しちまった訳ですね。つまり、北川すみ子という女は、私の昔の恋人であり、家内にとっては学校友達であったのです。 

私が結婚したのはお園なんです

しかしそのすみ子を、三重県人の田中がどうして知っていたか、又それだからといって、何故私の顔を見覚えていたか、どうも腑に落ちないのですね。そこで段々聞ただしてみますと、実に意外なことが分って来ました。

田中が云うには、ちょうどその前の晩に、寝床の中でハッとある事を思い出したのだそうです。どういう訳で私を見覚えていたかについてですね。で、すっかり疑問が解けてしまったので、早速そのことを私に知らせようと思ったのだけれど、あいにく、その日は(つまり私が彼を訪問した日ですね)就職のことで先約があった為に、私の所へ来ることが出来なかったというのです。

そんな断りを云ったあとで、田中は机の抽斗から、一つの品物を取出して、「これを御存じじゃないでしょうか」というのです。見ると、それはなまめかしい懐中鏡なんですね。

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見ると、それはなまめかしい懐中鏡なんですね。

 大分流行遅れの品ではありましたが、なかなか立派な、若い女の持っていたらしいものでした。私が一向知らないと答えますと、

「でも、これだけは御存じでしょうね」

田中はそういって、何だか意味ありげに私の顔を眺めながら、その二つ折りの懐中鏡を開き、はめ込みになった鏡を、器用に抜き出すと、そのうしろに隠されていた一枚の写真を取り出して、私の前につきつけたものです。

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一枚の写真を取り出して、私の前につきつけたものです

それが、驚いたことには、私自身の若い時分の写真だったではありませんか。 

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私自身の若い時分の写真だったではありませんか

「この懐中鏡は私の死んだ姉の形見です。その死んだ姉というのが、今いった北川すみ子なのですよ。びっくりなさるのはごもっとですが、実はこういう訳なんです」

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その死んだ姉というのが、今いった北川すみ子なのですよ

そこで田中の説明を聞きますと、彼の姉のすみ子は、ある事情の為に小さい時分から、東京の北川家に養女になっていて、そこから××女学校にも通わせてもらったのですが、彼女が女学校を卒業するかしないに、北川家に非常な不幸が起り、止むを得ず郷里の実家に、つまり田中の家に引取られて、それからしばらくすると、彼女は結婚もしないうちに病気が出て死んでしまったというのです。

彼女は結婚もしないうちに病気が出て死んでしまった

私も私の家内も、うかつにも、そうした出来事を少しも知らないでいたのですね。実に意外な話でした。

で、そのすみ子が残して行った持物の中に、一つの小さな手文庫があって、中には女らしくこまごました品物が一杯入っていたそうですが、それを田中は姉の形見として大切に保存していた訳です。

「この写真に気がついたのは、姉が死んでから一年以上もたった時分でした」
田中が云うのですね
「こうして懐中鏡の裏に隠してあるのですから、ちょっと分りません。その時は何でも、ひまにあかして、手文庫の中の品物を検査していたのですが、この懐中鏡をひねくり廻している内に、ヒョッコリ秘密を発見してしまったのです。で、昨夜寝床の中でその写真のことを思い出し、それですっかり疑問が解けた訳でした。
なぜといって、私はその後も折がある毎にこのあなたの写真を抜き出して、死んだ姉のことを思い浮べていたのですから、あなたという人は、私にとっては忘れることの出来ない、深いお馴染に相違ないのです。

このあなたの写真を抜き出して、死んだ姉のことを思い浮べていたのですから

先日お会いした時には、それをど忘れして、写真ではなく実物のあなたに見覚えがある様に思い違えた訳なのです。又あなたにしても」

田中はニヤニヤ笑うのですね

「写真までやった女の顔をお忘れになる筈はなく、その女の弟のことですから、私に姉の面影があって、それをやっぱり以前に会った様に誤解なすったのではありますまいか」

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私に姉の面影があって、それをやっぱり以前に会った様に誤解なすったのではありますまいか

聞いて見れば、田中の言う通りに相違ないのです。

しかし、それにしても腑に落ちないのは、写真はまあ、色々な人にやったことがあるのですから、すみ子が持っていても不思議はありませんけれど、それを彼女が懐中鏡の裏に秘めていたという点です。

何だか彼女と私と立場が反対になった様な気がしましてね。だって片思いの私の方にこそ、そうした仕草をする理由はありましょうが、すみ子が私の写真なぞを大切にしている道理がないのですからね。

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すみ子が私の写真なぞを大切にしている道理がないのですから

 ところが、田中にして見ますと、私とすみ子との間に何か妙な関係があったものと、独断してしまって、もっともそれは無理もありませんけれど、その関係を打開けてくれといって迫るのです。

で、彼が言うのですね。姉の死因は無論主として肉体的な病気の為には相違ないけれど、弟の自分が見る所では、外に何かあったのではないかと思う。というのは、例えば生前起っていた縁談に、姉が強硬に不同意を説えたことなどから考えると、誰か心に思いつめている人があって、それが意のままにならない、という様なことが姉の死を早めたのではないか、とね。

実際すみ子は国へ帰ってから一種の憂鬱症に罹り、それの続きの様にして死病にとりつかれたのだそうですから、田中の言う所ももっともではあるのです。

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さあ、そうなると、いい年をしていて、私の心臓は俄に鼓動を早めるのですね。虫のいい考え方をすれば、片思いは私の方ばかりでなくて、すみ子も同じ様に、言い出しかねた恋を秘めて、うらめしい私達の婚礼を眺めていたのだとも想像出来るのですから。

うらめしい私達の婚礼を眺めていた

あの美しいすみ子が、そうして死んで行ったとすれば、私はどうすればいいのでしょう。嬉しいのですね。何だかこう涙が喉の所へ込み上げて来る程嬉しいのですね。

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涙が喉の所へ込み上げて来る程嬉しいのですね

でも一方では、「こんなことが果して本当だろうか」という心持もあるのです。すみ子は私などに恋するには、余りに美しく、余りに気高い女性だったのですから。

そこで、私と田中との間に妙な押し問答が始ったのですよ。私は大事を取る様な気持で、「そんなことがあるはずはない」と云えば、田中は「でも、この写真をどう解釈すればいいのだ」とつめ寄る。 

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「でも、この写真をどう解釈すればいいのだ」とつめ寄る

で、そうして言い合っている内に、私は段々感傷的になって行って、遂には私の片思いを打開けて、そう云う訳だから、すみ子さんの方で私を思っていてくれたなんてことはあり得ないと、実はその反対をどれ程か希望しながら、まあ強弁した訳なんです。 

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すみ子さんの方で私を思っていてくれたなんてことはあり得ない

ところが、話し話し懐中鏡をもてあそんでいた田中が、ふと何かに気がついた様子で「やっぱりそうだ」と叫ぶのですよ。

それが、大変なものを発見したのです。

懐中鏡のサックは、さっきも言ったように二つ折のもので、その表面の模様の間に、すみ子の手すさびらしく、目立たぬ色糸で、英語の組合せ文字の刺繍がしてあったのですが、それがIの字をSで包んだ形に出来ているのです。

Iの字をSで包んだ形に出来ているのです

「私は今までどうしても、この組合せ文字の意味が分らなかったのです」
田中が云うのですね
「Sは成る程すみ子の頭字かも知れませんが、Iの方は、実家の田中にも養家の北川にも当てはまらないのですからね。ところが、今ふっと気がつくと、あなたは栗原一造とおっしゃるではありませんか、イチゾウの頭字のIでなくてなんでしょう。写真といい、組合せ文字といい、これですっかり姉の思っていたことが分りましたよ」 

イチゾウの頭字のIでなくてなんでしょう

重ね重ねの証拠品に、私は嬉しいのか悲しいのか、妙に目の内が熱くなって来ました。

そういえば、十数年以前の北川すみ子の、色々な仕草が、今となっては一々意味あり気に思い出されます。あの時あんなことを言ったのは、それでは私への謎であったのか、あの時こういう態度を示したのは、やっぱり心あってのことだったのかと、年甲斐もないと笑ってはいけません、次から次へ、甘い思出に耽るのでした。

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私は嬉しいのか悲しいのか、妙に目の内が熱くなって来ました

それから、私達はほとんど終日、田中は姉の思出を、私は学生時代の昔話を、事実が遠い過去のことである丈に、少しも生々しい所はなく、又いや味でもなく、唯懐しく語り合いました。

そして、別れる時に、私は田中にねだって、その懐中鏡と、すみ子の写真とを貰い受け、大切に、内ポケットに抱きしめて、家へ帰ったことでした。

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その懐中鏡と、すみ子の写真とを貰い受け、家に帰った
衝撃の第3回に続く!
どうしてこうなる?!
この作品は青空文庫収録「モノグラム」(江戸川乱歩)を元に、旧かな遣い・旧漢字を変更しデイリーポータルZのレイアウトで読みやすいように改行と写真を追加しました。
また、作中に登場する衣装、煙草などの小道具は現代のものに置き換え、それにあわせて表現を変更しています。

元の青空文庫の情報です
底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
   2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四巻 湖畔亭事件」春陽堂
   1926(大正15)年9月
初出:「新小説」春陽堂
   1926(大正15)年6月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:門田裕志
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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